いやあ面白かった。
小説の醍醐味を十分味わってしみじみとして、余韻に浸っている。
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万延元年(一八六〇年)。姦通の罪を犯したという旗本・青山玄蕃に、
奉行所は青山家の安堵と引き替えに切腹を言い渡す。
だがこの男の答えは一つ。「痛えからいやだ」玄蕃には蝦夷松前藩への流罪判決が下り、
押送人に選ばれた十九歳の見習与力・石川乙次郎とともに、奥州街道を北へと歩む。
口も態度も悪い玄蕃だが、
道中で行き会う抜き差しならぬ事情を抱えた人々を、決して見捨てぬ心意気があった。
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酸いも甘いも噛分けた何とも魅力的な青山玄蕃。
「痛えからいやだ」が理由であるはずがない。
玄蕃は何故切腹を拒んだのか。
玄蕃と乙次郎、二人は流人「青山玄蕃」と押送人「石川乙次郎」の関係でいながら、
旅を続けるうちにその関係性は変わっていく。乙次郎が変わっていく。
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乙次郎は御先手組鉄砲同心の次男坊、それが町方与力の家に婿養子に入って
町奉行所与力見習いとなる。
同心たちからは嫉まれ、与力たちからは蔑まれている、乙次郎はそれを重々承知している。
問わず語りについついおのれのことを玄蕃に話してしまうと、玄蕃は言う。
「しかしまあ、そんな事情があるんならあんたは上出来だ。見てくれも立派な
御与力様だし、まじめのうえに糞がつくわ。それでもうちょいと、
肩の力が抜けりゃあ言うこたァねぇんだがなあ」
玄蕃さんそりゃあまだ無理というもの、まだ十九だ。おまけに町方与力になったばかりだ。
でもそこに玄蕃の温かい情が感じ取られて、乙次郎ならずとも嬉しくなる。
「武士が命を懸くるは、戦場ばかりぞ」流人・青山玄蕃と押送人・石川乙次郎は、
奥州街道の終点、三厩を目指し歩みを進める。道中行き会うは、父の敵を探し旅する侍、
無実の罪を被る少年、病を得て、故郷の水が飲みたいと願う女…。
旅路の果てで明らかになる、玄蕃の抱えた罪の真実。武士の鑑である男がなぜ、
恥を晒して生きる道を選んだのか。
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押送の旅も終わりに近づく、玄蕃はなぜ流人になったのか。
腹を切って家を守ろうとする武士としても当然の道を選ばず、
闕所改易を受け入れ流人となって大名の預かりの身となる道を選んだ。
そこに至るまでのいきさつを玄蕃は語る。乙次郎にとつとつと語る。
語るべきは語っておこう、と。
「武士の本分とは何ぞや」
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立派な玄蕃とろくでなしの玄蕃。二人の玄蕃が本当にいるのだろうか。
もしその両極の玄蕃が混然としてひとつの器に収まっているのだとしたら、
それこそ大器量なのではないか。人というより、神仏に近いほどの。
姦通という破廉恥罪を犯した武士。切腹を拒んで流刑とされた旗本。
ために御家は取り潰され、家族も家来も路頭に迷った。
乙次郎にとっての玄蕃はそれ以上の何者であってもならない。道中さまざまな出来事が
あったけれど、僕はずっとそう思い定めてきた。押送人の使命を全うするために。
二人の乙次郎がせめぎ合うているんだろうな。
流人の身の上話など聞いちゃならねえ押送人の乙次郎と、
さんざ苦労して鉄砲足軽部屋住みから、与力にのし上がった乙次郎が。
こうやって抜き書きするだけで、玄蕃と乙次郎のお互いを想う胸中が推し量れる。
人としての温かい思いやりが感じられる。
「乙次郎、おれは勝手をしたか」
いや、と言いかけたが声にはならなかった。僕は黙って彼岸を眺めていた。思うところの
何ひとつとして言葉にならぬおのれの幼さに、僕は眦を決したまま泣いた。
父を送る子と同じように。
「あんた、ひとりで帰れるかえ」
父が子にかける優しい言葉そのものだ。深い深い玄蕃の愛情が溢れ出ていて泣ける。
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旅の最後に、ついに乙次郎はたどり着いたのである。
奥州の最涯ての三厩という湊にたどり着いただけでなく、
青山玄蕃という武士の心の奥底に。
「ここでよい。苦労であった」
立ち塞がるようにして玄蕃は言った。取り乱す僕を見兼ねたに違いなかった。
「いいえ、玄蕃様―」
初めて名を呼んだ。僕にとってのこの人は、けっして流人ではない。
立ちこめる霧を腹いっぱいい吸い込んでから、僕は陣屋に向かって進み出た。
「新御番士青山玄蕃頭様、ただいまご到着にござる。くれぐれもご無礼なきよう、
松前伊豆守様御許福山御城下までご案内されよ」
僕は踵を返して歩き出した。すれ違う一瞬、玄葉はにっかりとほほえんだ。
餞の言葉は要らない。鴎の声と寄する波音を聴きながら、僕は真ッ白な霧の帳を
押し開けた。
浅田さん、なんていう別れを用意してくれるんだ。泣けるじゃないの。
乙次郎、渾身の口上。玄蕃を敬い尊敬し、かつ押送人のお役目を全うし。
申し分のない言葉。
玄蕃を想う乙次郎に私は胸が熱くなって。鼻の奥がツーンとなって。
二人の旅の終わりに早くたどり着きたいような、終わるのが惜しいような。
いい小説だった。
(挿絵はwebからお借りしました)