私の家には、
猫が4匹、暮らしている。
おはようございます。
4匹も居れば、騒がしいかと思いきや、
実際、鳴きまくる猫が居るから騒がしいのだが、
撫ぜろと鳴きながら手を伸ばしてくる様を見ていても、
不思議と、私の心は静かでなだらかだ。
「うーるさい!」と応戦しているのだから、
そのやり取りは、傍から見れば騒がしいのだろう。
熟睡中のおじさんが、起きてしまう程、騒がしいが、
この家の空気は、そんな時も静かなのだから不思議だ。
数年前は、6匹暮らしに、保護猫3匹が加わって、
合計9匹での、戦場のような朝ごはん風景もあった。
しかし、それを思い出す時でさえ、
音のない静けさの中の映像が流れる。
とても、静かでなだらかな記憶だ。
猫を見送った時も、猫を拾った時も、
尻にウンチを付けて走り回る猫を追いかけた時だって、
思い出せば、音は無く、静かな記憶として残されている。
今は、よねの闘病に付き合っているのだから、
普段より忙しいはずだが、
それでも、心は、やはり、静かなものだ。
元気のない日も、絶好調な日も、
ただ真っすぐ生きる猫の姿は、実に静かで、なだらかで、
私は、猫の懐の深さを思い知る。
そして、いつしか、私は、
猫のように生きたいと思えるようになっていた。
気ままに寝て過ごしたいという意味ではなく、
いや、若干それも含まれるが、
猫の持つ、静かで深い懐に、憧れを抱いていたのだった。
とかいって、やっぱり、私は、犬が好き。
さて、今日は、
そんな犬好き猫飼いの、最近の「わ・た・し」
梅の木と、本気な、わたし
猫と顔を隠す、わたし
猫と、開き直った、わたし
その次の日の朝な、わたし
どうです?
ただ生きている私ですが、猫のように見える?見えない?
でしょうな!