小さな日記

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異常気象

2007年08月16日 | Weblog
新潟中越地震の一ヵ月後のきょう、地球の反対側、ペルーのリマで大地震。そして、観測史上最高の40,9度という暑さ。朝鮮の豪雨、フィリピンの洪水、イギリスの洪水、、、あちこち激しい自然の動き。ニュースステイションでは、北極の氷が想定外の勢いで溶けているとのこと。全部つながっていること。だから、人間も繋がってどうにかしなくてはと思うのに、イラクで最大規模のテロ。

せめて、ひとりひとりの心と体を鎮めましょう。見える現世は心の現われなのだから。この暑さの中、たおやかにのんびりとユーモアをもって過ごすだけですごい良いこと。

戦後と言いながら戦前になってしまう

2007年08月15日 | テレビ
東京裁判で全員無罪を主張し続けたインドのパール判事の番組を見た。この裁判でも、憲法作成の会議でも、外国人の方が日本について調べ上げ、真摯な考察を繰り返していたことを知るにつけ、当の日本人が執り行っている現在の政治の不謹慎とも思える筋のなさに愕然とする。終戦記念日とは言っても、いまだ終わらない韓国、中国との問題。

華厳経

2007年08月14日 | Weblog
父が死ぬ前の夜、突然押入れの奥深くからわざわざ探し出して読みふけっていたという華厳経。翌朝6時半に起床、頭痛がすると言って間もなく爆睡し、昼には逝ってしまったのだ。華厳経はどんな教えなのか、気になっていた。

きょう、テレビで、五木寛之氏が韓国仏教を訪ねる旅。韓国仏教は、新羅の時代から華厳経が最もポピュラーだったそうだ。日本は聖徳太子の頃から法華経が主流だった。全てのものが複雑にからみあい関係しているから、自分の心と行為は外界を絵のように作れる、仏、衆生、心の3つは、差別がないから、自身の内に仏性を見出し、外界を仏の心にしていくがよい。わたしの理解では、このようなものが華厳経のようだ。

ハワイのシャーマン、レン博士のホ・オポノポノと共通しているように思う。
http://ohanadrop.blog80.fc2.com/blog-entry-6.htmlつまり、自分の内側を癒すことで、外界を整えていくという。時空を超えて。

父は死に入っていく時、「なんだ、形が変わっていくだけのことだ」と思っただろうか。

タオとコブタ

2007年08月13日 | 
タオのプーさんと対を成す(続編ではない)この本は、原題は「The Te of Piglet 」 Teとは、タオの重要原理のひとつ、徳である。小さくて、こわがりで、慎ましやかなピグレットが具現する徳とは、、、

大きいことはいいことだ!と、グイグイ繁殖、侵略、略奪を続けて成功とか、夢の実現とか浮かれている人類へ、次元の違う方向の可能性を示唆するタオ。

教科書にとりあげて欲しい本です。

庄司紗矢香さん

2007年08月12日 | Weblog
世界最年少という16歳でパガニーニ国際コンクールで優勝したバイオリニスト庄司紗矢香さんは、娘の中学の同窓生で、娘とバイオリンの先生が一緒の時期もあり、注目してきた。きょう、情熱大陸という番組で、天才少女と呼ばれた時代の煩悶を語っていた。音楽家でありたいのに、若さと超絶技巧ばかりが取り上げられ不満だったそうだ。

的を得た不満だと思う。けれど、その不満につぶされず、音楽家としてわが道を歩んだからこそ、今の卓越した素晴らしい演奏がある。マイスキー等と楽しげに真摯な演奏をする彼女は日本人の誇りだ。

聖戦の起因

2007年08月11日 | Weblog
イスラエルが落としたクラスター爆弾は、ヨルダンで不発弾として地中に埋まっていていまだに大勢の犠牲者を出している。今年1月に左足を失った17歳の少女にテレビ取材班は尋ねた。「イスラエルのことをどう思う?」彼女の答えはこうだった。「神様に滅ぼされてしまえばいい」

自分の子どもだったら、恐れや憎しみや復讐心から引き離すために、どんな手を打つのだろう。


クラスター爆弾は、日本の自衛隊も装備している。数百億円費やして武器を買う日本。一体、何処で使うのだろう。


いたわりの果物

2007年08月10日 | Weblog
あちこちの友達からメロンや梨が送られてきて、産地直送のみずみずしさを有難く味わっている。大好きな先輩のブログには、「ともだちには甘えてもトシに甘えてはいけないよね」とあった。果物は灼熱の夏の体を優しくいたわってくれる。トシに甘えなくてもすむ体にしてくれる。ありがとう!

