Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

ピューリタン革命

2008-04-24 17:54:23 | 遥かなる銀幕の世界
忙しい。
そのさなかこそ、半ば自虐的にブログを書いたり映画を観たくなるものだ。そのようなわけで、前にアマゾンUKのセールのときに購入しておいた映画 Cromwell (1970年) を鑑賞した。

そう、ピューリタン革命の指導者であり、チャールズ1世の処刑後は護民官として共和政治を執り行った、オリバー・クロムウェルの話である。映画はクロムウェルが護民官に就任するまでのこと、つまりチャールズの処刑までのことが中心なので、それ以降の彼の政治活動がまったく描かれていないのが、至極残念である。だけれども、今更ながらお恥ずかしい話ではあるが、クロムウェルによるアイルランド制圧(というか、虐殺)が行われた理由が、やっと頭の中でつながった(ような気がする)。

映画としては…もうちっと、歴史の扱いを丁寧にしてほしかったかも。とくに、彼の護民官時代の出来事がまったく描かれていなくて、最後のナレーションだけで「彼の就任期間は5年と短かったものの、民主主義の土台を気づいた彼の歴史的功績は、計り知れない」と終られても……。まあ、それでもここまでくるのに2時間以上もかかっているのだから、これ以上は無理だったか。

クロムウェルを演じたリチャード・ハリスが元気だ。当世でいうと、フランスの名優ジェラール・ドパルデューとかぶる感じだ。クロムウェルは演説が上手かったんだろうなあと、ハリスの演技から、こんな風に変な感想が湧いてきた。でもやっぱり圧巻は、チャールズ1世を演じたアレック・ギネスの上手さである。ギネス、何やっても上手いなあ。

…もっとピューリタン関係を研究せねばっ、ということを常に反省はしているものの、なかなかはかどらない。まあ、あせってもしょうがないので、のんびりいこう。それにしても、トマス・カーライルの Oliver Cromwell’s Letters and Speeches 、手に入れたいなあ(母校の図書館には所蔵されているようだが、いちいち行くのが面倒だし)。しかしながら改めて思うのは、クロムウェル関連の、日本語による文献の乏しいこと。クロムウェルは、神学方面からのアプローチ以外の研究―歴史学、政治学等の分野でも―が可能な人物であるはずなのだから、もっと研究が盛んでもよさそうなものなのに、何でかな、やっぱり、日本は天皇制の国だからなのかな。でも、あの内村鑑三だってクロムウェルを賞賛しているわけだし…ブツブツ。それに、それを言うならイギリスだって同じような条件なのに、イギリスにはクロムウェル関連の文献はいっぱーいあるぞっ…ブツブツ(ま、当然か)。

よく言った、コアラくん

2008-04-12 05:31:59 | 豆大福/トロウ日記
オリンピック聖火リレーが各地で騒動を起こしているニュースに関して、古舘伊知郎氏が以下のようなことをコメントしていた。

「日本としてはもう少し、ダライ・ラマと中国政府が対話を持てるように働きかける必要が、もっとあるのではないでしょうか」。

そのとおりである。チベットの人々は、本当に追いつめられているのである。精神的・経済的自由が抑圧されている彼らにとって、彼らの現状を国際社会に訴えるチャンスは、大変限られている。聖火リレーに「かこつけて」(であろうと)、世界で起こっている抗議行動に対して、私たちはもっと真剣に耳を傾けるべきではないか。

というようなことを書いて恐れるのは、暴動大いに結構、とあたかも私が暴動をたきつけているようには受け取られないだろうかということだが、まったくそんなことはないのである。ダライ・ラマが一貫して非暴力を呼びかけていることは、本当にありがたい。どうか抗議行動をする皆さんにはそのとおりに、暴力に訴えることだけは避けてほしいと願ってやまない。でも、だからこそ国際社会の側としては、チベットの叫びを真摯に受け止めるべきなのではないだろうか。

オリンピックは純粋にスポーツの祭典である、というテーゼ自体が最早茶番であることも、冒頭のコメントの前に古舘氏は言及していた(もっとも「茶番」とは言っていなかったけれど)。オリンピックが政治的思惑のぶつかり合いであり、経済効果を目論む欲に満ちた大企業の思惑で動かされていることは、近代オリンピックが始まって以来ずっとそうだったし、近年その傾向は極みに達するほどにエスカレートしてきている。

しかしそういった事実にまるで目を覆うかのような、特にアスリートならびにその周辺の人々たちにありがちな、「スポーツは純粋であり、その美しさの追求を極められるのが平和の祭典としてのオリンピック」的な意見には、正直のところ、私は辟易している。さらには、スポーツが「政治的なもの」であることは、ある人々にとっては残念なことかもしれないけれども、それは古今東西、昔からの慣わしであったのが事実、といっても過言ではない。

スポーツはそういうものなのだ。もしこれを否定したいのであれば、アスリートの方々は、政教分離ならぬ、政「スポーツ」分離を徹底するのが筋なのだから、たとえば「スポーツ平和党」を結成したり、国会議員に立候補したりすることを控えるべきではないのか。

「中国との関係は、特に経済活動において、とても重要だ」。これもそのとおりなのだろう。しかし、経済とチベットの自由(あるいはチベットの人々の生命)とは、利益を衡量しうるものであろうか。相手の機嫌を損ねると自分が損をしてしまいそうだから、まあ、自分が損をしない方に加担しておこう……これ、日本がいつか犯した間違いでないかい?そう、イラク戦争のときの、アメリカに対する日本の態度がこれであったのは、記憶に新しい。どうか、このような過ちを、日本は繰り返して犯さないでほしい。

欧州の抗議の仕方が、開会式欠席の方向にあるとすれば、それはそれでいい。それが、彼らの選択なのだから。そして日本には、日本らしい抗議の仕方があるはずだ。もっとも現総理に建設的なそれを期待することは全くできないのは明らか。なので、「中国はチベットと対話を」という世論を盛り上げてゆくのも、日本の人たちのできることの一つではないだろうか。たとえばこんな風に、ブログで取り上げるとか。

補足:ところでこのエントリのタイトルにある「コアラくん」は、お察しのとおり、古舘氏のこと。似てるでしょう?彼と、有袋類でオーストラリア名物であるところのコアラ。とくにカメラ目線でこちらを正面から見ている画なんかは(ちなみに私の周囲では、彼はコアラで通っている)。

笑いのツボ押されまくり

2008-04-07 19:26:49 | 豆大福/トロウ日記
昨日録画しておいたNHK「サラリーマンNEO」を今日、見た。待っていたよ~season 3 のスタートを。昨年はエミー賞ノミネート、おめでとう。

濃ゆ~い俳優たちによる、濃ゆ~いキャラクターのオンパレードが展開される番組である。NHKとしては異色のコメディー番組というべきか、いや、NHKならではの、真面目の極地から生まれ出づるおバカ番組というべきか。

1番はやはり、セクスィー部長でしょう。完全にいっちゃってるセクスィー部長・色香恋次郎を演じる沢村一樹、恐るべし。来週の番組予告によると、沢村の別キャラ「川上くん」(こちらは、ひょっとすると実在の可能性ありと思わせるキャラ)も健在のようなので、楽しみだ。

あとは、私は平泉成の「大いなる新人」が気に入っていたのだが、今シーズンもあるのかな、これ。あと、「美しき食卓」「社内スタントマン」「部長の親」、宝田明シリーズなんかも、是非に。スタッフの方々、よろしくたのむよ!