チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

黒のポロシャツ

2016年10月21日 | 日々のこと

小雨、25度、79% シグナル3 

 秋口となると、女性誌の記事に必ず出てくるのが基本のワードローブ「白のシャツ」です。白い木綿のシャツは確かに顔を明るく見せますし、制服以来、着慣れてきたアイテムですから基本と言えるかもしれません。でも、私など白の木綿のシャツがどうも似合いません。シャツの襟腰が高いと変な感じです。ペタンとしたフラットカラーの所謂「ブラウス」ならまだ見られます。人に言われたわけではありませんが、もうこのお歳ですから自分に似合う似合わないぐらいはわかっているつもりです。

 私にとってなくてはならないのは、まずTシャツ。色はやはり白が一番です。できたら半袖。片山がピッタリと合っていて丈も短く細身の方が好きです。素材も木綿の配合が多い方が着心地がよく思います。この白のTシャツの次は黒のポロシャツです。

 自分が着るのも好きですが、よその方が黒のポロシャツをうまく着ているのを見ると、目が点になって見惚れてしまいます。黒のポロシャツを着ているのは、女性よりも男性の方が多いので、見惚れるのもそういった男の方達です。Tシャツにしてもポロシャツにしても何気なく買ってしまうそんなに高価なものではありません。それでも片山がピッタリか細身であるか、ポロシャツならボタンの数はいくつかよく見て買います。胸にマークのないものを探しますがほとんど見つけることができません。木綿素材で鹿の子織りのものが一般的で好きです。これも半袖。袖口の閉まり具合がこれまた難しい。

 ポロシャツの着方もボタンを開けている人、きっちり一番上まで留めている人といますが要はその人が似合っていればいいわけです。私など夏はだらしなく開けていますが、冬ともなれば一番上まで閉めています。ポロシャツなら襟を立てることもできます。寒い季節にはスカーフを襟元にするとスカーフの納まり具合は抜群です。好きなポロシャツですがなかなか思うようなサイズに出会えません。好きだけど黒のポロシャツは2枚こっきり。

 Tシャツもポロシャツも生憎きちんとしたお席では着ることができません。そう考えると白のシャツをきちんと着られる人が羨ましいと思います。白の長袖のシャツと黒のスカート、それだけで素敵に見えるのがやはり基本です。私の基本は花柄のフレアースカートに黒のポロシャツです。

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センサー

2016年10月20日 | 日々のこと

小雨、24度、92%

 ここ2週間、こうしてキーを打つ私の目の前に直径10センチほどのおもちゃのUFOのようなものがあります。むかしの映画にでも出てきそうな旧型UFO。センサーなのだそうです。確かいただいた時、煙センサーだと聞きました。今やいたるところに取り付けられているセンサー、光センサー、温度センサー、磁気センサー、医療関係のセンサーなどまだまだたくさんの種類があるそうです。

 ハンダ付けされた小さなディスクは、興味をそそります。原理なんてわかりません。煙センサーというのだから、きっとホテルの部屋の天井に取り付けてある丸いやつだなと思います。ホテルのベットに横になると必ずと言っていいほど、丸いセンサーが目に入ります。赤いポッチは、稼働中のサインでフラッシュしています。ホテルによってはこのセンサーの横にスプリンクラーのようなものがついているところもあります。何にもすることがないホテルでの朝、何にも考えないで見ていたセンサーです。こうしてその正体を見せてもらうと、急に身近に感じます。

 温度センサーで隠れている人を探し出す近未来の映画を見たのはずいぶん前のことです。赤外線を感知して、温度差を表すのだと聞きました。一般には温度計と呼ばれるものでも、今ではセンサーを使っているそうです。きっと複雑な作りのセンサーが世界中で24時間仕事をしています。煙センサーはむかしからあるから、単純な作りに違いありません。

 機械の中身を見るのは面白いと思います。何がん何だかわからない面白さです。たかだか車のボンネットを開けてエンジンルームを見るのも面白い。昔のブラウン管型のテレビの頃、我が家のテレビは日本製なのによくヒューズが飛びました。後ろのカバーを外して取り替えるのは私の仕事でした。小さなヒューズを取り替えて、しばらく中の配線板を眺めていました。

