晴れ、13度、53%
私の実家に、オーブン付きのガスレンジが付いたのは、私が小学の頃ですから、昭和40年代の初めだと思います。点火はマッチでします。ボッという音が、オーブンの庫内に大きくこだまして、恐ろしかった記憶があります。当時私が住んでいた市内で、家庭用に取り付けられたオーブンはまだ数台だと、聞きかじって覚えています。ところが、からっきし料理をしない私の母です。そのビルトインタイプのオーブンで、料理が作られることもお菓子が焼かれることもありませんでした。ふきんが仕舞われていたり、包丁がなおされていたり、点火する音を聞いたのは、ガス会社のおじさんが取り付けに来てくれたその時だけでした。
結婚して住んだ2つ目の家までは、オーブンなんてありません、買う余裕もありませんでした。クッキーや簡単なケーキを焼くのは、当時出始めたばかりのオーブントースター、これだけはちょっと贅沢をさせてもらい、庫内の大きいアメリカ製のオースターのものを買いました。バウンドケーキも焼ける大きさです。でも、憧れはビルトインタイプのガスオーブン。3軒目の家にどうしても住みたかったのは、ビルトインのオーブンが付いていたからです。おそらく、未だに主人は私のこの本音をご存じないと思います。昭和50年代の初めの頃です。やはり点火は、マッチを使っていました。いつも点火する度に、緊張します。何やら爆発しそうです。でも、このオーブンを使った4年ほどの間で、パンを焼くこと、お菓子を焼くこと、オーブンってすごくご機嫌があることを学びました。私に、ベイキングの基本を教えてくれたオーブンでした。
次のオーブンは、一時的に実家に戻った私のために、料理をしない母が、新しいビルトインのオーブンを台所に備え付けてくれていました。パンの発酵装置も付いたオーブンでした。昭和60年代の初期です。もちろん自動点火になっています。このオーブンを使ったのはほんのわずかの期間、すぐに香港にやって来ました。このオーブンは、昨年の実家の整理の時に処分してもらいました。もちろん、私がいなくなってからは、ただの一度も使われないままでした。
香港の台所には、オーブンなんて付いていませんでした。でも、もうオーブンなしの生活は考えられないので、苦しい家計からナショナルのオーブンレンジを買いました。鶏が最低でも一羽はいる大きさが必要でしたので、ほんとに大きな出費だったと覚えています。電気ですから火力は弱く、心もとなげに感じたオーブンでしたが、10年近く使ったでしょうか、急に、漏電し始めました。この湿度の高い香港では、漏電は恐ろしい。そこで、新しいオーブンを探しました。ビルトインを置けるスペースは我が家にはありません。庫内の大きなオーブンレンジを探します。オーブンレンジが次第に機能は良くなって小型化していました。やっと見つけ出した、私にとって4代目のオーブンは、やはりナショナルのものです。多重層では使えませんが、ファンが付いており、熱気が庫内を廻ります。フランスパンを焼くのに、蒸気を注入したり、私のオーブン遣いはとても荒いものです。気が付くと、このオーブン18歳になりました。故障ひとつしません。電子レンジ機能も付いていますから、それこそ一日中フル回転です。パンやお菓子も焼けば、お肉やお魚も焼きます。冷たいミルクやご飯だってチンとするわけです。
実家の改築が進んでいます。台所に入れるビルトインのオーブンをウェッブで探していました。説明を読んでいるだけでも、機能が大幅に改善しています。ガス、電気両方が使えるタイプです。もちろん、庫内は充分広く、多重層でパンを焼くことも出来そうです。PCの前を離れて、台所に入ります。18年の付き合いのオーブンがあります。沢山の私の失敗もうまく焼き上がったときの喜びも、このオーブンはずっといっしょでした。
いろんなものを、あちこちの引っ越しに連れて廻っている私ですが、さすがにこのオーブンを連れて日本に帰ることは出来ません、ボルト数が違います。まだ、すぐに別れるわけでもないのに、いつか来るその日のことを思うと切なくなってしまいました。オーブンは機嫌屋です。そして、オーブンも私の機嫌を見てくれていたと思います。あといくつオーブンを使うか解りませんが、このオーブンは、私の一番のオーブンだったと思う日があると思います。
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