鉄道ピクトリアルの11月号に別子銅山の鉱山鉄道がでていた、写真は上部軌道で、このように高度1000メートルの等高線に沿って、石垣で軌道が築かれていた、別子銅山の場合は全山緑に戻すという住友の方針によって、軌道跡などなにも残っていないのが、大変残念である、この切通しは東平からはるか上に見える、
住友はこの場所に軌道を復活できないかなあ、新居浜からの下部軌道も復活したらよい、下部はトロッコの復活ではなく路面電車がいい、私が見に行ったように、四国全体でも見物客がだいぶ増えるものと思われる、路面電車はカメラ活用による自動運転がのぞましい、
このような初期の大変な開発の上に、現在の日本の工業とか産業があるのを、後世に伝えることができるのですね。
観光のためにもと思われる東京老人さんの発想も、当地では考えなかったのですね。
住友ではマインピアで残したように言っていますが、現物が残っていなくてはだめで、この上部鉄道があれば、一日あるいは一泊コースの確保が出来たでしょう、
惜しいことです、こういう産業遺産でも何を残して何を消すか総合判断が必要ですね、