3日間の三陸旅行に行ってきました、この時期桜が満開、各所でお花見ができました、
行きの新幹線
東京駅7:14の新幹線である、集合はなんと6:45 !!東京駅は改札外の北のはずれだ、そこで、上野駅から乗ることにした、上野は6:22なんだけど、集合しないで、列車に乗ればよい、だから列車の10分ぐらい前にホームに行けばよいので、20分ぐらい楽だ、しかしもっと良いことを考えた、上野で乗ると言って東京駅で乗ればよいのである、これで外に集合しなくてもよくなる、でも皆さんに変なことを想像されても困るので上野にした、
はやぶさ101号
この列車は仙台ー盛岡が各駅停車、一台抜かされる、だから、もし乗り遅れたら次の函館行はやぶさに乗ってくださいということなのだろう、
岩手県交通バス
盛岡駅で乗り継いだ、駅前で、乗り換えはスムーズに行っている、乗りこんでみてびっくりした、一行42人バスはぎちぎちだ、平均年齢は一見80歳、これからはツアーも平均年齢が上がって大変になるだろう、トイレがないのはつらい、バス会社もトイレ付、3列で通路が広いバスを開発するべきだろう、外国には中間に出口があり、トイレがあるバスが海外では多いけど、この型を導入すべきだろう、
竜泉洞
ここも災害の時は営業できなかったらしい、縦横に長い洞で、立派な階段が付いている、名物は地底湖、第一から第三までがみられる、透明度が高く、43mまであるという、水深は100m以上ある、鍾乳石がほとんどないのは残念であるが、高低差をひたすら階段の上り下りで大変だ、
北山崎クルーズ
日本一の海岸美と称する北山崎を海から見た、この風景は見たいと思っていた、先日きたときは時間の関係で割愛せざるを得なかった、しかし外洋から見る風景は単調で、船の速度も速く残念だった、もっと速度を落としてゆったりと見たいものである、
田野畑
北山崎で知られる、海岸美の場所である、美しい海岸の羅賀荘というホテル、大きな部屋で、景色が良かった、大浴場も上等、
第2日目
北山崎
岬の展望場所に行く、地震で展望台も壊れ、この展望台は20mくらい上に作ってある、日本の海岸美の中でも随一という風景を堪能した、
田老
震災あと地見学である、ここはもともと10mの防潮堤が3つつくられ、万善の構えがされていた、そのため、被害者も181名と少数だった、明治29年の津波は1900名近くの人命が奪われていた、だから、教えに書いてある通りにすれば、被害者を出さずに済んだ、小学生、中学生に一人の被害も出せなかったのは大変良かった、
後ほど、津波遺構の田老観光ホテルで、担当者の話を聞いた、ここの支配人が6fの窓から撮影したビデオを見たが3fまでは骨組みだけになる大被害だった、
今各地復興工事でされているのは15mの防潮堤である、しかし、防潮堤で防げるのはそこまでの津波であり、仮に30mの津波が来たらひとたまりもない、しかも30mの津波も現実に起こるのだ、
田老の街も各地から高台に通じる非難道路が整備されていた、これを使ってすぐ逃げたら一人も犠牲者を出さずに済んだはずだった、建設費が安くすぐできる非難道路をまず整備すべきであり、防潮堤は後回しにすべきだった、区画整理、改正道路の建設はまだ途中であり、街の中には人家は少ない、
震災直後私が行った提言が実行されておれば街の復興はずっと早かったと思われる、
私の提言はつぎのようなものだ、
1.震災がれきの撤去はせず、犠牲者の調査が終わった市街地には、高台からベルトコンベアーで引いた土砂をかける、そこは地盤が安定しないだろうから、木を植えて公園にする、
2、高台を崩した後に市街地を造成し、住宅、商店、工場すべてを移す、
広大な国立公園ができ、お花見ができる、高台は土砂を削ったらすぐ住宅が建てられるので、1年くらいで復興ができただろう、漁民は住宅から港まで通勤しなければならないけど、安全を考えたらしなければならないだろう、
というものだった、広大な震災後公園は後程掘り返せば家電品や何かの掘り出しができて楽しいだろう、
というものだった、
宮古駅
三陸鉄道乗車、ここから波板海岸まで、59分の乗車、やはり、列車はよい、また三陸線の車両は窓が大きく、向かい合わせシートで、テーブルがある、景色を見たり、食事をするのにはとても良い、コーヒーとおつまみを買って乗車、この区間はJRから移行された区間で、新しい枕木、信号など一新された線路である、できればもっとたくさんの列車を運転してくれたらいいと思う、また景勝地では下車、つぎの列車に乗るように、食事もできるようにそして163キロ通して乗れるように考えてもらいたい、これだけの旅行ブームであり、三陸は行きにくいところなので、重要はあると思う、
浄土ヶ浜クルーズ
