marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(26回目)

2016-06-16 20:38:11 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆  早速、昨日のつづき第1章19節から・・・。先の事柄が理解できていない、つまり予備知識もない、ましてそれが伝統的に何千年と語り続けられてきた事柄で将来にも我々が、事実生きている間にこの目で確認できるかもしれないという言われが当然のように周知されていた時代において、「言われ続けてきたそのこと」とは、メシアでないとすれば、エリアか、さもなくばあの預言者か に対してこの洗礼者ヨハネは、預言者イザヤの言葉で返答をした。19節から28節については、我々異邦人には、ちと分かりにくいが当時は当然のように了知していた内容だったから、そんな群衆やら祭司やらの先理解しているはずであろうことについてユダヤ人たちが祭司やレビ人を使わして、あなたは誰なのかと洗礼者ヨハネに尋ねさせる。(と言うわけだ)        
◆それでは、引照を引いてみましょう。(1)メシア(キリストのことで、当時の救い主とは、ローマの属国植民地のような事態であったので解放としての王と考えていた意味合いが大きい) (2)エリア(これは先のブログで映画、炎のランナーについて書いたところにありますが旧約聖書の列王記Ⅱに出くる紀元前750年ほどの預言者の名前)・・・気が遠くなる話ではある。このように古い事とは言え、済んでしまっている出来事では終わっていない。
このように歴史の底辺に流れる水脈がある。マルコ第9章11節見てね。洗礼者ヨハネは、否定しているが、イエスはマルコでは、エリアは洗礼者ヨハネのことだと言っているね。旧約マラキ第4章5節も見よ。イエス誕生の400年以上も前の話だ・・・気の遠くなるような長い期間、預言者の言われを神の言葉として守っていた訳です。(3)さて、「あの預言者か」といわれても誰なのよと我々は思ってしまうが、引照・索引見るとこれも気が遠く成るような昔、これを旧約聖書の申命記第18章15節、18節参照とあるから、見てみると確かに神は一人の預言者を起こすと書かれてある。これがのちのちの救い主イエスという訳なのだ。モーセが書いたのは、わたし(イエス)のことなのであるとイエスが言われたことは、最初のころに学んだが、このように予備知識のない異邦人たる我々は、その予備知識たる内容が、無数に入り組んでしかも一つのこと(神の業、イエス)を指し示して動いていることがだんだん理解されてくるような感じがしてくると言う訳なのである。(4)イザヤはイエス誕生の700年ほど前の預言者。洗礼者ヨハネが引用した旧約聖書の箇所は、引照の小さな文字を見るとイザヤ第40章3節を見なさいとなっている。特に『 』とあるのはストレートにその言葉をまんま持ってきて書いてるよという意味合いだ。では見てみましょう。ね!書いてあるでしょ。聖書は時代も異なり、著者も異なるが今も働く神の歴史が書かれているのだ・・・となる訳です・・・Ω ※今日の写真息抜きに 秋田杉細工曲げわっぱアイスペールです。モダンでしょ!