 仕事はしていませんが煙センサーの本体がいろんな機械の中を想像させてくれます。10年もすればまたまたセンサーも進歩しているはずです。進歩とともに細分化が進む様子を頭で描くとまるで配線板の中のようです。

 

 

 

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作家とポートレート

2016年10月19日 | 自分ごと

雨、25度、95%  強風注意報

 本の裏表紙をめくると、その著者の小さな顔写真が載っていることがあります。証明写真ではありませんが、皆さん大抵普通の顔をして写っています。その小さな写真に何を感じるかは見た人任せです。

 本の内容に興味が湧いて一人の作家の本を読み続けます。ある時その作家のポートレートを裏表紙にみつけます。「この本はこんな顔の作者だったのね。」と深く頷くこともあります。そのポートレートから受けた好印象に、一体お幾つだろうかとか、どこのお生まれだろうかと次々に疑問が湧いてきて、PCの前に座ります。作家のポートレートに何も美醜を云々と言っている訳ではありません。ある程度のお年になればみなさんお顔にその方の生きてきたものが映し出されています。このお顔、この目の方の書くものなら、と私の中で安心感が生まれます。そして、その作家の新刊を待ちます。

 ところが、もちろんその逆さまもある訳です。裏表紙の作家の写真を見て、その方のふてぶてしさや奢りのようなものを感じると、どんなに評判の作家でもその作家の本を買うことも本を読むこともありません。ある時、好印象を持たなかった作家を実際に見たことがありました。会った訳ではありません。10メートルぐらいの距離でその作家を見ただけです。ホテルのロービーです。編集者の方でしょうか取り巻きの方もいます。私はロビーで人を待っていましたし、甲高い作家の声は耳に入ってきます。海外のホテルのロビーですから日本語がわかる人も少ないだろうと、作家は意外に大声で話しています。その話し方、身振り手振り、私は「やっぱりこの作家の本は読まなくてよかった。」と思いました。

 本の裏表紙の作家のポートレートは、思いの外にその人の人となりを真実で伝えてくれます。たった一枚の小さな写真です。作家の容姿や私生活は作品に関係ないと言いますが、大きく反映すると思います。海外の作家で家庭における細やかな愛情を得意とする作家がいます。いつ読んでも読み終わった後に、こういう家庭を築けたらと思える作品です。実生活もお子さんがたくさんで、本のはじめの感謝の言葉はいつもご自分の奥様宛でした。その作家が離婚しました。理由は明らかではありませんが、そのことを知って以来、その作家の作品は読んでいません。落胆もありますが、急に作品自体が虚しいものに感じました。

 また別の作家、写真からも真面目な人柄が伺えるその人の作品は、山の中で朝目が覚めた時のような作品です。作品の数は少ないのですが、この作家の本は大事に繰り返し読んでいました。お嬢さん二人がいるご家庭の話も心温まるものです。ところがこの作家、離婚して随分年の離れた女性と再婚しました。その途端、この作家の本は目に付かないところにしまい込みました。

 作家の中にも自分のイメージが作品に影を落とすことを恐れて、ポートレートを載せない作家もいるそうです。講演会などではまだ生身の人間として見られますが、小さな写真ひとつで作品を判断されたくないのだと思います。作家だって人間です。感情豊かな人間であれば離婚だってありえます。感情豊かだからこそ作家になった人もいるはずです。

 私の作家のポートレート判断、不思議に現代作家の場合だけです。もうすでに亡くなっている古典作家においては、どんなポートレートでもその方の人生を感じます。なぜ現代作家だけなのかしらと考えます。それは私自身も今を生きているからだと思います。

 ポートレートひとつでこの作家の作品は読まないなんて偏狭な考えはねと思うこともありますが、私は文学学者でもないし、世の中にはたくさんの作家がいるし、嫌だなと思った作家の作品はこれからもきっと手に取らないように思います。

 

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お月様

2016年10月18日 | 日々のこと

雨、24度、95%  シグナル3

 お月様は満ち欠けがあるので、見ている私たちは時に姿を変える生き物のようにも思えます。中秋の名月といっては空を見上げます。確かにひと月前の中秋の名月も綺麗な月でした。ところがこの数年、この私が待ち焦がれているのは、中秋をひと月すぎたお月様です。一昨日が中秋後初の満月。

