marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(483回目)書かれていることは一つ、霊と肉体とその行く末と・・・

2018-02-18 19:46:37 | 日記
 この寒い季節にストーブの前でつらつら思うことその六。
 霊と肉体と、その後の行く末について、僕らはしっかり自覚しておかなければならないこと。それはそのようになっているという霊の法則で事実であるということ。ですから、これは、心の安らぎとかという気分的な事柄を越えて、流布されているような宗教ジャンルを越えている内容である、ということ。
◆そして、その中で、人間界の中に「霊」は歩み、あるいは、肉体に影響を与え、様々な霊に惑わされているのが普段の僕らであるとすれば、無論、その中には悪霊もあり、人を死に招き入れるものもある(それに憑依され事件を起こしてしまう人間も出てくるという始末である)、であるから、聖霊を受けよ、私(イエス)に繋がっておれ、としきりに勧められるのである。これも気分や気休めではない、信ずる者には、事実として体現されるというのである。キリスト者が、アーメン(確かにその通りです、信じますという意)を唱えるのは、信条ごときお題目や呪文ではなく、触れることのできる実態として体現できること、そのものなのである。キリストの復活は、まさにそうだったということになります。それは、もっとも長命だったと言われるヨハネの第一の手紙の冒頭に書かれている、それは、・・・
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 初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目でみたもの、よく見て手でさわったもの、すなわち命の言(ことば)について・・・(ヨハネの第一の手紙第1章第1節)
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◆聞いて、目で見て、手でさわって・・・とある。観念的な、ましてや意味不明な呪文でもない、この僕らがこの制限のある三次元の人間世界の中で確認ができている事実(アーメン)であるということです。とくに、キリスト教の中でも、意味不明となりやすい、やはり創作ではないのかというような話になりやすいもの、それは、マリアの処女懐妊やイエスの復活でしょうが。何故か僕は全く疑っていないのです。疑い深い僕個人のいろいろな経験からですが・・・。さて、ヨハネの手紙の続き第2節から4節はこう続きます。
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(2)この命が現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父とともにいましたが、今やわたしたちに現れたものである・・・(3)すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子(みこ)イエス・キリストとの交わりのことである。(4)これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。(ヨハネの第一の手紙第1章第2節~4節)
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◆ヨハネによる福音書第三章に、イスラエルの教師ニコデモとイエスの会話が出てくる。霊から生まれるものとしての有り様を語るがこの地上の人間の霊のことが述べられているのに信じなければ、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか(11節)とニコデモはイエスに叱責を受ける。そしてこうイエスは語る。「(15)それは、彼(イエス、自分)を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」と。それに続く16節は、特に有名な聖書の言葉である。
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(16)神はその独り子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子(みこ)を信ずる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
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