7月に続き、
気付けば8月になっていた。
8月は、チャー坊だぁ!
考えてみれば、私は真夏のチャー坊を知らない。
出会ったのが2月で、別れたのは7月だったから。
私は、私に駆け寄ってくるチャー坊しか知らないのだ。
長く生きたチャー坊の、たった半年のうちの、ほんの一部しか知らない。
あの子が、どうやって雨を凌いだのか、
どうやって寒さに耐え、酷く暑い日はどうしていたのか、
何も知らない。
この画像は、
2月、チャー坊が私の前で初めてひっくり返ってみせた時のチャー坊。
そして、これは
チャー坊を連れ去る日の前日のチャー坊。
この日は、もうかなり、具合が悪かった。
それでもチャー坊は、前足を引きずって私の元へ来た。
もうご飯は一切食べられなかったくせに、
「ねえ、日向ぼっこしようよ」と
太陽の光が最も集まる場所へ私を誘った。
私は、そんなチャー坊が愛おしくて、
だけど、どうしてやればいいか答えが出せなくて、
コーヒーを飲んでいるのに、
その味は、口元に流れ落ちる涙の味のほうが強かったのを覚えている。
私は今でも、あれで良かったのか、分からない。
誰も答えなんて持っていない。
それは、チャー坊もだろう?
猫はきっと、後悔なんてしないし、誰も恨んだりしない。
だからといって、だからこそ、
人間が好き勝手していい訳が無い。
いや、その好き勝手が、猫を幸せにするのなら。
幸せそうに見えるなら、それを答えとするしかない。
そんなことを、私は懲りもせずまたやってる。
コーヒー飲みながら、地べたにしゃがんで猫を眺めている。
私の知らないチャー坊を、ずっと前から知っていた猫だ。
それは、マアコ。
野良猫マアコだ。
チャー坊みたいに、私を見て駆け寄って来るなんてことはしない。
それが、私にとっては、まるで優しさに感じる。
「スットコ女を頼ろうだなんて思っちゃいないわ。」
と言わんばかりに強い視線を向ける、その目が、実に頼もしい。
頼もしいってのは、優しさの一種なのかもしれないと気付く。
そう、私はマアコを眺めながら、一つでも多く、言葉を探している。
答えのない事への言葉を、探しているんだということに気が付いた。
そんな訳で、インスタを再開しました。
なぜか、記事にリンクが貼れませんが、すみません。
左脇のインスタマークからは行けます。
インスタなのに、クソ長い文章ばっかりですが、
新しいスマホになったから、画像が綺麗になっていくのをご覧ください!