 香港でも特にイルミネーションばかりが目に入る場所に住んでいます。真夜中までは空の星はほとんど可視できませんが、お月様は場所さえ良ければ見つけることができます。この私が見るお月様は、どちらかというと明け方の月です。夜空にお月様を探しても見つからない、雲がかかっていることもあります。翌朝まだ暗いうちに走りに出かけると、雲間から顔を見せてくれるお月様。すっかり雲が晴れて、空を独り占めしているお月様に出会います。お月様への挨拶は、「おはようございます。」です。月と一緒に朝走ります。お月様の高さや位置によっては、月明かりが私の影を作ります。

 香港島の太平山の山際に浮かぶお月様。 すっぽりと木々に覆われた道からお月様を見ると木の葉の向こうに見えています。なぜ、歳をとってきて中秋節のあとの月の方が好きになったのかよく考えます。おそらく気温です。中秋節の頃はまだ汗ばみますが、ひと月後はここ香港でも凌ぎやすく、私がお月様を見る時間はぐっと気温も下がります。これは真冬の寒さの中に見る月とはまた違います。寒い頃のお月様は孤高です。

 木々の葉の間から見える月の写真は、少し不気味かもしれません。月には人を酔わせる何かがあります。ルーナティック(lunatic)、やや精神病的な表現ですが月を見るといつも心に浮かぶ言葉です。Luna、ギリシャ神話の月の女神です。

 来月、再来月と月の白さが際立ち始めます。

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銀行通帳

2016年10月17日 | 香港

曇り、26度、76%

 私が銀行通帳を持たなくなって既に15年は経っています。ちょうどペーパーレスという言葉がで始めた頃です。その代わりに一月分まとめて自分の出し入れがはっきりわかるお知らせが毎月郵便で届きます。普通預金、定期預金、当座預金、クレジットカードのバランスが一枚の紙に収められています。お金を下ろしたい時はカードとサイン。もちろんATMの機械でもできます。この「通帳なし」は皆んなではありません。希望する人は通帳を発行してくれます。

 3ヶ月ほど前、この毎月送られてくるステイトメントに一月10ドル、約130円ほどの料金がかかるようになるとお知らせが入っていました。130円でももったいない。どうすれば課金されないかというと、e-Bankingの口座を作ればいいのだそうです。e-Banking,口座は持っていますが、使ったことがありません。日本への送金も普通の出し入れも、カード一つ持って銀行に出かけます。印鑑不要ですから身軽です。

 毎月送られてきていたステイトメントだって紙にプリントされています。ペーパーレスなんていっても、やっぱり紙を使ってるじゃないと思っていました。このe-Bankingの利用でいよいよほんとのペーパーレシです。この2ヶ月、PCで自分の口座を開けると全てのお金の動きがわかります。あらかじめ振込先を口座に指定しておくと、ネットを通して振込もできます。私はしませんが、金(きん)を買うことも、証券の売買もできるそうです。要するに、こうしてPCの前に座って銀行のお金を動かすことができます。なんだか不安です。

 この銀行口座に直結しているクレジットカードはどんな少ない額でも、どこの国にいようが私が支払いに使ったほぼ2分後には、メッセージでいくら使いましたね、お知らせが携帯に入ってきます。なんだか誰かに私のお金の使い道を見られているような気がします。

 香港中から通帳が消えたわけではありません。主人は相変わらず通帳をずっと使っています。確かに銀行で長いこと列に並ばなくて良くなりました。家に居ながらにして買い物ができて、支払いもできて便利です。便利ですがお金を手渡して物を買うあの実際感の欠如は不安にさせられます。ますます、紙幣硬貨を使う機会が減ってくると思います。大きな買い物をするので銀行でお金をおろして、お財布に詰めてお店に向かったのはほんの20年前のことです。安心感、買ったという実感がありました。カードなんかで支払うと、時にはその金額すら忘れています。

 私の銀行、歩いて10分ほど、銀行のビルが今座っているこの部屋から見えています。

 

