へんくつゃ半睡の「とほほ」な生活!

 奇人・変人・居眠り迷人。医療関連を引退⇒
某所で隠遁準備中。性質が頑な、素直ではなく、
偏屈でひねくれています。

【読】赤ひげ診療譚@時代小説

2008年11月19日 | 昔のお医者

必死で生きる庶民と支える医師の師弟に感動!!
名作としてあまりに有名な作品。 

 

             

赤ひげ診療譚  山本 周五郎著      赤ひげ診療譚 山本 周五郎

 新潮文庫                   角川春樹事務所

税込価格:¥580 (本体:¥552)     税込価格: ¥760 (本体:¥724)

 

 時は江戸時代。場所は小石川養生所。長崎遊学から戻った保本登(やすもと のぼる)は、
幕府の目見医、御番医という出世街道を歩むはずだったが、小石川養生所の“赤ひげ”と
呼ばれる新出居定(にいで きょじょう)に呼び出されて、医員見習いを命ぜられてしまう。
貧民層の患者を診ることになり、最初は反発していた登は、強く、人間を愛してやまない
赤ひげ次第に惹かれてゆく。青年の心の成長と師弟の魂のふれあいを描く傑作。

 

 小石川養生所の医師・赤ひげこと新出去定(にいで きょじょう)の許に、医者の卵、保本登が
やって来るところから話が始まる。
奇矯な病気にかかった人、貧に苦しむ長屋暮らしの人に接する時の去定の言動。
それを見るうちに、登の意識が次第に変化し、懐の深い人間へと成長して行く。
 登のそうした変化を確かに感じたのが、「人を裁く」ということについて登が心の中で言う
箇所である。
 お上のなさりようについて、普段は我慢強い去定が激しく憤り、そして不機嫌になる場面も
印象的である。
 去定という人物の硬骨漢ぶり、徒労に賭けるひたむきさに触れて行くうちに、とても魅力的な
人物だな~あと思うようになってきた。登の目を通して、去定のそうした人間的な魅力が非常に
よく捉えられている。

 

 やせ我慢してでも自分の正しいと思う信念を曲げずに行動する、簡単には音を上げない
新出去定の言動。
 これはハードボイルドの精神にも通じるものがあり、同時に、山本周五郎という作家の
根本を貫いているものだと考えて読み終えました。


狂女の話
駆込み訴え
むじな長屋
三度目の正直
徒労に賭ける
鶯ばか
おくめ殺し
氷の下の芽

 

 八話からなり、一話ずつ独立していながら、登が次第に成長していく過程が見て取れる。
読んでいてとても考えさせられてしまった。人生において、どうしようもない状況、特に
貧困によるそれらの問題において、生きる意味とはなんだろうという命題。

 

 この書は決して「こうあるべき」などという解答を押しつけずに、あなただったら
どうするだろうかと突きつけられる。

 それがもっとも出ているのが「鶯ばか」の、ある貧困家庭の一家心中だろう。
「放っといてくれれば親子一緒に死ねたのに、どうして助けようとなんかしたんでしょう、
なぜでしょう先生」という一命を取り留めた母親に、
「人間なら誰だって、こうせずにはいられないだろうよ」とかろうじて言う登。
そして「生きて苦労するのは見ていられても、死ぬことは放っておけないんでしょうか」、
助かったとして、苦労が軽くなる見込みはあるのか、との問いに、登は返すことができない。

 

 人間とは苦しくとも生き続けるものだ、などとおこがましいことは言わない。決してこの
母親を心から納得させる正解があるわけではない。自分の努力はまったくの徒労に終わるかも
知れない。しかし、そういった庶民にこそ医者が必要なのだと、赤ひげ共に「徒労に賭ける」
決意をする登。


 読み終わった後、自分はどう生きるのか、じわりじわりと考えさせられる良書である。

 

        

著作名:『ひげ診療譚』 (あかひげしんりょうたん)
発表年月他1958年(昭和33年) 3月~12月『オール読物』※7月休載


映画化1965年(昭和40年) 『赤ひげ』 東宝=黒澤プロ

[映画 出演者]
新出去定( 三船 敏郎) 小石川養生所の医長。幕府からの養生所の予算が
赤ひげ             削られる中、信念を持って貧困と無知に立ち向かい
              養生所を運営を図っている。

保本 登(加山 雄三)   医師。長崎へ遊学後、江戸へ戻り、小石川養生所の
                            医員見習となる。赤ひげに最初は反発していたが、
                   次第にその人柄に感化される。
             
森 半太夫(土屋 嘉男)  養生所の見習医員。登の同僚。赤ひげを尊敬している。
お雪                                 養生所の賄所で働く。森を慕っている。
津川 玄三(江原 達怡)  養生所の医員。登と交替して養生所を出る。
保本 良庵(笠智 衆)      登の父。町医者。
保本 八重(田中 絹代)  登の母。
天野源伯(三津田 健)   幕府の表御番医(法印)。登の後援者。
天野ちぐさ(藤山 陽子) 登の許婚者。登の遊学中に他の男と駆落ちをする。
天野まさえ(内藤 洋子) ちぐさの妹。
ゆみ(香川 京子)           富豪の娘。狂気で人を殺め養生所の離れに隔離されている。
お杉(団 令子)                ゆみの付添い女中。
小者・竹造(小川 安三) 養生所の小者。
六助(藤原 釜足)            蒔絵師。おくにの父親。養生所で死ぬ。
おくに(根岸 明美)          六助の娘。夫の悪事を奉行所に訴える。
佐八(山崎 努)                 むじな長屋の輻屋。労咳を病んでいて、余命いくばくもない。
おなか(桑野 みゆき)      佐八の妻。大火事の時に行方不明になる。
おとよ(二木 てるみ)        娼家で働く少女。
長次(頭師 佳孝)             五郎吉の二男。両親の家計を助けようとする。
長次の父(大久保 正信)
長次の母(菅井 きん)

