おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

村下孝蔵の母校の先輩が還暦同窓会を行いました

2009年10月11日 16時49分01秒 | 日記
昨日、昭和40年、卒業の水俣第一中学の還暦同窓会に出席した。午前中、幼稚園の運動会予行を行って、すぐ水俣に向かった。こういう時、新幹線は早いので確かに「便利」であある。2時半から母校を訪問。校舎が建て変わっていたけれど、概ね位置は変わらず、運動場も元のまんま。クラスマッチで伝統行事として行われていた相撲のやぐら、土俵はなくなっていた。このイベントだけは嫌で嫌でしょうがなかった。まわしをはめなくてはならなかったのだから、多感な少年の私としてはお尻を剥き出しにするのに抵抗があった。
校長室で現教頭先生から今の状況を説明していただいた。話の中心は村下孝蔵のこと。彼はだいぶ下なので余り興味はなかったのだが、同級生にそのお兄さんがいて、東京からこのために帰郷していたので教頭先生の話に熱が入った。新聞社に記載された記事、村下が「初恋」の作った時の思い出話も出た。なにしろ当時「団塊の世代」らしくものすごい数で、中学校全体で1000名を超えていたという。現在は280名、統合の話が出ているという。名前を何にするか検討されているという。ナンバースクールの一等「1中」が自慢だっただけに寂しい気もする。
この後、神社にお参りに行って、お祓いをしてもらってから、同窓会会場に向かった。
45年ぶりに会う、懐かしい顔顔。誰だかさっぱり思い出さない人も多く、クラス毎に席を作っていたのだが、特に異性はほとんどわからなかった。71歳の担任との再会。やはり感激した。バレー部に所属していたが、私が前衛のセンター、Y君が中衛センター、N君が後衛センター。立て3列が親友であった。久しぶりの再会。嬉しくてならなかった。N君も定年したばかり、Y君は東京で勤めていたJTを早めに辞職して帰郷。今、農業に勤しんでいるという。
司会は以前、水俣市長選挙に出たK君。彼はずっと1番か2番だった。選挙には落ちたが、流石に記憶力抜群で、スピーチも巧みで少しも飽きさせない、時にユーモアもいれ楽しく過ごすことができた。地元に残っている仲間がすべて準備してくれたのだが、愛嬌たっぷりの舞い踊りのサービスもしてくれた。
大分、飲んで、二次会に誘われたのだが、「明日が最後の運動会だから」と辞し、帰った。帰りも新幹線で。新水俣駅、9時50分構内だーれもいない。乗車客、私とだれかもう一人。そんな構内の写真だ。大変な作りの駅舎なのだが、果たして費用対効果の面から考えてどうなのか・・・しかし何はともあれ楽しい一夜ではあった。