真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

やさしいライオン

2006年12月07日 15時04分47秒 | やさしいライオン
どろろの制作が終わろうとしていた9月、あしたのジョーの企画を立てていた、富岡厚司は、手塚先生に呼ばれ、「千夜一夜物語で、大変お世話になった、やなせたかしさんに、お礼にアニメを作ってもらおうと思うのだが、あなたがプロデュースしてください。」と言われた。 この企画は、手塚先生がやなせたかしさんと、話をしているうちに、「やなせさんも自分のアニメを作ってみませんか、」といった、やなせさんも常々アニメにしたい話があったので、「ぜひに」と答えた。手塚先生は、これを役員会議にかけたが、そんな実験映画に予算は付けられませんと、つっぱねられ、実現が遅れていたのだが、手塚先生のポケットマネーで、やるからということで、なかば、強引に、強行されることになった。次のアニメラマの企画もまだで、第二スタジオやアニメーターたちは、比較的手空きであった、またこのころやめるスタッフが増えていた、山本暎一さんを初めたくさんの、人たちが、独立したりして、辞めて行った。
 千夜一夜のお礼といわれては、かっぱさんは、断れなかった、しかし、かっぱさんはそれどころではなく、「あしたのジョー」の企画で目の回るような忙しさの中におかれていた。  

ちょうどその時一番古株となっていた、進行のわたしが口をとがらせて、かっぱさんに文句を言いにいった、「わたしは、千夜一夜班の進行のはず、劇場で見たエンディングのスタッフリストからはずされている、「どろろ」で手伝いに来た進行さんも、「どろろと百鬼丸」へ行ったものも、みんな載っているのになぜ私だけがはずされているのだ、人一倍苦労したのに“千夜一夜”を作ったという証がないじゃないか、」と文句をいった。普段から、扱いにくく、何かに付け、上司に食ってかかる、かっぱさんは一瞬厄介な、いまさら修正など不可能、と思ったが、ひらめいた、うまくおだてると、すぐにのってしまう、タイプであったから、と思ったかどうかは定かでないが、「お詫びに、今度やる、やなせさんの映画を任せるから、手塚先生もぜひ君にといっているし、すべて任せるから、困った時だけ言ってくればいいし、一切口出しせずに任せる、」と低姿勢にたのんできた。
 文句のことなどすっかり忘れ、手塚先生が是非といったと聞いては、すっかり上機嫌になって、スタッフタイトルのことなど忘れ、引き受けることを約束した。
早速かっぱさんと一緒に、手塚先生に挨拶に行く、社長室時代から先生とは気心も知れている。手塚先生もすべて任せてくれることに承諾して、「以後君に任せると」いってくれた。
 2スタの1階の制作室が与えられた。大き目の専用ロッカーと制作机、広すぎる部屋にはまだ一人だけであった。
 手塚先生から、やなせさんに連絡してあるから、細かい打ち合わせを、してきてください、と連絡があった。早速、市谷の自衛隊駐屯地正門前の坂の途中にある、やなせさんのお宅へおじゃました。フジテレビの近くのため、住所だけで、簡単にいくことができた。
 やなせさんのアトリエに通され、アシスタントの女性が飲み物を運んでくれた。やさしい笑顔のやなせさんと、スケジュールなど細かい打ち合わせをし、これから制作する、「やさしいライオン」の絵本を見せていただいた。やなせさんは実は絵コンテはすぐにできると思います、音楽もあるのです、この「やさしいライオン」は幻灯機用にすでに作ってあるのです、といって家庭用のテープレコーダーを持ってきた。ボニージャックスのコーラスまで入っている、その物語は素晴らしいものであり、心を打たれた。今度幼稚園で、上映会を催しますので、是非来て下さい、といわれ、約束をした。そのあとは、やなせさんの絵本や詩、などを見せていただき、その不思議な絵の感じに、どのように描くのか質問をした。すると、用紙がおいてあるところに案内され、木枠にたくさんの用紙が立てに入れてある、一つ一つの用紙は色の付いた模様のある用紙が入っていた。この色の付いた用紙に、じかに色鉛筆でかくのですと色鉛筆も見せてくれた、それは、ドイツ製のPastelであったが、色の数が60色もあるものであった。
 珍しそうに、そのパステルを見ていると、「使いかけですがどうぞ」といってくれ、「新しいのがありますので、ご遠慮なく」と、なお言ってくれた。フランスやヨーロッパの珍しい絵の本もたくさんあり、ひろげて、いちいち説明してくださり最後には、ダブっているものがありますから、あげましょう、とそれらの本まで頂いてしまった。

 2スタ2階が「やさしいライオン」班となっていた。よせばいいのにやなせさんから頂いた、本を、片っ端から自慢して歩いた。美術(背景)の人は美大出の人が多く、その本に目を輝かせ、異口同音に「おまえには宝の持ち腐れ」といった。
1階の制作室の机の上に、家から持ってきた木製の小さな本棚を置き、自慢げにその本を飾っておいた。
 虫プロの第一スタジオと、第二スタジオの間の道、その近い所に、お茶や珈琲豆が置いてあるお店ができた。そのお店で、珈琲のサイホンセットを買い、薬局で、アルコールランプ用のアルコールを買って、説明書を見ながら、サイホンで、珈琲をいれ、部屋に遊びに来た人に、珈琲を振舞って、頂いた絵などを見せ、自慢していた。
 珍しく家に帰る事ができた。翌日の朝、机の上の本棚には1冊の本も残っていなかった。いつでもいいから、戻して欲しいと、はりがみをして置いたが、いまだに、帰ってこない。

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