真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

虫プロ外伝3

2006年12月24日 11時45分14秒 | 虫プロ
もう少し足を伸ばすと、物見山から日和田山へ登った300mぐらいの山であったが、早春、そこから眺める“巾着田(きんちゃくだ)”が、すばらしかった。いちめん田んぼの中に蓮華の花が咲く風景が、渡来した高麗の人たちの思いを偲び言葉の響きと仏教の匂いが同化して、眺めていて飽きない景色であった。
巾着とは、昔の財布のことで、布でできた袋の入り口を、紐で縛った簡単なものであった。この巾着田を上から眺めた景色が、その巾着ににているので、巾着田と呼ばれたるようになったらしい。今ならヘアーピン・カーブ、ならぬ、ヘアーピンフィールド田とでも、呼んだかもしれない。
ここを学生のころからきんちゃくでんと呼んでいた。地元ではそうよんでいたからで、私も地名は本で覚えるのではなくて、見聞できんちゃくでんと覚えていた、また埼玉の人の多くはきんちゃくでんと言っていた。
わたしが始めてここへ来たのは、高校生の時。一人で近くの山へでも行きたい気分になり、あまりお金を持たずに、大宮で乗り換え、高麗川駅でおり、物見山から日和田山へと登った。
初めの予定では物見山まで行き、折り返して帰るつもりであったが、山登りに来ていたほかの人たちから、「日和田山から見る巾着田の眺めがすばらしいので行ってみな」と言われたからであった。そう、この時も確かにその人たちは、きんちゃくでんと呼んでいた。
そこで足を伸ばし行くことにしたが、道標にやたらと高麗方面と言う文字を目にしていた。「巾着田」からの眺めは、確かにすばらしかった。
下山のとき、来る道々に高麗方面という文字を、やたら目にしていたので、どうも近道があるらしいな、と思い登って来る人たちに、「大宮へ帰りたいのですが、駅に行く近道があるのですか」と、たずねた。山登りの経験が豊富で頼りがいが、ありそうな人たちであった。駅までの道をていねいに教えてくれた。その通り行くと、わかりやすくて、すぐに駅に行くことができた。
 しかしその駅は来たとの駅とどこか違う、どこを見ても見覚えが、ないのである、駅員さんにたずねて、そこは西武線の西武池袋線高麗駅であることがわかった。
私が物見山へ登るため降りたのは高麗川駅であった、「あなたが行きたかった駅は、国鉄大宮川越線の、高麗川駅であり、この高麗駅とは、かなり離れています」と勘違いする人が、多いらしく、駅員さんは、手際よく説明してくれた。
「高麗駅から高麗川駅へ行くには飯能駅まで行き、そこで八高線に乗り換えて高麗川駅まで行く必要があります」とも教えてくれた。
飯能駅に着くと、乗換えの八高線は列車の数が少なないので、かなりの時間、待たなければならなかった。やっとの思いで、高麗川駅へたどり着き、大宮までの切符を買おうとすると、持っている金額が足りなかった。
この駅は当時無人駅で、改札を乗り越えれば駅に出入りができた。
隙を見て切符を買わないで電車に乗った、川越駅を過ぎたところで、改札をするために車内に車掌が回ってきた。最前列まで逃げたが次の駅までは長かった。とっさに行きに降りたとき改札が無いので、切符を置かず、ポケットに入っていることを思い出した。
「川越まで来て用事を思い出したので、急いで引き返すところです」のようなことを言ったのだと思う。浦和までの新たな切符を買わなければならなかったが、それがなんと、持ち金とぴったりで、1円も足りも不足もしなかった。「神も仏もあった」とは、あまりにも、罰当たりなことを思いながら神様に感謝した。
どうも「薩摩の守」を決め込んだようで気分が晴れない日が続いた。
 薩摩の守とは平家物語にも登場する平薩摩守忠度(たいらのさつまのかみただのり)の事をいいます。1144年から1184年まで活躍した人と歴史や古典の時間に習いました。
 薩摩守と言うのは、天皇から頂く官名で、その当時の人は官名で呼んでいたのです。だから薩摩の守とは平忠度の事を指し、たいらのただのりから、ただのり。つまり無銭乗車のことを「さつまのかみ」と言ったのであります。
ちなみに、平家物語にとは、巻第七の「忠度の都落ちの」話ですよ。
気がとがめたままではいたたまれなくなって、大宮駅まで行って駅員に事情を話し謝りに行こうと、決心しました。「お金がたりなくなって、ずるいことをしたので、清算してください」と謝りに行ったのでした。
当時の大宮駅は、京浜東北線、や東北本線や高崎線、東武の東武野田線などのホームがあり、川越線のホームは、操作場があったので、長い連絡橋を渡った西の側にプラットホームがあった。 ホームがいくつもあったので、大宮駅には駅長の帽子をかぶった人が何人も居たように覚えている。
謝りに行ったのは、そのホーム川越線の駅長さんであった。
その人が「正直に来てくれてありがとう、」と言ってくれた「とてもうれしいので、その正直さに免じて、今回は、払わなくていいよ」とも、そして怒られるどころか、褒めてくれたのであった。
なにを言われるかと、どきどきした日をすごし、心に刺さったとげの痛さに耐え切れなくて、謝りに行こうと決心した。怒られ下手をすれば罰金を取られるかもしれない、正直に言えば、罰金は、勘弁してもらえるかもしれないと思い、恐々謝りに行った。それが、まさか喜ばれて、褒めてもらえるなんて、夢にも思いもよらなかったのであった。
だから今でも、その時のことをはっきり覚えている。
わたしにとってとても美しい思い出である。

正丸峠へも虫プロに入った当時から仲間とよく行った。

ここに書かれていることはフィクションです

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