それにしても、東京から贈るものにはいつも頭を悩ませる。地の恵みはウドくらいしか思い浮かばないので、ついチクチク手仕事産物を押し付けることになってしまう。

エネルギーの発散

2007年08月09日 | Weblog
奥谷まゆみさんの「女力は骨盤力」を立ち読みした。エネルギーが過剰に溜まるといわゆる心の病の原因になるという。過剰エネルギーを発散させるには、どうするか。よく聞くのはスポーツとかカラオケとかなのだけれど、この本では、ジェット・コースターや、ホラーを挙げていたのが面白い。子どもが滑り台やブランコで発散するように、速く落ちる体感は、発散になるそうだ。ということで、ジェット・コースター。怖くてゾクゾクするのも緊張と緩和という大きな負荷になるわけで、ホラー映画など観るのも発散になるそうだ。両方わたしは苦手だけれど。

三文の徳

2007年08月08日 | Weblog
近頃早起き。5時半には暑くて目が覚めてしまう。朝風呂とベランダの打ち水が快感である。朝の暑さはまだ爽やかなので、仕事がはかどり、夜までの予定もあれこれ詰め込んでたててみる。けれど2時をまわるころには、動きが緩慢になり、5時過ぎには昼寝ならぬ夕寝になだれこむことも。予定も消化できずなのだが、早起きすると美人になったような気がするからいいのだ。

中国人の笑顔

2007年08月07日 | Weblog
母が中国に日本人が行くテレビを観て、市井の中国人の笑顔に感動していた。わたしも、「山の郵便配達」という映画を観て、人間という生き物はこんなに美しいものなのかと、登場人物全員の笑顔に胸を打たれたことがある。
http://www.hagi.or.jp/filmart/9th/films/postmeninthemountains.html

かたや、オリンピック景気でにわか長者が激増し、ぜいたく品が飛ぶように売れているとか、安全管理無視の利益追求とかで懸念されているけれど、中国の懐の深さは、想像を越えている。あんなに慎ましく深く明るく爽やかな笑顔は、素晴らしい生き方からしか出てこないと思う。そういう生き方が尊重される中国であってほしいし、そういうひとたちが国をリードしていってほしいものだ。

そのためには、世界全体の方向を変えていくしかない。そうしたら、日本にも、うそ臭くない謙虚であっておおらかな明るい笑顔が見えるようになるだろうか。浮かれ騒ぎのバカ笑いでも、ご機嫌取りの卑屈でも、社交辞令の気取りでもない笑顔が街にあふれるだろうか。

いや、世界全体の方向がどうあろうと、個人が自分の本来の笑顔を発揮していくことで、世界が変わっていくのだ。自分の笑顔が世界を作る。そうなんだ。
自分の笑顔に納得がいくときは、自分を納得しているときだ。

62

2007年08月06日 | Weblog
わたしの父が広島の平和式典に出席したのは、わたしが小学校に入る前だった。父は心打たれて帰ってきて、鶴の彫像のお土産を興奮していろんなことを話しながら手渡してくれたのは覚えている。それが「原爆の子」という広島平和公園内の佐々木禎子さんを偲ぶ彫像のコピーと認識したのは、ずっと後になる。像が完成したのは、昭和33年だから、父はたぶん完成時に行ったのではないかと思う。今思えば、幼いわたしになんとか戦争を伝えたいと話してくれたのだろう。ロシアの収容所の話はあまりしてくれなかった父だが。

アメリカでは、日本に原爆を落としたから戦争が終わった、侵略戦争をしないですんだ、と、学校で教育しているそうだ。年内に14万人もの人々が亡くなられて、数世代にも渡る後遺症の可能性があることを、教師たちは教えているのだろうか?

