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おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

夢の世界

2013年07月31日 07時11分34秒 | 日記


夢は自分の中のもう一人の自分が眠りの中の仮意識に現れるものだろう。

私は殆ど夢を覚えていない。夢の中で強烈な思いを感じたとしても目が覚めたときにはすでに意識から消えている。

最近見た夢でしっかり記憶している夢がある。

一つは冷や汗を掻くくらい恐い夢だった

眠りに着く前には必ず本を読む習慣がある。その所為か?当時読んでいたものとは関連なさそうに思うが・・・

それは何故か自分が死刑の判決を受けて、その執行を待っている。

思春期に入って最も悩んだことは人間の死ということ。いつか死を迎えねばならない事実に、その恐怖に慄いた。考えると頭が狂いそうになるほど怖かった。特に高校から大学の頃、ノイローゼになってしまうのでは・・・と不安だった。

実は還暦を過ぎてもその思いは変わらない。先日哲学の森岡正博の本を読んでいたら同じ思いが記していたので驚いた。

人間の存在の証明は自意識があるということ。M.トゥーリーという人が唱えたもので、自意識が存在しなくなった時、その人は死んだも同然だと。これが脳死移植や堕胎に繋がっていく。

ところが自意識は厄介なもので強制的な死を前にした時、例えば戦争で敗れて戦犯として死刑が宣告された際、「八重の桜」で描かれたがあの西郷頼母の一族は頼母を戦場に送り出した後全員うち揃って自死している。フランキー堺という名俳優がいたが、彼の「私は貝になりたい」は戦犯で殺されていく悲哀そして恐怖を描いていた。

その13階段を前に、恐怖と不安に身もだえする。病気で死ぬ時には全身の機能が衰え意識が薄弱になっているの死への恐怖は殆ど感じないですむだろう。しかし、強制的に与えられる「死」は完全に自意識の中にあるのだから、いろいろと想像をしてしまうのだ。

憲法改正に反対する一つの理由は戦争により近付くことをどうしても避けたいと思うから。滑り坂論というのがあって、軽い一つの決断をしてしまうと次々に坂を転げ落ちることになる。日中戦争から太平洋戦争へ雪崩れ込んでいった歴史を繰り返してはならない。

戦争は殺し合いだ。殺さなければ殺されるという理不尽が強制される。そして負ければ戦犯として断罪される。

うめき声を上げたかもしれない。このまま夢を見続けたくないというもう一つの意識が目を開けさせた。夢から帰還した時にも夢の中で感じていた戦慄が体に明らかに残存していた。



もう一つは楽しい夢。どこか野球場の通路なのか一般道なのかわからないが、ばったり日ハムの中田翔君にあったのだ。
以前東京のホテルのロビーであったプロ野球のピッチャーに駆け寄って「私はずっとファンでした」といって握手したことがある。再び「僕は中田君を心底応援しています」と言葉をかけると、彼は徐にバッグを開いてジャンパーやシャツを出して「これを差し上げます」と私にくれたのだ。

何で中田?プロ野球は見ない。新聞やニュースで見るくらいなのに・・・中田の豪快なバッティングは好きなのだがー

まさか夢の中に出てくるなんて驚きだ。

夢は天衣無縫、だから夢なのだ、きっと。