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HOWL-O-WEEN DOG WALK

2016年10月16日 | 香港

曇り、26度、70%

 今年のハローウィーン、ちょうど日曜日です。きっと我が家の下のSOHOやランカイホンは、おどろおどろしい衣装を着た白人達の馬鹿騒ぎで賑わうことでしょう。

 私が朝走る道で面白いポスターを見つけました。ボウエンロード、この道は片道4キロ、香港島北側の山の中腹を東西に走る道です。4キロのうち車が入るのは西側1キロだけです。残りの3キロは住宅もなく、深く緑に囲まれ、ビクトリアハーバーを下に見下ろし、香港島の中心部の町並みを見晴らすことができます。朝早くから走る人、散歩する人、太極拳をする人人の通りが絶えない道です。リスはもちろんのこと、ヤマアラシ、ハクビシンなどの野生の動物も見ることができます。高い高層ビルを緑の間から見ながら、こうした野生動物に会えるちょいと不思議な気持ちにさせてくれる道です。

 さて件のポスター、ハローウィーンの日曜日にこの道を犬と一緒にブラブラ歩きましょうというお誘いです。往復8キロ走りたい人もどうぞ、ブラブラ歩きは片道4キロ。犬たちとのブラブラ歩き「WAGGY WALK」と書かれています。イギリス系の方が作ったポスターでしょう。この道沿いにはイギリス系のインタースクールもあります。「HOWL-O-WEEN」の香港参加は今年が初めてだそうです。コスチュームのベストには賞品も出るそうです。もちろん参加者全員(犬たちにも)美味しいもの付きです。

 

 WAGGY WALK、香港では涼しくなったこの時期からあちこちで行われます。犬連れでただ歩くだけです。時には、里親を探している犬たちを預かっている団体への募金も兼ねていることもあります。もちろん犬たちを通して飼い主の親睦もありますが、どちらかというと純然に自然の中を犬と飼い主たちが歩くのが目的ののんびりしたものです。

 さて、当日11月1日、犬たちも飼い主もコスチュームを着ての参加です。我が家からこのボーエンロードまで約1キロ、モモさんの参加は難しいようです。10歳ごろまでは時々やってきたボウエンロードですが当日の様子を見て決めましょう。

 このポスター、ハローウィンですからコウモリの絵が描かれています。この絵を描いた方、本当にこのボーエンロードのコウモリが飛ぶのをご存知なのかしら。日が昇る少し前まで小さなコウモリがパタパタと飛ぶ道です。この絵のTシャツも販売されます。

 

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抹茶ラテ

2016年10月15日 | 日々のこと

曇り、25度、84%

 欧米でも抹茶ラテが人気だそうです。コーヒーにミルク、紅茶にミルクの感覚はわかりますが、以前緑茶にミルクを入れて飲むという白人の方に会いました。その方は烏龍茶にもミルクとお砂糖を入れるそうです。なんだか想像してだけでも私にはついていけませんでした。

 食べ物、飲み物には保守的です。日々飲むものもほとんど冒険をしません。抹茶ラテを飲んだのは、なぜかソウルの喫茶店でした。もう6年も前の話です。あら美味しいじゃない。それっきり、抹茶ラテのことは忘れていました。ここ数日、香港も朝は少し涼しく感じます。なぜか抹茶ラテが飲みたくなりました。

 ミルクを泡立てる機械は持ちません。でもお茶筅があります。カップも熱々にして、お茶をたてて、これまた熱々のミルクを注ぐだけ。なんとミルクとお抹茶のバランスのいいことか。お抹茶は濃いめに入れました。もう少し泡泡が欲しいなあと思います。ミルクとお抹茶は味だけでなく香りもお互いを引き立てています。甘さはひとまずクッキーだけ。スパイスが微かに香るクッキーです。メープルシロップを入れるとまた違った香りになりそうです。ミルクをアーモンドミルクに変えるとこれまた違った抹茶ラテができそうです。飲んでるうちに想像が膨らみます。

 ほうじ茶ラテも美味しいよと友人が言います。カフェインの摂取を気にする人にはほうじ茶はもってこいです。ちょっと渋みを出したほうじ茶ならミルクと合いそうだわと思います。

