映画館で観たいと思っていて観られなかったこの映画を、昨日BSが放映してくれたのでそれを観ることができた。
後味悪い。実話なだけに、実に後味が悪い。哲学者の土屋賢二先生がかつてどこかで「妻という字は毒という字に似ている」と書いておられたのが頭によぎった。土屋先生の場合はともかく、トルストイの場合は洒落にもならない。夫の臨終の場で泣きながら夫の許しを乞う妻。残酷だ。
唯一の救いは、この映画が記録フィルムではなく創作映画であり、妻ソフィア役で主演のヘレン・ミレンやトルストイ役のクリストファー・プラマーが魅力的で演技力も素晴らしいので、それが実話の悲惨を幾分カバーしているところだろうか。
本編を観賞後、この映画の日本版予告編をYouTubeで観て、驚いた。え、これ、長きに渡る夫婦愛の話、妻の家族愛の話と紹介されているの?そうですか、そのようにしか捉えられないのならば、そう言うのがよい。映画に描かれた人物伝をどのような感性で捉えるかなど全く自由だし、何が正しくて何が間違っているなどというものはないのだから。
私はといえば、この映画の中に愛を見出すとすれば、それはトルストイの、もう愛することのできない妻を何とか愛そうとする努力の中に、そして、「死んだ他の子の代わりにお前が死ねばよかった」と母親に罵倒されながらも母親を愛そうとする愛娘の姿の中に、その娘の父親に対する健気な敬愛に、である。
トルストイが求めても手に入れることが生涯叶わなかったアガペーを彷彿させるような性愛、トルストイの愛は、トルストイを尊敬してやまない、若い秘書ワレンチンとその恋人マーシャとの瑞々しい愛によって引き継がれた。
こうしてトルストイは、死んでも生きる。復活であり、命であるイエス・キリストを信じるレフ・トルストイは、死んでも生きる。そのように、聖書にはある。
後味悪い。実話なだけに、実に後味が悪い。哲学者の土屋賢二先生がかつてどこかで「妻という字は毒という字に似ている」と書いておられたのが頭によぎった。土屋先生の場合はともかく、トルストイの場合は洒落にもならない。夫の臨終の場で泣きながら夫の許しを乞う妻。残酷だ。
唯一の救いは、この映画が記録フィルムではなく創作映画であり、妻ソフィア役で主演のヘレン・ミレンやトルストイ役のクリストファー・プラマーが魅力的で演技力も素晴らしいので、それが実話の悲惨を幾分カバーしているところだろうか。
本編を観賞後、この映画の日本版予告編をYouTubeで観て、驚いた。え、これ、長きに渡る夫婦愛の話、妻の家族愛の話と紹介されているの?そうですか、そのようにしか捉えられないのならば、そう言うのがよい。映画に描かれた人物伝をどのような感性で捉えるかなど全く自由だし、何が正しくて何が間違っているなどというものはないのだから。
私はといえば、この映画の中に愛を見出すとすれば、それはトルストイの、もう愛することのできない妻を何とか愛そうとする努力の中に、そして、「死んだ他の子の代わりにお前が死ねばよかった」と母親に罵倒されながらも母親を愛そうとする愛娘の姿の中に、その娘の父親に対する健気な敬愛に、である。
トルストイが求めても手に入れることが生涯叶わなかったアガペーを彷彿させるような性愛、トルストイの愛は、トルストイを尊敬してやまない、若い秘書ワレンチンとその恋人マーシャとの瑞々しい愛によって引き継がれた。
こうしてトルストイは、死んでも生きる。復活であり、命であるイエス・キリストを信じるレフ・トルストイは、死んでも生きる。そのように、聖書にはある。