むかご歳時記

 むかご(零余子)自然薯芋の葉腋に出る芽
むかごのようにデジカメで撮った写真を粘り強くUPしてみよう

シルクロード5日目(クチャ~カシュガル)

2006-10-22 11:19:07 | シルクロード
今日は再度の南疆鉄道の旅でいよいよカシュガル(喀什)入りだ。
早朝Am2:51分の列車に乗る為に1:30起床2:00ホテル発のスケジュールだ。
大きな荷物のトランクはホテルのロビーからクチャ駅のホームまでポーターさんが運んでくれる。
いつも感心する”張さん”の気配りで有り難い。
駅に着くと列車は約30分の遅れらしくAm3:00に再度軟座ベッドに乗り込んだ
この鉄道の切符は始発から終着までの通し切符らしくて、
クチャから乗る場合も始発のウルムチから終着のカシュガル駅までの切符を購入するシステムだそうだ。
料金は529元と書いてある。したがって先日乗った区間も切符を又、買うことになる。
カシュガル到着時間はam11:51分で約9時間の列車のたびである。
カシュガルはウルムチに次ぐ新疆自治区第2の都市で人口凡そ34万人のうちウイグル族がおよそ77%で
イスラム世界を思わせる中国最西端の町であり、
紀元前からシロクロードの交易中枢地として発展してきた街だ。
カシュガルとはウイグル語で”玉のような場所”と云うらしい。



am3:00乗車の軟座コンポートメント上下二段の四人ベッドで結構ゆったり出来る
深夜に移動したのでもう寝れないかと思ったが結構眠れた。
列車が駅に着いても別にマイク放送するわけでもなく、静かに停車、発車していく。
女性の車掌さんが沢山乗っていて世話をしてくれる。




朝食の食堂車野菜主体の料理だった。
朝からビールも売っていた。



食堂車の飾り絵”五牛図”と書いてある。




車窓風景
相も変らぬ車窓の天山山脈と荒地風景を眺めていたら
新駅でも出来るのか?、線路の横で結構大きな工事をしていた



12:15分、カシュガル駅着
到着駅の案内も無いのでホームの標識を見て、”ア!”カシュガル駅だ!で、
みんな降り始めた。
マア終点だから別に急ぐことも無い



現地案内人の熊さん(漢民族と名乗っていた)案内で最初の観光地
”香妃墓”に行った。
この辺りを支配していたイスラム教徒の娘が
清朝皇帝の乾隆帝に嫁ぎ北京での生活での心労などで、
38歳で亡くなり、3年掛けて亡骸を北京から運びここにお墓を造ったそうだ。
この入り口の塔の中の建物にお墓は有るが撮影禁止である



建物の隣のイスラム教のお墓
上部が円形が特徴である



観光客用の駱駝
中国人の観光客が乗ったので駱駝が立ち上がるところ



  物売りの少女たち”イチゲン(一元)イチゲン、ジッコデジュウゲン(10個で10元)”と上手な日本語で
話しかけて近寄ってくる。
少し離れた処に品物を沢山抱えた”ボス”のオバサンがいて子供たちに売らせている。
バスの窓から写した



ホテル玄関での歓迎ダンス
今日の宿泊ホテル”色満賓館”旧ロシア領事館を改装したホテルだそうで
ウイグル料理の昼食を取ってその後部屋に入り、16:30迄”お昼休み”




ダンスが済んだ娘さんに”一緒に写真を撮らせて欲しい”と同行者が云ったら
”お金をくれないとダメだ”と云われていた。
そのスキに一枚パチリ



お昼休みが済んで午後の観光地

ウイグル自治区最大のイスラム教寺院「エイティガール清真寺」
建物内で3000人から8000人位のお祈りが出来るらしい。
年に一回の最大の祭り”ウルボンドローズ”(間違っているかも知れない?)
では広場の石畳いっぱいに各地からイスラム信者が集まり
その数およそ10万人位の男性信者が一斉にお祈りをするそうだ。
その周りを女性や、異教徒達が取り囲むそうだ。




靴を脱いでモスク内の礼拝堂に入らせてくれた。
この絨毯の一つのますが一人分のお祈りスペースらしい。
同行者が座ろうとしたら、異教徒が座る事は禁じられていると注意された。
それにしても、ウイグル族、イスラム教徒は人が良く
結構おおらかな人物との感触を得た



モスクの見学を終えて次の目的地バザールに行った。
ここでもパスポート貴重品の管理は厳重にするように注意された。

写真は新鮮な羊肉の切り売り風景



バザール内の絨毯織りの娘さん
さすがにこの辺りのシルクの絨毯は一流品だそうだ
玄関マット位のサイズだったら、持って帰れたのに
家を出る時の準備不足でサイズが分からず買うことが出来なかったのが惜しかった



並んでいるのはリンゴではなくザクロだ
大きくて美味しかった。

夕食は中華料理を食べた

夜、又池田さんと散歩に出かけた。ここもラマダンで日暮れからは賑わっている
地図と売店の娘に聞いた通りを散策した。
あちこちで、喉自慢大会、社交ダンス、出店など等賑やかである
酒屋があったので現地酒を買って帰ってホテルで栓を開けたが
匂い、口当たり共にきつ過ぎた。

23時過ぎにホテルに戻ったらまだ売店のウイグル娘の子がいたので暫くおしゃべりをした。
ここいらの土産物屋の店員は皆日本語が上手でいくらでも会話が進む
彼女らもせっかく覚えた日本語を沢山話したいようで、お客さんもいないので
お喋りを楽しんだ
名前は”汪麗花”と言った。23歳で両親と弟の4人家族で歩いて5分くらの所に自宅があると言っていた。
この地方は11月になると寒くなり観光客も殆ど来なくなるので2月位までは
売店もお休みになると言っていた。
営業中でも給料は安く商品を売れば少し手当てが付いて給料が多くなると言っていた
24時に店を閉めて朝は7:30分に開けると言っていた


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