marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(480回目)仏教のお経の学び。死後への儀式に関心を持たれよ!

2018-02-15 22:18:31 | 日記
 寒い時期につらつら思った、死後の事、その儀式その三です。
 再度書きますが、当たり前のこと、それは今、生きている僕らは必然的に肉体の死を迎えること。古代から、この解消は大問題であった。死んだらどうなるだろうかということ。今も本当はそうなのだが、流布された多々のそれなりの正確でもない教えが充満されているので、それでひとまず満足するということになっている。実はこのことは死後の世界のことばかりではないのです。今も、僕らは霊をもって、あるいは霊によって影響を受けて今生を生きているということになっているのです。ほとんどの人はそんなこといちいち考えてもいないのだが。で、先のブログの続きです。
◆仏教のいずれの宗派もほとんどが、涅槃に行くにはとてもとても長い時間がかかるというのです。真言宗では、今も生きているいう弘法大師(空海)さんと共に長い旅に出るようなので(精進のため、これは死者と共に、それから現に生きている我々も弟子となって今生を生きなくてはいけないということになっているようでした)親父の場合、お棺の中へは旅支度をして入れて挙げた(お袋の場合はキリストも信じていたので、あっちに行ってから必要だったら身に着けてくださいとお棺に入れて身には着けなかった)。
◆仏教の宗派の中には阿弥陀様が迎えに来るからと掛け軸の阿弥陀様の手に紐をつけて死ぬ間際の人に持たせたということも過去にあったそうな。決して笑えない、第一僕らはわからないのだから・・・。けれど、いずれ何らかを信じている人は、誰かが迎えにくるような、それで仏教では三途の川を渡る? キリスト教では天使が? お花畑のとてもきれいなところに行くらしい。それはさておき、煎じ詰めると問題は、今の僕らは(というか人間は)罪があるのでそう簡単に天国には行けないということなのです。問題はここにあるのだ。仏教の場合は生まれ変わって精進して、でない場合は畜生になったり、餓鬼になったり転落と・・・。
◆真言宗智山派 総本山智積院 からのお弟子になる場合の、あるいはなってからの(死者も今生に生きる人も共にお弟子となってお勤めし精進し続ける・・・)儀式として、式文を見てみます。法要の時、お寺からいただいたのが弘法大師さんの筆により題字『智山勤行式』なる式文。初めに懺悔の文(ザンゲノモン)、これはキリスト教で言えば、罪の懺悔。次に三帰礼文(サンキライモン)、「仏、法、僧」それぞれに帰依すること。次は、お弟子が守り努力する10の戒め、十善戒。このあと発菩提心眞言、三昧耶戒眞言、開教文、般若心経、光明眞言、御寶号、普廻向。ここで眞言と書いたのがサンスクリット語の例の呪文です。(それなりの霊力が起こるようだからと一応敬意を払いとやかく書ない。意味はネットで検索されたしです)。
◆どの宗派でも大切にされ出てくるのが『般若心経』。解説書の書店で手に入りますが、「色即是空、空即是色」は同じ解説でも他のところは多少ニュアンスが異なる解説の模様です。いずれ、実際はこうなのだよ・・・という解説、つまりすべての思いのしがらみを捨て去って般若波羅蜜多の眞言を唱えることがすべての苦しみから救われ、悟りを得ることなのですという。それが、最後の「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆賀」という箇所、これが肝心の眞言ということ。(音を拾うためか、ものの解説により書かれている漢字が違うぞ! そわかなど・・・「ギャーテイ、ギャーテイ ハラギャーテイー ハラソーギャテイー ボジソワカハンニャシンギョウ」)。話は飛んで、小泉八雲(ラフカデオ・ハーン)の書いた怪談「耳なし芳一」の耳に書き忘れた呪文はこの「般若心経」。それと・・・この最後の猫ちゃんを踏みつけたような響きの眞言はシュメール語とのこと(世界史を学んだ人は知っている。シュメール・アッカド時代と言えば、これまたとてつもなく古いメソポタミア文明の昔、宇宙人と繋がっていたのではないかという程の不思議な文明まで遡る)。で、敬意を払って呪文は呪文、ありがたいのだろうけれどよく分かりません。分からないからありがたいのだ・・・とも言えますが、旧約、新約とも聖書的には、責任を負わねばならないのは神の似姿に創造された人であって、残念ながら呪術のようなモヤモヤは許されません。仏教の限界でもあります。(他の宗教は言わずもがなでありますが・・・。)
◆キリスト・イエスが来られたのは、事実の開示。僕らが生きているこの世界とそして人の肉体と霊と、死後の行く末の事実です。・・・ 続く