marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(36回目)

2016-06-24 21:42:59 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 前の回に掲載し紹介した本 (荒井 献著)は、記事の比較をしてるけど4つある新約聖書の福音書の三つだけなの、ヨハネ伝ないのね。歴史がどんどん下り(我々の今の時代に近づき)聖書は本当に大丈夫かなこんなに手術してというくらい、研究が進んでね・・・。何しろ、神様は世界も人間も創造し、活きて働いているということで、世界の歴史をなしてきたと言うわけだから、それに畏れ多くもというか神の言葉が民衆に解放されて、多くの人が読んで敷居がそれなりに低くはなったが、なにぶん内容が内容だけに、長年のそれはそれは長い伝統のある先理解がある選民族の方々と異なり、さっぱり感のある異邦人である我々は分からないが(と言っても我等は神に創造された人間であるからしてその欠片はすべての人間は持っている訳ね。それで声が掛かるとビビット反応する人も世界中にいるわけだ。何しろ、イエス御自身が私が集めると言われているのだから勇気を持とう)。で、神は活きておられて、世界中にその民を散らされた(デアスポラという)訳だが(アジア大陸そして日本にもという話はある・・・)、その散らされた方々を再び集めるというのですね。んで、それらの方々は先理解として神の言葉をしっかり(とはいってもだいぶ変形して形骸化されたのもあり)と持っていて本当に世界中に広まった訳だ。長い歴史の中で、いろいろ哲学はもちろん、政治、経済に影響を与え続けているという訳です(国の成り立ち、国民性に、この日本にはむしろ言葉と言うより生き物の持つ心情としてと言った方がふさわしい形で・・・)。      
◆昨日、英国の国民投票で、EUから離脱したことは、歴史的な出来事として記しておきたい。なぜに、世界のベストセラー聖書を読むに対して、そのようなニュースをと思うなかれ。今回の英国の離脱投票賛否の英国内分布(新聞の記事)と16世紀のキリスト教教派分布の地図を載せるから見て較べられたし。過去にアイルランドのカトリックのいざこざもあったしな・・・。僕が言いたいこと、神は活きて働いているのじゃないか、それでやっぱ、今を生きている自分の言葉でしっかり、永遠の命を与える神の言葉を読み取って残りの人生を生き抜く事ではないのか(組織に関わる前に、或いは関わったとしても)、なんといってもイエス曰く、「生きて私を信ずる者は死ぬことがない」としっかり言われたのだからとしきりに思わされていることなのである。死んでみないと分からないという後戻りはできないからな、こればかりは・・・Ω
※今日の写真 左、英国国民投票分布(昨日の新聞から)、右、(「キリスト教史」藤代泰三著 p219 日本YMCA出版 1970年8月10日 第1印発行から) 

世界のベストセラーを読む(35回目)

2016-06-24 20:32:02 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ M.ルターさんの読むんだったらヨハネ伝ですよ・・・に従って読み始めたら、気づいたら脱線ばかりで全然進んでなかったな。それで今日は、第1章の35節から一気に51節までつまり第1章終わりまで(その前の所は今までの回のどこかに・・・)。日本聖書協会の新共同訳(カトリックとプロテスタントの合同での訳の意)では、ゴチックで表題区切りが「最初の弟子たち」「フィリポとナタナエル、弟子となる」とある。この表題の無い聖書もあります。この辺のところも先の回を。ところで、他の三つの福音書は、最初の弟子のことは具体的ではないな、何でなのかな、ルターさんは、読むんだったまず、ヨハネ伝といってますが、それはイエスの言動のエッセンスが具体的に本文中に書かれているところにあるのだなと先ず思ってみる。それにしても、また脇道にそれるが他の三つの福音書は似ている箇所のあれば、そうでない箇所も・・・。                                        
こんな事考えるとほんとに壁がまた厚くなるので、それで細かい理由は多々あるが、ルターさんはまず、ヨハネ伝をじっくり読みなさいと言われたの。そこを読んで、しっかりイエスの言葉を読み取るならば、父なる神とか、御子イエスとか、聖霊とか(以上合わせて三位一体)、正餐(パンとブドウ液の儀式)とか、難しくは贖罪論(イエスが我々の罪の身代わり<これ、何のことか分からないだろうが、深く自分を見つめての解決を得たいと模索した人は分かるかも>兎に角、今のイエスを知らないままでは永遠の命を与えられないので、神がイエスを送ってくださった)とか、よみがえりである復活とか、又、再び来られるとか(再臨)、だからそれまで聖霊を送るから良く理解するように毎日、イエスがそのことの為に来たのだ活きて働いていると信じてアーメン(そのとおりですという意)で過ごしなさい(『雨の日でもハレルヤ!、晴れてもアーメン!』と思いなさいと) というような大切な事がイエスとの関わりに書かれているということが分かった。で、イエス曰く、聖書(旧約も新約も)は私のことが書かれているということもはっきり話されたことは、ブログの初めに書いた。以上のことをしっかり覚えておけば、怖くはないのだ。あとは、イエスが言われたとおり聖霊が教えてくれるだろう・・・ということになる。(人間は怠慢だから毎日、少しでも聖書の言葉をたしなむことよ)  おい、35節から51節までどうなったんだ! 次回。
※今日の写真は、「イエス・キリスト(上・下) 荒井 献著 講談社学術文庫」 特に(下)には福音書の記事の比較があります。