ここの観光船は大きい、三隻あったうち2隻は壊れ、残った一台は、船頭が気転を聞かせて沖合にのがれ、3日間を過ごして無事だったという、その間、カモメにやるカモメパンを食べて過ごしたという話だ、浄土ヶ浜は一カ所から見るだけがほとんどだが外洋からも見どころがある、
波板海岸花ホテルはまゆう
おもてなしと設備の整った素晴らしいホテルである、天皇陛下も2度にわたってお泊りになった、陛下が散歩され砂浜にあったハマユウを皇居におうえになったというが、その砂浜は震災の地盤沈下で少しもない、
部屋の目の前のはまに日出が見える、美しい湾である、
第3日目
波板海岸 穴通し磯と、雷岩、乱暴谷2カ所の海を見に行った、昔ここまで来たのを思い出した、雷岩はその名の通り波が通るとごろごろいうのだ、
浄土ヶ浜
目の前にレストハウスがある、極楽浄土のようにうっとりとする光景だというネーミングである
陸全高田
奇跡の一本松、7万本の松林があったのだが6999本は持ってかれてしまった、復興はまだまだだ、私の言ってる通りにしたら、松林は復興しただろう、ここは、山からベルトコンベアーで土を取り、市街地をかさ上げしている、15mのかさ上げが行われているが、まだ住宅はできていない、
仙台駅
やまびこ156号
この車両は旧型だけど、座席、インテリアなどの設備ははやぶさより良い、窓も大きい、しかし、320㌔は当然でないのだろう、車内販売も廃止されている、同じ料金を取っておりながら車内販売無しは困る、この列車福島から、山形からの列車を連結するので、1番線から4番線に転線する、7分も止まるのは困るけど、
車内で、今度のツアーで一番の紳士、淑女の人と同席になった、食事のとき一緒だった人たちである、としを聞いて驚いた、76才だそうである、
はやぶさだと仙台―大宮間無停車なんだけど、やまびこは4つも止まり、福島では7分停車お値段は一緒である、大幅に割引してもらいたいものだ、(多分団体なので割引はあると思うが)
列車も使い、このツアーはお値段も5万円と少しと高めだったけど、やはり私には合わなかった、特に新幹線は帰りなど1時間も待ち時間があったり、次回は自分で企画するようにしたい。
スマホからの写真の伝送ができなくて、文字ばかりお見せしました、これからスマホを修理してもらいに行きます。
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行きの新幹線
東京駅7:14の新幹線である、集合はなんと6:45 !!東京駅は改札外の北のはずれだ、そこで、上野駅から乗ることにした、上野は6:22なんだけど、集合しないで、列車に乗ればよい、だから列車の10分ぐらい前にホームに行けばよいので、20分ぐらい楽だ、しかしもっと良いことを考えた、上野で乗ると言って東京駅で乗ればよいのである、これで外に集合しなくてもよくなる、でも皆さんに変なことを想像されても困るので上野にした、
はやぶさ101号
この列車は仙台ー盛岡が各駅停車、一台抜かされる、だから、もし乗り遅れたら次の函館行はやぶさに乗ってくださいということなのだろう、
岩手県交通バス
盛岡駅で乗り継いだ、駅前で、乗り換えはスムーズに行っている、乗りこんでみてびっくりした、一行42人バスはぎちぎちだ、平均年齢は一見80歳、これからはツアーも平均年齢が上がって大変になるだろう、トイレがないのはつらい、バス会社もトイレ付、3列で通路が広いバスを開発するべきだろう、外国には中間に出口があり、トイレがあるバスが海外では多いけど、この型を導入すべきだろう、
竜泉洞
ここも災害の時は営業できなかったらしい、縦横に長い洞で、立派な階段が付いている、名物は地底湖、第一から第三までがみられる、透明度が高く、43mまであるという、水深は100m以上ある、鍾乳石がほとんどないのは残念であるが、高低差をひたすら階段の上り下りで大変だ、
北山崎クルーズ
日本一の海岸美と称する北山崎を海から見た、この風景は見たいと思っていた、先日きたときは時間の関係で割愛せざるを得なかった、しかし外洋から見る風景は単調で、船の速度も速く残念だった、もっと速度を落としてゆったりと見たいものである、
田野畑
北山崎で知られる、海岸美の場所である、美しい海岸の羅賀荘というホテル、大きな部屋で、景色が良かった、大浴場も上等、
第2日目
北山崎
岬の展望場所に行く、地震で展望台も壊れ、この展望台は20mくらい上に作ってある、日本の海岸美の中でも随一という風景を堪能した、
田老
震災あと地見学である、ここはもともと10mの防潮堤が3つつくられ、万善の構えがされていた、そのため、被害者も181名と少数だった、明治29年の津波は1900名近くの人命が奪われていた、だから、教えに書いてある通りにすれば、被害者を出さずに済んだ、小学生、中学生に一人の被害も出せなかったのは大変良かった、
