伊東光晴 『ケインズ』 ( p.126 )
消費者が貯蓄の割合を増やせば、労働者の所得が減り、貯蓄額は増えない、と書かれています。
上式の乗数 1 / ( 1 - 消費性向 ) は、無限等比級数の和を計算しているからです。
不況の時期に、貯蓄を増やそうとしても、結果として貯蓄額は変わらない。それどころか、所得が減るから、不況はますますひどくなる。したがって貯蓄は美徳ではないかもしれない、となるのですが、
これを逆にいえば、
貯蓄の割合を減らしても、結果として貯蓄額は変わらない、となります。
だったらガンガンお金を使ったほうがいいじゃん、景気がよくなり、所得が増えるじゃん、となるのですが、これは、「全員が」 ガンガンお金を使えば、の話です。貯蓄を増やそうとする人がいれば、その人だけが得をします。お金を使った人が損をする。したがって、現実には、だったらガンガンお金を使ったほうがいいじゃん、とはならない。
となると、政府が公共事業をすべき ( 税金で回収すれば、全員がガンガンお金を使うのと同じ ) 、と考えられます。
いま、人々が今までよりももっと貯蓄しようとしたとしよう。たしかに、今まで所得の一割を貯蓄していたのを二割にふやせば貯蓄額は二倍になるかもしれない。個人については真である。しかし今まで一割であった人がもしもすべて二割貯蓄しようとしたら……ケインズの答えは、社会全体の貯蓄額には変りがないのであって二倍にはならないというものであった。なぜかといえば、社会全体の貯蓄の量は、ケインズが強調したように投資の量に等しく、投資の量が変わらなければ、貯蓄の量も変わらないからである。変化するのは貯蓄の量ではなく、社会全体の所得の量である。
乗数理論を思い出してほしい。
所得 = 1 / ( 1 - 消費性向 ) × 投資
であった。一割貯蓄していたということは乗数 1 / ( 1 - 消費性向 ) の値が一〇ということであり、二割貯蓄するということは、乗数の値が五になるということである。したがって投資が一〇〇億円であるならば、所得の大きさは一〇〇〇億円から五〇〇億円に低下してしまうのであり、貯蓄はといえば一〇〇〇億円の一割一〇〇億円と五〇〇億の二割の一〇〇億円で、変化がないのである。貯蓄をふやそうと努力しても結果としてふえない。fallacy of composition (結合の誤り) である。
消費者は何割貯蓄するかをきめることはできる。しかし貯蓄の総額はきめることはできない。動くのは所得(産出高)であるという、このケインズの理論は、貯蓄をふやそうとする個人の努力は、経済の規模を縮小し、所得を低め、結果として失業を生みだすという、今まで考えつかなかった結論を引きだした。貯蓄は美徳でないかもしれない。
消費者が貯蓄の割合を増やせば、労働者の所得が減り、貯蓄額は増えない、と書かれています。
上式の乗数 1 / ( 1 - 消費性向 ) は、無限等比級数の和を計算しているからです。
不況の時期に、貯蓄を増やそうとしても、結果として貯蓄額は変わらない。それどころか、所得が減るから、不況はますますひどくなる。したがって貯蓄は美徳ではないかもしれない、となるのですが、
これを逆にいえば、
貯蓄の割合を減らしても、結果として貯蓄額は変わらない、となります。
だったらガンガンお金を使ったほうがいいじゃん、景気がよくなり、所得が増えるじゃん、となるのですが、これは、「全員が」 ガンガンお金を使えば、の話です。貯蓄を増やそうとする人がいれば、その人だけが得をします。お金を使った人が損をする。したがって、現実には、だったらガンガンお金を使ったほうがいいじゃん、とはならない。
となると、政府が公共事業をすべき ( 税金で回収すれば、全員がガンガンお金を使うのと同じ ) 、と考えられます。