 一年中、朝一番に飲むのは熱いミルクコーヒーです。プクプクと泡など立てませんが、もう長いこと朝一番の私の体を目覚ましてくれています。しばらく、3時のおやつには抹茶ラテ、ほうじ茶ラテが登場しそうです。ミルクの泡だてを買おうかな。茶筅を一本ミルク用におろそうかな。抹茶ラテならチョコレートのお菓子がいいなあ。ほうじ茶ラテなら栗やりんごのお菓子も合うなあ。私の想像はますます膨らみます。気温の変化に味覚は敏感です。

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macOS Sierraをインストールしました。

2016年10月14日 | 日々のこと

曇り、25度、80%

 アップルのPC用ソフト「macOS Sierra」をインストールしてみました。先月末にはリリースされiPhonやAppleWatchとの相互性が良くなっていると前評判でした。Appleの音声アシストSiriがPCで使えるそうです。音声アシストはiPone、AppleWatchで音声で入力、検索をすることが出来ました。「〇〇さんの電話して。」とSiriに言えば電話をかけてくれます。文字での打ち込みの代わりに、音声を使うわけです。

 macに入ったSiri、さてどんな反応をしれくれることやら、見出し写真が初めの私とSiriの遣り取りです。私の声の語尾や聞き辛い言葉もあるのでしょうが、なかなかよく聞き分けてくれます。「スクーリーンを明るくして。」と頼めばすぐに「少し明るくしました。」と確かに画面が明るくなりました。「音楽をかけて。」と頼めばiTuneから音楽が流れてきます。いちいち指を動かす必要がありません。

 写真の整理法も変わりました。iPhoneの新しくなった写真の整理、修正に準じています。今までの  iPhotoのように月ごとのくくりではなく、日付でひとくくり、そこで久しぶりに写真の整理をしていました。その時、横でiPhoneの電話がなりました。もちろん手首ではAppleウォッチがプルプル動いています。すると、PCの画面右上に誰々さんから電話をと表示されます。拒否、応答とあるので、応答をクリックするとPCから向こうの声が聞こえます。私もそのまま画面に向かって話しました。つまり、iPhoneにかかってきた電話をPCで受けることができるのです。 これは自宅の固定電話から私のiPhoneに電話してみたときの画面です。

 新しくなるということは進歩があるということですが、いやはや、この進歩の具合には驚きです。まだまだ随所に新しい発見があります。実は昨日から文字を入力していて変換が今までと違うなあと思っていました。私は普通にキーボードを打っていますが、変換がフリック入力の時の変換に変わっています。つまり、変換速度が速くなったということです。

 Appleウォッチに向かって電話で応対するのにやっと1年半かけて慣れてました。手首に向かって話してるなんて気恥ずかしさもありました。7年使う私のmac、さてこの新しいosに慣れるまでどのくらい時間がかかりますやら。ワクワクしながらPCに向かっています。

 

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「皿洗い」

2016年10月13日 | 日々のこと

曇り、24度、79%

 私の母は、家事が嫌いでした。全て嫌いだったと思います。いよいよ必要になったら家事をします。台所の流し場は、使ったお皿やお鍋が積まれていました。母の留守に、まだ流しによく届かないので椅子を持ってきてお皿やお椀を洗いました。褒めてもらいたかったのでしょう。褒めてもらった記憶はありません。お皿やお椀は子供の手でも洗えますが、お鍋は苦手でした。こびりついたおこげなどは子供の力では無理でした。「皿洗い」が好きなのはその頃からです。

 主人の実家の台所の流し場もいつもお皿やお鍋が浮いています。母とは違い義母は手早くそれを片付けます。ところがあるとき、お椀を手にした私は、掌が油っぽく感じます。お椀の外側ばかりか角ばったお皿の角っこは油で黒ずんでいます。義母は要領よく手も早いけど少しばかり大雑把です。きっとお椀の外側はあまり洗わないのかもしれません。それまで、実は私もお椀やお皿の外側のことは気にかけないでいました。

