MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

甘えるのは下手

2013-03-04 00:00:00 | 生活・法律

03/04         甘えるのは下手




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                  甘えるのは下手
                   甘かった私




 私の手元には、古い本があります。

  ・ 俳句歳時記 春の部 (角川文庫)
  ・ 俳句歳時記 夏の部 (角川文庫)
  ・ 新改訂版 俳諧歳時記 春 (新潮文庫)
  ・ 新改訂版 俳諧歳時記 夏 (新潮文庫)




 上井草園の職員さんたちが、最後まで、母のすぐ
身辺に置いてくれたものです。 どれも、すでに茶色
く変色しかかっていますが。



 「これだけは一緒に持ってきてほしい。」

 母がそう私に命じたもので、独居生活を終え、園に
入所する際の指示です。

 「ほかは全部要らないけど、この四冊だけは…。」



 そのほか、荷物を整理してみると、写真アルバム
が何十冊も! 中から数冊だけを選び、併せて園に
置かせていただきました。

 古い白黒の写真ばかりで、母の少女時代。 その
何枚かは、この場でもアップしたものです。



 では、その大切な本やアルバムを、本人は園で何回ぐらい
開いたろう?

 私は、おそらく一度も見ていないと思います。 右眼の視力は
無く、また手足など、右半身が特に不自由になっていたから。



 「あれを持ってきて、自分に見せてくれ、読んでくれ。」…と、
職員さんに頼もうと思えば、出来たかもしれませんが。

 (別に、遠慮したわけではないだろう。 今この状況を生きる
のに、「本や過去の写真を見ても意味が無い。」 …そう考えた
に違いない。) 私の想像ですが。



 考えようによっては、“意地っ張り”。

 母にはそんな面がありました。




 しかし一つだけ、本人が職員さんに懇願したこと
があります。

 それは、「俳句を詠みたいから、書き留めてくれ」
…というものでした。



 母は、ある句会に所属していました。 月一度の例会に出席
し、事前に投句しておいて、メンバー同士が鑑賞し合うものです。

 あるとき、「FAX の機械が欲しい」…と私に言ってきました。

 「何句かを、お世話係に送る必要があるから」…という事情
だったのです。




 以下は、独居時代の最後の時期に詠んだ句で、身体
が不自由な本人に代わって、私が FAX したものです。

 中には、専門家による選句・短評が、後から付け加え
られたものも。



         2008年2月



   張替えし 障子明るく 春書院



   春の雪 生毛擁して 山の在り



   建ち掛けの 木肌の白さ 春の冷え



   雪国は 春の雪とは 言ひ難し



   椿咲き 川を彩る ために落つ

 咲いて人を喜ばせていた椿が落ちてなほ
川を彩るといふ俳人の目を感じます。




 しかしこの後は、家の中で転倒を繰り返すことになります。
室内の段差を解消したり、壁などに手すりを付けてもらって
も、効果はありませんでした。

 ケアマネジャーさんからたびたび連絡を受け、何度も私
が急行せざるを得なくなりました。 入院、転院を繰り返し、
やがて投句も、句会への参加も不可能になります。




 園に入所してからは、私の顔を見ると、何度か頼んで
きたものでした。 いわゆる “口述筆記” で、それを私が
FAX するのです。

 都心で開かれた句会の例会に、車で連れて行ったこと
も、一度だけありました。 車椅子を園からお借りして。



 しかし、この口述筆記が、だんだん難しくなっていった…。
本人の発音が不明瞭な上、日常生活では使わない語も、
俳句ではあるから。

 不規則な字余りも、私にとっては悩みの種でした。 また
漢字にするか、かなで書くか…という問題もあったし…。



 やがて、私が足繁く通わなくなったので、私には見切り
を付けます。 投句を諦めたのでした。

 でも、ちゃんと言っておいたのに…。 「句が浮かんだら
さ、職員さんに頼んで、電話してもらうんだよ? いつでも
聞き取りに来るからね。」



 この件で電話がかかってきたことは、結局一度もありま
せんでした。 「息子は忙しいから」…と、変に気を遣った
のかもしれない。 でも、却ってやりにくいんですよね…。

 (そんなに大事なことなら、うまく人を動かせばいいのに。
まったく、甘えるのが下手なんだから…。)




 その点、父親のほうが扱いやすかった。 別の施設で、
医療老人ホームに20年間お世話になっていましたが、
頻繁に電話してきた。

 「今度いつ来てくれるの?」



 行ってみると、壁のカレンダーの数字が赤丸で囲まれ、
私の名前も大きく書いてある。 楽しみにしていてくれた
のが解ります。 これでは行かないわけにはいかない。

 こちらは2009年夏に他界しています。




 さて、困った母は、「詠んだ句を、せめて書き留めておいて
ほしい」…と、職員さんに頼むことになります。

 それにしても、大変な労力が要りますよね? 聞き取りに
は、おそらく膨大な時間がかかったことでしょう。



SN3R0396



 しかし職員さんたちは、母が詠んだ句を、ちゃんと残して
おいてくれました。 それも綺麗に書き留め、壁に貼って。

 目の不自由な母も、自分の句が壁にかかっていることは、
ちゃんと解ったでしょう。 台紙の色が鮮やかなので。




 以下は、そこに掲げられた、最後の7つの句です。

 なにぶん素人が詠んだ句ですので、お見苦しい
とは思いますが、どうかご容赦ください。




   おお渡り鳥 鎮守の森に 宿かさん

       2009年12月26日



   見上げたる 駅の屋根より 初烏

       2010年1月28日



   めずらしや 海いつりばし 波しぶき

       2010年3月17日



   ブランコブラブラ蓮池や

          花吹く風の かんばしや

       2010年4月



   梅雨空が 通りすぎれば 夏の空

       2010年6月30日



   夕色の水 底まで見えて 我が同じ

       2010年8月23日



   秋る戸を 石神井池は ともにすみる

       2010年11月




 俳句の素養が無い私には、専門的なことは解りません。
でもそれなりに、母が最後に辿り着いた心境が、少しは
理解できるような気がします。

 独居時代の句が 「“足し算” で構築されている」とすれば、
こちらは自然の事象に自らを委ねつつ、思いを率直に吐露
しているように感じられるのです。



 “全介助” の状態になり、24時間、職員さんの手に自身を
委ねるしかなくなった。 他人や、息子の私にまで、面倒を
かけるのを嫌っていた、あの “強い” 母が。

 自分が “弱い” 存在であることを認識して初めて、人間
は変わる。 …そんなことも、きっとあったでしょう。



 職員さんたちの熱意に対して、少しは感謝の念を覚えて
いてくれたらいいのですが…。




 歩けない、手も不自由、右眼は見えない、舌も回らず喋れ
ない…。 そんな中で、耳と頭脳だけは健在だったようです。



 「こちらの言うことは解っておられるようです。」 職員さん
たちもおっしゃっていました。

 最期は、私の語りかけに対しても、下顎を動かして応えて
くれました…。




 「はばかりながら、教師の娘だい。」

 あるとき、職員さんたちに口走ったセリフ
だそうです。 まだ喋れた頃に。

 バカ…。



 父親は小学校の校長。 二人の兄は、経済学者と
ドキュメンタリー映画監督。

 自分を育ててくれた三人の “男性” に対して、きっと
最後まで、熱い思いを抱いていたことでしょう。



 (そのプライドが、他人 (ひと) を傷つけることもあった
けどね。 表現意欲だけは、大したものだよ。)



SN3R0397




 上井草園の職員さんがた。 ケアマネジャーさん。

 その他、様々な場面で本人に愛を注いでくださった
皆さま、本当にありがとうございました。