東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

台湾の南端にいく

2009年02月14日 07時02分00秒 | 海外旅行
朝食、あまり泊まっていないようだ、僕らが一番である。



タクシーで駅に行く、
勝手知ったる高速駅で切符を購入、ここには、敬老窓口が有って便利だ、左栄(高雄)まで、商務車(ビジネスクラス)敬老で購入、商務車は貸切である、



300キロの運転であるが、きわめて静か、駅を通過するときは通過線に塀があっていい、駅の設備は日本よりよく考えられている。

飲み物、新聞がサービス、



乗客はわれわれ2人なので、サービス係は手持ち無沙汰、ウーロン茶のお湯を2回も変えてくれる、この列車は台中にとまるだけ、終点は台鉄駅と共同である、駅はすごく込んでいる。

左栄の案内所で南下のバスを調べた、3番出口のすぐ下で待っていた、



すぐ発車である、うわあ、

 すごくゆれる、

スプリングが壊れているに違いない、2階建てのバスなのに。
高速道路に入る、高速は無料だ、壊れたバスは爆走、ドンと衝撃がくる。
その後も中央分離他のある高速並みの4車線である、

実はこの高雄で、2009年のワールドサッカーがおこなわれるんだって、

">

途中便当を売りにくる、なにしろ3時間!!!である、



渋滞である、コレは重態かな、



すごい事故だった、3台が、めちゃめちゃに壊れている、道路が長く封鎖になるかと思ったら警察がきて、対向車線に一車線の道を作ってまもなく開通した、死者は出なかったのだろうか心配である。



終点の町懇丁まで3時間ながかった、一番南のはずれだからうんとひなびた町を想像したらそうではなく高雄までのバスも10分おきにあるのだった、ここは町であり、岬のガランピまでは1時間に一本のバスを待たなければならない、

タクシーもなさそうということで、とりあえず、万頭屋さんに入る、

そうしたらこの万頭屋のおばあさんが日本語が上手、アクセントは日本人並み、昔の秀才なのだ、ご主人は、産婦人科の医師で、学校ではトップだったそうだ。



戦後、台湾は、日本語をやめなければよかったのだ、だけどみんなそんなこと考えなかったのだろうな、困っていると、旅行者のオヤジが寄ってきた、この人はまったく日本語ができない、旅館代1000円、観光半日コース2000円だ、

これにきめる。

ここにはたくさんの観光地がある、うつくしい、おじさんがついてきてくれるがそうでなければわからないところだった、



南端はガランピである、



もうみんな海に入っている、バナナボートなんか楽しそうだ。



ガランピの美しい灯台では、結婚式が行われていた。



出火

山が2箇所見えている、昭和新山のような新しい山かと思ったら、



山を見るのではなく、くぼ地の中央にいってみろという、ガスが噴出していて火がついている、ポップコーンや、焼き芋を焼くのだ、ほかにはこんな場所はないなあ、天然ガスを掘ったらどうだろう?



なぎさの車コースー
トラックを改造して乗るようになっている残念ながら5時になって乗れなかったが果たしてどんなになっているのだろう、ここの海岸は波がものすごく高いのだ、

ガランピほかの海岸線
ものすごくきれいで変化に富んでいる、



最後の海岸に出ると月がきれいに出ていた。



夜、目の前の通りに夜店が出てすごい活気がある、まさかこんな都とは思わなかった。



お食事、音楽のかかるお店で、
5点660元(2000円)だったと思う、おいしい。



ホテルは新築で熱いお湯がでるのはいい、1000元(もう少し安いとこは800)

ナガーイ文章読んでもらってありがとうございました。