京都の中心部はまっすぐの碁盤の目のように道が通っていますが、
そこから四方八方へ伸びる道はうねうねと曲がっています。
その曲がり加減をエルゴノミクス(人間工学)的な曲線と呼ぶそうです。
実は最近初めて知った言葉です。
私にとって大原街道(若狭街道、鯖街道)、鞍馬街道、白川道(志賀越え道)はとても身近な街道です。
平安時代頃から人々が往還してきた旧い道らしいです。
でも自転車で知らない道を走っていても、
あっ、ここは旧街道かな、って感じて嬉しくなる道があります。
それがその道の曲がり具合のせいかどうか分かりませんが、
なんでか、感じるのです。
曲がっていて遠くが見通せないそんな道に、
美味しい和菓子屋さんが見つかったりすることもあります。
軒の低い旧い家があったり、
石の道標や、おじぞうさんも。
町から町へ、村から町へ、海から山へ、山から村へ、
人が歩くことによって出来た道だから心地いいのだと思います。
そしてどこまでも行ってみたくなるのです。
そこから四方八方へ伸びる道はうねうねと曲がっています。
その曲がり加減をエルゴノミクス(人間工学)的な曲線と呼ぶそうです。
実は最近初めて知った言葉です。
私にとって大原街道(若狭街道、鯖街道)、鞍馬街道、白川道(志賀越え道)はとても身近な街道です。
平安時代頃から人々が往還してきた旧い道らしいです。
でも自転車で知らない道を走っていても、
あっ、ここは旧街道かな、って感じて嬉しくなる道があります。
それがその道の曲がり具合のせいかどうか分かりませんが、
なんでか、感じるのです。
曲がっていて遠くが見通せないそんな道に、
美味しい和菓子屋さんが見つかったりすることもあります。
軒の低い旧い家があったり、
石の道標や、おじぞうさんも。
町から町へ、村から町へ、海から山へ、山から村へ、
人が歩くことによって出来た道だから心地いいのだと思います。
そしてどこまでも行ってみたくなるのです。