それはとても危険な考えだ。まるで、都合の悪い箇所は消しゴムで消して新しく書き直せるような考えだ。現実はそんなことはできない。繋がっているからだ。世界中に解決の糸口がみつからない問題がある。それは、その地域の問題に見えても、実は世界中と繋がっている問題だ。地球に生きるものは、全ていやおうなく繋がっている現実を無視する考えだ。世界中の人々が原爆の悲惨を感じて核武装廃絶に非戦に本気にならなくてはと願う。

日本人の中の意識すら、某大臣のようなひともいる。広島は過去ではない。ベトナムの枯葉剤に、アフガン、イラクの劣化ウラン弾に繋がっている。強いてはチェルノブイリの原発事故にも。

みんな、自分の家族のことと思う。わたしが日本人だからではない。本当にそうだからだ。

原爆経験は、日本唯一のものだとよく言われる。わたしは、日本だけの経験としてはいけないと思う。
原爆経験を、未来永劫、人類唯一のものとするために、地球上全てのひとが、当事者意識をもって、人類の経験として、原爆経験を人間が犯してしまった愚と認知していくことが大切だ。広島、長崎の方々には、鎮魂のために静かに過ごしたいのにうるさくて迷惑なこともあろうと思うけれど、これらの記念日に、たくさんの人たちが関心を持つことを許して欲しいものと思う。人間が全核放棄するまで、何世代先までも、広島、長崎は、被爆の恐ろしさを伝えていってほしい。

医者だった父は、原爆の体に与える強力な影響をより現実的にわかったに違いない。連れ合いが広島に導かれ、地球ハーモニーコンサートを元安川親水テラスで何年も続けてこれた縁は、亡き父の思いの後押しがあるのではないかと、わたしは感じている。

http://earthharmony21.com/hiroshima/index.html


暑い一日2

2007年08月05日 | Weblog
母の携帯が通じないので部屋に行ってみた。ドアを開けるとすごい熱気で、入るのを憚るほど。「暑いわよ」「クーラーつけてるんだけどねぇ。もっと温度下げなくちゃだめかしら?」リモコンを見ると、25度。暖房だった。。。

年を取ると、寒暖にも鈍感になって熱中症になると言う。冬にも暖かい日に寒いと言ったり、寒い日に暖かいと言ったり、どうもおかしい。気をつけなくちゃ。

暑い一日

2007年08月04日 | Weblog
冷房嫌いの母もさすがにきょうはつけてしまったそうです。だるさをなんとか解消させてあげたくて、たらいにお湯を張って足湯。首の後にアイスノン、口にはかき氷を少し、背中を気功マッサージ。足湯は自分でもやってみて、なかなか快適です。お風呂の残り湯をベランダに何回も運んで打ち水もしました。ロングワンピースを切ってキャミとミニスカートのツーピースにリメイクして着ました。今夏はふくらはぎに布が触れるのが我慢できなくて、次々とミニスカートを作ってます。

カラオケで

2007年08月03日 | Weblog
作詞家阿久悠さんを偲んで、何曲か歌ってみた。全て初めて歌うのだけれど、言葉とメロディーが自然なので歌いやすく、感情移入しやすいと感心した。「舟歌」「北の宿から」「ジョニイへの伝言」「津軽海峡冬景色」

息子や娘が歌う若いひとが作った新しい歌の詩は、ポジティブで立派な志のメッセージが主流。そこに混じるとこれらは、苦労と悲哀に浸っている。

連れ合いが、こんな辛い歌が流行った時代には自殺は今よりずっと少なかったんだねぇと。ネクラが市民権を持っていた時代で、だから、落ち込んでも自分だけじゃない、人生こんなもんだと思えたのではないだろうか。みんなで負け犬の遠吠えを歌った時代。そうやって発散していたのかもしれない。

ホロリ

2007年08月02日 | Weblog
家族の応援を得てガラス職人から何年もの苦労の末、木工作家に転身したおとうさん。ようやっと建てた新築の我が家に舞い上がった娘たちは壁にらくがきをしてしまった。「おとうさんは、がっかりして怒るんじゃないかしら?」しゅんとする娘たちと共に帰りを待つおかあさん。帰ってきたおとうさんは、らくがきを見るなり「これはいい記念になるね」と、木枠で額縁を作り、らくがきに施した。それを見た娘たちの笑顔を今も忘れないと言うおかあさん。

テレビを見ててホロリとさせられるのはこんな時。