言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

傲慢さに伴う被害妄想

2009-06-10 | 日記
カレル・ヴァン・ウォルフレン 『世界が日本を認める日』 (p.176)

 わが国は特別な権利を持っているのだからトップに位置すべきであり、他の国々にはできないことをすることができるという考えは、誇大妄想によるものでもある。自分は偉大であるという幻想、自分の国は他のどの国をも凌ぐ偉大な力を持っているという考えにとらわれているとしたら、その人は誇大妄想気味なのだ。
 この誇大妄想の状態には、必ずと言っていいほど、そうした幻想とは矛盾するかに見えるもう一つの思い込みがともなっている。「世界はとにかく自分に敵対している」「自分の国は世界の悪の勢力によってひどい目にあわされている」といった思い込みである。


 これは、9・11 後のアメリカについて書かれた文章です。

 要は、自分は ( 自分の国は ) 偉大だ、と思っていると、周囲から 「敵視されている」 と思い込む傾向がある、というのです。


 自分は偉い、と思っていると、周囲から 「敵視されている」 と思い込む…。「外国人参政権問題・鳩山発言を弁護する」 に登場した泉幸男 (いずみゆきお) さんは、この解釈をするうえで、記憶に新しい例だと思います。

 泉さんのコメントは、彼が 「自分は偉い」 と思っていることを示しています ( そう受け取って問題ないでしょう ) 。

 また、彼の 「でも、お説は間違いなんです。」 の 「でも」 は、相手 ( 私 ) の主張の正当性を認めつつ、自説の正当性をあくまで主張しようとしていることを示しています ( もっとも、彼は私の主張を、誤解している可能性があるのですが ) 。私が、論争しようとしていたのではなく、「(泉さんが)ご存知ないのではないかと思い」 「配慮」 して 「書き込んだ」 と述べているにもかかわらず ( つまり親切で書いている、と述べているにもかかわらず )、彼は、( 私の書き込みが ) 自説に向けられた批判だと捉える見かたを変えていません。つまり、彼は、「敵視されている」 と思い込んだのです。


 このような ( 引用文に示されている ) 見かたも、人間を見る、ひとつの考えかたとして有益ではないかと思います。


 なお、本記事は泉さんの評価が目的ではありません。また、コメント欄にて、私が 「はしょりすぎ」 だというご指摘をいただいており、上記、泉さんに対する解釈が正当とはいえない可能性があります。ひとつのありうる解釈 ( 引用文に示されている見かたの例 ) として書いており、その旨、付記しておきます。