 

五平次:東野 英治郎
娼家の女主人・きん:杉村 春子
利兵衛(ゆみの父):柳永 二郎
平吉:三井 弘次
和泉屋徳兵衛:志村 喬
家老:西村 晃
松平壱岐:千葉 信男
まさえの母:風見 章子
賄のおばさん・おとく:七尾 伶子
同・おかつ:辻伊万里
同・おふく:野村 昭子
同・おたけ:三戸部 スエ
娼家の女主人:荒木 道子
入所患者:左卜全
同:渡辺 篤
長屋の住人:佐田 豊
同:沢村 いき雄
地廻り:常田 富士男
同:大木 正司
同:広瀬 正一
同:田中 浩
同:久世 竜 

TV化
1960年(昭和35年) 『赤ひげ診療譚』 CX・夜の十時劇場
1961年(昭和36年) 『鶯ばか』    KR・山本周五郎アワー
1972年(昭和47年) 『赤ひげ』    NHK
1973年(昭和48年) 『赤ひげ ひとり』 NHK
1989年(平成 1年) 『赤ひげ』    TBS・時代劇スペシャル
1982年(平成 9年) 『赤ひげ』    ANB・時代劇スペシャル
2002年(平成14年) 『赤ひげ』    CX・黒澤明ドラマスペシャル

 

演劇化
1968年(昭和43年) 『赤ひげ』    新国劇二月公演
1974年(昭和49年) 『赤ひげ』    民藝公演/劇団民藝地方巡演
1975年(昭和50年) 『むじな長屋の秋』九月特別公演
1978年(昭和53年) 『赤ひげ診療譚』 東宝五月特別公演
1980年(昭和55年) 『赤ひげ診療譚』 尾上松緑九月特別公演
1981年(昭和56年) 『赤ひげ』    東京芸術座公演
1982年(昭和57年) 『赤ひげ』    東京芸術座地方巡演
1983年(昭和58年) 『赤ひげ診療譚』 七月特別公演
1987年(昭和62年) 『赤ひげ』    前進座十一月公演
1988年(昭和63年) 『赤ひげ』    松竹提携前進座初春特別公演/一月前進座公演
1990年(平成 2年) 『赤ひげ』    松竹・前進座提携公演
1991年(平成 3年) 『赤ひげ診療譚』 帝劇創立80周年記念新春特別公演
1992年(平成 4年) 『赤ひげ』    東京芸術座公演
1994年(平成 6年) 『赤ひげ診療譚』 五月特別公演
1996年(平成 8年) 『赤ひげ』    劇団創立65周年記念前進座公演
1996年(平成 8年) 『赤ひげ』    劇団前進座地方巡演
1999年(平成11年) 『赤ひげ』    劇団前進座地方巡演
2000年(平成12年) 『赤ひげ』    劇団前進座地方巡演
2000年(平成12年) 『赤ひげ』    北大路欣也特別公演
2001年(平成13年) 『赤ひげ』    劇団前進座地方巡演
2002年(平成14年) 『赤ひげ』    劇団前進座地方巡演
2002年(平成14年) 『赤ひげ』    北大路欣也特別公演
2002年(平成14年) 『赤ひげ』    劇団潮流第61回公演
2004年(平成16年) 『赤ひげ』    劇団前進座地方巡演

 

   

赤ひげ』は、1965年に東宝、黒澤プロダクションにより製作された日本の映画。白黒作品。
山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』を、黒澤明監督が「日本映画の危機が叫ばれているが、

それを救うものは映画を創る人々の情熱と誠実以外にはないと言った。
 黒澤明監督は、この『赤ひげ』という作品の中にスタッフ全員の力をギリギリまで絞り出してもらう。
そして映画の可能性をギリギリまで追ってみる。」という熱意で、当時のどの日本映画よりも長い

2年の歳月をかけて映画化した黒澤ヒューマニズム映画の頂点ともいえる名作。
 完成した作品を観た山本周五郎をして「原作よりいい」と言わしめ、興行も大ヒットを収めた。

 

 当初、1964年末封切の予定であったが、制作の遅れから不可能となり、

代わりにゴジラシリーズの「三大怪獣 地球最大の決戦」が制作された。

  また、赤ひげ役の三船敏郎は白黒映画にもかかわらずこの作品の
ために本当にひげを赤く染めていたという逸話も残っている。
 国内のみならず、海外でもヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジュ賞などを受賞。

 主演の三船敏郎もヴェネチア国際映画祭最優秀男優賞を受賞したが、

同時にこれが黒澤映画における最後の「白黒映画作品」
「三船出演作品」「泥臭いヒューマニズム作品」となった。

翌1966年、黒澤は東宝との専属契約を解除し、海外の製作資本へと目を向けることになる。

 

【出典・引用】

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%B2%E3%81%92

コメント (12)
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