marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(481回目)再び 『十字架のキリスト以外に福音はない』(ガラテヤの信徒への手紙から)

2018-02-16 19:38:18 | 日記
 ここで掲題の新約聖書、使徒パウロが書いたガラテヤ人への手紙の中の一節をあげた。ローマ人への手紙も是非、読んで欲しいのです。昨年は、宗教改革から500年、この国のキリスト教会でマルチン・ルターのことがどれだけ学ばれたか知らないけれど。彼の書いた「キリスト者の自由」という小冊子の中には、「新約聖書への序言」で、聖書を読むのであれば、ヨハネ福音書、そして、ローマ人への手紙、それにガラテヤ人への手紙をまず読みなさいと勧められている。そこには、肉としての人間、霊を吹き込まれて生きている人間、罪のこと、その解消としてイエスが来られ十字架に掛かられたことが書かれている。イエスが来られ、人が霊を持ち生きる、そして死後、霊ともに永遠の世界に入れる法則が開示されたことを、神学的に「(人類の)終わりの始まり」と言われる・・・。
◆イエスが来られたのは、天地を創造し、最も愛され創造された人の条件無く総ての人の天国への帰還、そしてともに永遠に生きることの出来る条件が書かれている。パウロはそれを信仰の法則と言っている。イエス御自信、父が使わした自分を信じなさいと、それが父の願いであり、信じることが義と見なされる信仰の法則であると話されていることになるのです。「生きて私を信ずる者は死ぬことがない」と。ただ、これだけなのです。それは、長い長い精進の旅をし、生まれ変わり、あるいは転落し、畜生や餓鬼の世界にいくか・・・いろいろな今生の魂の旅について仏教の教えに対し、今やイエスが、その「霊と肉」の事実を示され、その解消の為に地上に現れたということになるのです。何か難しいことを覚えなければならないのだろうか? 全くそうではないのです※ルカ伝第23章41節、42節を読んで欲しい。地上で最も初めにイエスとともにパラダイスに登った男の言葉が載っている

◆再度、書きます。仏教におけるとてつもなく長い旅は、人の持つ(その個人の生、その個人以前の誕生までも引きずっている)「罪」があるためにその精進として繰り返し、今生に何度も何度も生まれ変わり精進していくことに他ならない。これが、その罪をイエスが十字架上で総て身に受け、信ずる者のその罪の解消として犠牲として肩代わりしてくださったということなのです。ですから、イエスを信じた者はこの世への生まれ変わりはありません。目覚めた時は、イエスを身にまとって永遠に生きる天国にいる、ということになります。ベストの状態でです。

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 (22)それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。(23)すなわち、総ての人は罪を犯したため(原罪を持っている)ため、神の栄光を受けられなくなっており、(24)彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。(25)神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見逃しておられたが (26)それは今の時に、神の義を示す為であった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。(27)すると、どこにわたしたちの誇りがあるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。 (新約聖書『ローマ人への手紙』 第3章22節~27節)
  *************************************************・・・続く