チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

母から携帯電話を取り上げた日

2019年07月30日 04時02分43秒 | 日々のこと

晴、28度、89%

 昨日の福岡地方、梅雨明けしたというのに曇り空、昼過ぎからはまとまった雨が降りました。雨が止むと少しずつまた夏の青い空が戻ってきました。

 6年前に亡くなった母から携帯電話を取り上げた日のことを思い出していました。母が施設に入所したその日です。入所前、母は軽い肺炎で病院に入院していました。肺炎は良くなったものの年齢と一人暮らし、寒さの真っ只中でしたのでしばらく病院に置いてもらうことになりました。最初の病院でフロアーの婦長さんから母の言動が自己中心的で看護婦たちが迷惑しているとお話しがありました。同じ系列の2つ目の病院に移ると、今度は病院の婦長さんから同じようなことを指摘されて「今すぐ出て欲しい。」と言われました。私の香港に帰るチケットは2日先の予約でした。その時の母のケアーマネージャーさんにすぐに相談しました。急なことです。空きのある老人施設は2つだけでした。急ぎ電話連絡を取り私は施設を訪ねました。一つの施設の院長が「軽症の認知症のフロアーになるけれど連れておいで。」と言ってくださいました。翌朝一番、母を病院から施設に移しました。

 この施設では携帯電話は禁止されていませんでしたが、周りを見ても携帯電話を使っている人がいません。急に思いつき、「お母様、ここでは携帯電話は禁止されているから、持ち帰るわね。」と私の荷物に入れました。施設からその足で香港に帰るために空港に向かいました。9年前、母のの83歳の誕生日のことでした。

 山の中腹にある施設から空港に向かうタクシーに乗った時、心が軽くなったことに気付きます。「もうこれで、母から電話で追いかけられることがない。」という思いです。「もう、母の声を電話を通して聴かなくていい。」心の底からホッとしました。

 母は病院でも指摘されましたが、自分中心で人は自分の為に動いてくれるものだと思っていた節があります。しかも感情が高ぶると延々と話し続けます。他人に対してすらそうですから、一人娘の私には小さい頃から全て命令口調です。挙句に私は母の気に入らない結婚をしていますから、主人、主人の実家のことは決して良く言いません。自分が言いたいと思えば電話を時間に関係なくしてきて延々と話します。それは私にだけでなく母の友人に対してもそうであったようで、私に電話をよこして「困っています。」と言われた方もありました。病院に入院中は買い物が出来ないので、デパートの外商の方に電話で買い物を頼んでいたそうです。

 病院から施設に移るのはもちろん渋りましたが、実はヘルパーさんに満足せず次々に代えるので、来てくださるヘルパーさんがほとんどいなくなっていました。ケアーマネージャーさんに「もう実家での一人暮らしは無理ですね。」言われたので強引に連れて行きました。携帯電話を取り上げたことで、外部との連絡はできません。私自身に電話が来ないことも含めて安心しました。

 この日、空港のロビーで飛行機を待ちながら心がみるみる晴れて行くのを感じました。母からの重圧が一つ解かれた思いです。いろんな母との葛藤が思い出されます。携帯電話を取り上げただけでこんなに心が楽になるものかと不思議でさえありました。

 昨日の雨上がりの晴れて行く空を見ながら、あの日の私の心の中を見ている思いでした。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ハウスジャワカレー辛口 続き | トップ | メープルシロップ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