marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(21回目)

2016-06-11 20:33:19 | 日記

◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 今日は天気がよく、駅前のジュンク堂書店に行きました。聖書コーナーに、僕が思わされているのと同じような本の帯に載った言葉がありましたので写真をつけます。批評家・随筆家である若松英輔という方の書いた「イエス伝」 僕は買いませんけど。        (白文字で)「私のイエスは『教会』に留まらないでむしろそこに行くことをためらう人の側に寄り添っている」(その下に黒文字で)「聖書には、書かれた言葉の奥にある不可視のコトバが無数に潜んでいる」 黒文字については同感ですが、白文字については、僕の意見は、むしろ教会に行くことをためらわないで、突き抜けて欲しいと思っているのです。ためらうことがそもそも、どうして生じるのかということに僕は正直、腹を立てているのです。ですから、あくまで自分を知ることと、その知るコトバに学ぼうとすれば、必然的にキリストと会話をする他ないと思っているのですね。ですから、自分のコトバで聖書を読んで欲しいのです。◆その道を伝える方々へ:どうして組織に安住することが、キリストの体をなしているのだというところで留まり続けるのですか? しがらみ作らず一人で闘いなさい。その道を伝えるべき人がどうしてキリストの名によって恥をかくことをむしろ喜ばないのですか? 議論を吹きかけている訳ではないのにどうして、信仰は知識ではないなどと逃げるのですか? キリストを知る知識も否定されるのですか? そもそもなぜ教派なんぞがあるのですか? 教派の組織に安住しているそのしがらみを何かと勘違いされているのではありませんか? どうして、宗教戦争の基にそもそもなっているのですか? それについての自分の見解はお持ちですか? M・ルターの言ったように必要なのはこの福音と話すことが出来ますか? おそらく全部ですよ などと言われるのでしょうね。「神学なきところに教会なし」とフォーサイスが言ったことに対してどう思われ神学はお持ちですか? ルターのどこが今、採用可能か? カルヴィンのどこが採用可能か? カール・バルトをどこまで読まれたか? ただ、そちら側の人になって、悩みもなく喜んで人から一応人目おかれる地位にいるばかりに何か勘違いをされているのではありませんか? 教師は、特別厳しい裁きを受けると言うコトバを心してください・・・Ω


秋田美人と与次郎に会いに来てねのお話

2016-06-11 11:41:59 | 日記
 太陽の下でブラ散歩してきました。普段、会社と自宅の往復、天気のいいときは自転車のったり、そう、とにかく歩かないとね。 衰えは足から・・・。いい汗かきました。駅前のジュンク堂に行きました。途中、城跡周囲のお堀の側を通ります。いい天気。  さて、
        
秋田に来られたら僕に会いに来てねと与次郎(写真:狐さんに象られたのは象徴としてだと思う)が言うとります。秋田の人で知らない人はいないのよね。昔、江戸と秋田を6日間で走ったんだそうです。殿様がとても誇りにしてたんだけど、妬みにあって不慮の事故で死んでしまったのだそうだ。殿様とても残念がって、今も千秋公園の(この像はお城への入り口を見て建てられてるね)お城には与次郎の神社があるのよ。で、思うんだけど、江戸時代参勤交代で、秋田の殿様佐竹さんが(今の県知事は遠戚の方)江戸におられたとき、秋田には傘になるくらいの大きな蕗があるといったところ、みんなに信用してもらえなかったんだって、その時、6日で走って大きな蕗を江戸に届けたのは、この与次郎だったのではないかしら。きっとそうだと思うよ。殿様は大喜びだったそうな。それで今でも秋田民謡には、大きな蕗があるから唐傘などいらぬ という歌詞が民謡で歌われているの。映画になりそうな話。と言うことで、今日は、みんなが知っている秋田美人(数年前、出張で東京品川駅を通ったおり、あの長い人通りの行き交う通路に全面、このポスターがずらっと掲げられたいたので、僕はいささか驚いたので、見たことある方もいると思ってみんなが知っていると書きました。昔の著名な木村いへいという写真家)の写真載せます。昨日、大きな蕗に美人さんのキャンペーンの写真撮影が行われましたので合わせて書かせてもらいました。