後ほど、津波遺構の田老観光ホテルで、担当者の話を聞いた、ここの支配人が6fの窓から撮影したビデオを見たが3fまでは骨組みだけになる大被害だった、
今各地復興工事でされているのは15mの防潮堤である、しかし、防潮堤で防げるのはそこまでの津波であり、仮に30mの津波が来たらひとたまりもない、しかも30mの津波も現実に起こるのだ、
田老の街も各地から高台に通じる非難道路が整備されていた、これを使ってすぐ逃げたら一人も犠牲者を出さずに済んだはずだった、建設費が安くすぐできる非難道路をまず整備すべきであり、防潮堤は後回しにすべきだった、区画整理、改正道路の建設はまだ途中であり、街の中には人家は少ない、
震災直後私が行った提言が実行されておれば街の復興はずっと早かったと思われる、
私の提言はつぎのようなものだ、
1.震災がれきの撤去はせず、犠牲者の調査が終わった市街地には、高台からベルトコンベアーで引いた土砂をかける、そこは地盤が安定しないだろうから、木を植えて公園にする、
2、高台を崩した後に市街地を造成し、住宅、商店、工場すべてを移す、
広大な国立公園ができ、お花見ができる、高台は土砂を削ったらすぐ住宅が建てられるので、1年くらいで復興ができただろう、漁民は住宅から港まで通勤しなければならないけど、安全を考えたらしなければならないだろう、
というものだった、広大な震災後公園は後程掘り返せば家電品や何かの掘り出しができて楽しいだろう、
というものだった、
宮古駅
三陸鉄道乗車、ここから波板海岸まで、59分の乗車、やはり、列車はよい、また三陸線の車両は窓が大きく、向かい合わせシートで、テーブルがある、景色を見たり、食事をするのにはとても良い、コーヒーとおつまみを買って乗車、この区間はJRから移行された区間で、新しい枕木、信号など一新された線路である、できればもっとたくさんの列車を運転してくれたらいいと思う、また景勝地では下車、つぎの列車に乗るように、食事もできるようにそして163キロ通して乗れるように考えてもらいたい、これだけの旅行ブームであり、三陸は行きにくいところなので、重要はあると思う、
浄土ヶ浜クルーズ
ここの観光船は大きい、三隻あったうち2隻は壊れ、残った一台は、船頭が気転を聞かせて沖合にのがれ、3日間を過ごして無事だったという、その間、カモメにやるカモメパンを食べて過ごしたという話だ、浄土ヶ浜は一カ所から見るだけがほとんどだが外洋からも見どころがある、
波板海岸花ホテルはまゆう
おもてなしと設備の整った素晴らしいホテルである、天皇陛下も2度にわたってお泊りになった、陛下が散歩され砂浜にあったハマユウを皇居におうえになったというが、その砂浜は震災の地盤沈下で少しもない、
部屋の目の前のはまに日出が見える、美しい湾である、
第3日目
波板海岸 穴通し磯と、雷岩、乱暴谷2カ所の海を見に行った、昔ここまで来たのを思い出した、雷岩はその名の通り波が通るとごろごろいうのだ、
浄土ヶ浜
目の前にレストハウスがある、極楽浄土のようにうっとりとする光景だというネーミングである
陸全高田
奇跡の一本松、7万本の松林があったのだが6999本は持ってかれてしまった、復興はまだまだだ、私の言ってる通りにしたら、松林は復興しただろう、ここは、山からベルトコンベアーで土を取り、市街地をかさ上げしている、15mのかさ上げが行われているが、まだ住宅はできていない、
仙台駅
やまびこ156号
この車両は旧型だけど、座席、インテリアなどの設備ははやぶさより良い、窓も大きい、しかし、320㌔は当然でないのだろう、車内販売も廃止されている、同じ料金を取っておりながら車内販売無しは困る、この列車福島から、山形からの列車を連結するので、1番線から4番線に転線する、7分も止まるのは困るけど、
車内で、今度のツアーで一番の紳士、淑女の人と同席になった、食事のとき一緒だった人たちである、としを聞いて驚いた、76才だそうである、
はやぶさだと仙台―大宮間無停車なんだけど、やまびこは4つも止まり、福島では7分停車お値段は一緒である、大幅に割引してもらいたいものだ、(多分団体なので割引はあると思うが)
列車も使い、このツアーはお値段も5万円と少しと高めだったけど、やはり私には合わなかった、特に新幹線は帰りなど1時間も待ち時間があったり、次回は自分で企画するようにしたい。
スマホからの写真の伝送ができなくて、文字ばかりお見せしました、これからスマホを修理してもらいに行きます。
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