2016年5月5日 安養院のツツジを見た後、 材木座海岸へやって来た
初夏のような強い日差しの中、沢山のウインドーサーフィンを楽しんでいた
江の島がやっと見える程度で遠くは霞んでいた
砂浜ではお子様連れの家族が波打ち際で気持ち良さそうに遊んでいた
左が江の島で中央に展望台が見えて、右の半島が夕日撮影のポイント稲村ケ崎だ
手前の砂利は和賀江島で今日は潮が引いているのか随分と出ている
5月5日の「こどもの日」 小さいお子様の家庭は子供に大サービスだ
まだまだ海水浴にはほど遠いが海に入っていると気持ち良さそうだ
今日は気温が上がって25度の夏日になった
材木座海岸の南の方へやって来た 潮がひいて岩場が顔を出している
子供と一緒になって大人も楽しそうに石をひっくり返して小魚を追い回していた
カメラで撮りながらも童心にかえり一緒になって興じた
干潮で現れた大きな岩の上に、和賀江島の石碑が立っている
石碑の文字が読めるように拡大した
大正13年3月建 鎌倉町青年団との銘がある
手前の石のがれきの部分が嘗ての築港の後で和賀江島との事だ
そこで和賀江島(わがえじま)について調べて見た
『 和賀とは今の材木座の古い名前であり、この場所が昔は、いかだ木(材木)が集散する
港だったことから、やがて現在の名(材木座)がつけられるようになった 』
また
『 和賀江島は鎌倉時代に東国の貿易の拠点として開発された日本最古の築港遺跡です
鎌倉時代には極楽寺(鎌倉市極楽寺)により管理され、日本各地や遙か宋(現在の中国)
の国との貿易で大いに賑わっていました しかし遠浅で船荷の揚げ降ろしに不便だった
ばかりか、難破する船も多かったため、勧進上人往阿弥陀仏が北条泰時の協力を得て
伊豆石などで島を築きました 江戸時代までは港として利用されていましたが、度重なる
震災や老朽化により現在ではその面影として石のがれきを残すのみとなっています 』
と説明が出ていた
磯遊びを楽しむ家族連れで賑わっていた
逗子マリーナの高い海岸から見下ろすと
こちらでも家族連れが磯遊びを楽しんでいる様子だった
今日は霞んでいて、江の島がかすかに見える程度であった
富士山も夕日も期待出来そうもないのでこのまま引上げた
鎌倉駅に着く頃には西の空は白く曇っていた
2016、5、5 撮影 鎌倉材木座海岸にて