 二人の母の「皿洗い」に教えられることが多く、ここ数十年、私はお皿やお椀の外から洗います。特に足の付いたもの糸引きの周り、油のベタベタがないか気になります。お湯は使わずに洗剤とお水だけでも結構きれいに落ちてくれます。ただ、ゴム手袋はいけません。あれをしていると、汚れが落ちたかどうかさっぱりわからない。素手で洗うことが肝心です。

 母がまだ自分の身の回りのことは自分でしている頃のことでした。80少し前だったと思います。「真奈さん、これから食事が済んだら、すぐ流しのものを洗うことにしたわ。」とおっしゃいます。あれまあ、今頃気付いたのねと思いながらも続いてくれればと思いました。もちろん続きませんでした。いつ帰っても流しには、お皿にお鍋。

 義母も相変わらず流しにお皿やお鍋を貯めています。私は行くとすぐにそれを全部洗います。クレンザーを使っても、もう経年の油の黒ずみは取れません。

 「皿洗い」簡単な仕事です。汚れが落ちると食器はピカピカになります。乾いたおふきんで拭くときはキュッと音がします。きれいなシルバーには自分の顔も映ります。簡単な仕事の「皿洗い」だからこそ、ちょっとした気遣いを、私は外側から洗い始めます。

 

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「Different Class」Joanne Harris

2016年10月12日 | 

雨、23度、88% 

 イギリスの女流作家、ジョアンハリスは日本では「ショコラ」で知られた作家です。作品よりもジョニーデップとジュリエットビノッシュの映画「ショコラ」の方が有名です。私が彼女の作品を読み始めたのもこの映画がきっかけです。以来、新刊は欠かさず読んでいます。小説としては19冊目に当たるのが「Different Class」です。

 ジョアンハリスの小説には幾つかのジャンルがあります。初期のフードシリーズ、「ショコラ」の主人公ヴィアンヌを扱ったもの、北欧神話を題材にしたものそして心理サイコっぽい話のシリーズに分けられます。この「Diferrent Class」はややサイコがかった話で、10作目の「Gentleman and Players」と同じ舞台、同じ主人公が登場します。

 舞台は500年の歴史を持つグラマースクール「セントオズワルド」そして、この学校を愛して止まないラテン語の教師ストレートリーです。ストレートリー自身もこの学校の卒業生、そして自身の教え子がこのセントオズワルドの学長となってやって来るところから話は始まります。今の時代、ラテン語を学んでも何の仕事にも繋がらない、それよりはIT技術を教えた方が生徒が集まるという新学長の考えです。24年前に起こった殺人事件とからめながら話は1981年と2005年を行きつ戻りつしながら進みます。元々は男子校のセントオズワルド、教師と生徒との間のホモセクシュアルな関係やそれをブラックメールのネタにする話が入り組みます。

 ジョアンハリスのこの手の小説「BLUE EYE BOY」でもそうでしたが、一体誰が裏で何をしているのか全く手探り状態で読み始めると、だんだんと一人の人間に焦点が合わさって行きます。頭の中ではその焦点の当たった一人を追いかけているのですが、話の四分の三を過ぎた頃、ガツンと焦点を当てられた人間以外の人が登場して来ます。そこで、「あー、またやられた。」と私は思います。独白で書き進められている話の場合、誰の独白か、つまり1人称が誰なのかが読み手の想像に委ねられるという心理的トリックです。このやられたと思うその瞬間、ますます話は面白く展開し始めます。

 「Diferrent Class」様々な話が絡み合っていますが、殺人あり裏切りありの話にもかかわらず、ジョアンハリスらしい爽やかさが残る締めくくりでした。私には一人の作家を置い続ける癖があります。ジョアンハリスはその話の展開の素晴らしさもありますが女性的な一面がなんとも清々しい作家です。日本で翻訳されているのは残念なことにたったの四冊です。イギリス国籍でありながらフランス人でもありイギリス人でもあるジョアンハリスです。さて、「Different Class」翻訳の題名にする時はなんとなるかしら?と考えます。あの重たい石造建築のの歴史のあるイギリス、重く垂れ込めた雲、今だにどの階級の出身かが言葉ひとつで分かるというお国柄。思いめぐらすうちに、やっぱり翻訳は出ないだろうなあと思います。私より少しお若いジョアンハリス、次の新刊が楽しみです。

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