カレル・ヴァン・ウォルフレン 『世界が日本を認める日』 (p.84)
人は、自分が「正しい」と思ったことを、他者に強要しがちです。そしてその際、「正しい」ことを行っているのだから、( 自分の行為は ) 「正しい」 と考えてしまい、他者に対する強要も、「正しい」 と考えがちです。
その際、論じるべき点はふたつあります。それは、
(1) あなたが 「正しい」 と思ったことは、本当に 「正しい」 のか、
(2) 「正しい」 ことを他者に強要することは、本当に 「正しい」 のか、
です。この両者は密接につながっており、ひとつずつ、分けて論じるべきなのかどうか、それ自体も、判断が難しいのですが、ここで重要なのは、
(3) 自分は本当に 「正しい」 のか、と、自らを省みず、傲慢な態度になってしまう
ことではないかと思います。
前提たる (1) が正しいのだから、(2) も正しい、として、(3) 他者に対する 「強要」 に、罪悪感が伴わず、他者に対する 「強要」 という、本来好ましくないことをしていることに無自覚になってしまいます。
無自覚であるがゆえに、この 「強要」 は際限なく続く可能性があり、それがまた、相手にとっては迷惑きわまりない、ということにもなりかねません。
この問題、国家間の関係にかぎらず、人と人との間にも存在しているのではないかと思います。
ブッシュ政権のプロバガンダのなかでもっとも成功しているのは、米軍がイラクを去ったら、対立しているスンニ派とシーア派とクルド人の間で必ず内戦が起きる、というものだ。
これはアメリカだけでなくヨーロッパでも、また日本の一部でも、ゆるぎない確信になっている。
(中略)
イラク人がうまくやるには外国人――主として西洋人――に教え導いてもらうのが一番いいという考え、自分たちの社会をどう運営すべきかを外国人に指示してもらい、誰が自分たちを統治すべきかを外国人に決めてもらうほうがイラク人にとって幸せなのだという考えは、悪臭を放っている。西洋の傲慢さのにおいがプンプンする。
イギリス人やフランス人やオランダ人が、アジアやアフリカに乗り込んで、現地の人間をどう統治すべきかはわれわれのほうがよく知っているとして、植民地に自分たちのルールを押しつけていた、あの傲慢な決めつけを想起させるのだ。
この考えのすこぶる厄介な点は、当たり前のこととされていて、何の説明も要さないことだ。
人は、自分が「正しい」と思ったことを、他者に強要しがちです。そしてその際、「正しい」ことを行っているのだから、( 自分の行為は ) 「正しい」 と考えてしまい、他者に対する強要も、「正しい」 と考えがちです。
その際、論じるべき点はふたつあります。それは、
(1) あなたが 「正しい」 と思ったことは、本当に 「正しい」 のか、
(2) 「正しい」 ことを他者に強要することは、本当に 「正しい」 のか、
です。この両者は密接につながっており、ひとつずつ、分けて論じるべきなのかどうか、それ自体も、判断が難しいのですが、ここで重要なのは、
(3) 自分は本当に 「正しい」 のか、と、自らを省みず、傲慢な態度になってしまう
ことではないかと思います。
前提たる (1) が正しいのだから、(2) も正しい、として、(3) 他者に対する 「強要」 に、罪悪感が伴わず、他者に対する 「強要」 という、本来好ましくないことをしていることに無自覚になってしまいます。
無自覚であるがゆえに、この 「強要」 は際限なく続く可能性があり、それがまた、相手にとっては迷惑きわまりない、ということにもなりかねません。
この問題、国家間の関係にかぎらず、人と人との間にも存在しているのではないかと思います。