この度は、
たくさんの応援のお言葉をいただき、
誠にありがとうございます。
おはようございます。
父さんは、今日が経過検査になるかな?
明日だったっけか?
改善していることを願うばかりだが、
願っているくせに、父の通院の日時さえ、
あやふやにしか覚えていないなんて、
なんてことだ!
しかし、父さんに至っては凄くしっかりした老人だものだから、
まったく助かる。こっちがおんぶに抱っこしとくれよって
言っちゃうくらい、助かる。
うんこさんのほうは、進展はない。
といっても、顔は挙がるようになったし、歩くようにもなった。
小走りで追い掛けてもくるんだよ。
ただ、食べない。
現在は、抗生剤の投与と点滴で保っている状態だ。
それで様子を見て、進展が無いようなら次の作戦を練る。
病院も探り探り、しかし本猫のストレスも考慮しながら、
進めてくださっているので、救われる。
強制的な給餌は、まだ考えていない。
ずっと、しないかもしれない。
する気にならないかもしれない。
諦めるという意味ではない。
私は、諦めない。
ただ、それは、うんことの対話のことだ。
私は、うんことの対話を諦めない。
と言いながら
強制給餌の用意は揃えてあるという、迷走ぶりだ。
ついでに、今朝からお経を読むようになった。
うんこの生前供養などではなく、
願掛けのつもりであり、瞑想のつもりだ。
どうですか?
この私の迷走の方向性の危うさよ。
今朝のうんこさんは
えっ?って思われた人、いるよね?
ぽっちゃりしてるもんだから、どこが具合悪いの?って思えちゃう人、
えっ?って思っちゃうのも、無理はないの。
私でさえも、うんこが具合悪いなんて、
いまだに思えないんだから。
もしかすると、壮大な「うんちゃん、かわいそう病」では?って
どこかで信じたい自分がいるんだ。
だって、うんこだから。
投薬する私に、めちゃくちゃ怒ってる姿だって、
笑っちゃうんだもん。
だって、私の大事な大事な娘が、うんこなんだから。
闘病中の子、ちょっと良くなってきた子、
この今を、泣き笑いしながら共に居てくれる人がいる。
みんなみんな、頑張ろうね!