Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

研究発表を振り返って

2006-09-24 19:35:57 | 豆大福/トロウ日記
タイトルからすると、まるで自分が研究発表をしてきたかのような印象を与えるかもしれないがそうではない。「文明と宗教」研究会のメンバーであるpensie_log氏の、日本基督教学会での研究発表「波多野精一における無と他者」を拝聴し、この場で私も感想や質問などを述べてみたくなったのである。氏の発表の際に使われたレジュメに近い原稿が氏のブログにアップされているので、発表の内容はそちらを参照していただくとして、ここでは私の感想だけの羅列になるがお許しいただきたい。

発表後会場で、ある質問者から、波多野がここでいう「無」とはどのような「無」であるのか、西田幾多郎の言うような「絶対無」とは違うのか、という趣旨の問いが出されたが、これは私にとっても非常に重要な問いのように思われた。私たちの存在の根底における「絶対的な他者性」の体験が可能になるには、「人間的主体が帰せねばならぬ」という場合の「無」は、pensie_log氏のその場での答えによれば、西田のいう絶対無とは違うということだった。「無という名をもった質量的存在者」でない無でありながら、絶対無とは異なる「無」は、どのような位置におかれる無なのだろうか。確かに、氏の引用(注27)にあるように、「無は有の傍らまたはその外にそれ自らの存在を保つものとして存在しているのではなく、……有のうちに包含されているのである」ところからみても、波多野は絶対無とは異なる無を言っているようだ。「無からの創造」(creatio ex nihilo)の教理がキリスト教史上しばしば問題視されてきたのは、有(あるいは神)より先に無が存在することを是認するわけにはいかないという思惑からであって(このあたりはとくに、「創世記」の創造神話をモチーフに喧々諤々されるように思われる)、また、「無からの創造」論が、いわば全知全能の神あるいは一神教の神概念の確立にとっては必要な思想だったからだと思うが、絶対無でなく、質量でもない無を、波多野はどのような「無」と考えていたのだろうか。

さらに、波多野において「無からの創造」から存在‐愛‐論が導かれるという点だが、氏が言われるように、これはいわゆる京都学派特有の絶対無や弁証法からのアプローチとの違いが浮き彫りにされているところであって、私もそのあたりについて、改めて考えさせられた。そこで私が思うのは、主体や、時間の中で絶えず無が克服されていくことが、「愛」の概念に結びつくというその仕方が、どのようになのか、という問題だ。なぜ私がこのことを問題にするのかというと、「有のうちに包含された無」という考え方によってキリスト教史上、導き出されてきたのは「神の愛」の創造力という面の他に、神義論の問題の提起でもあったからである。

たとえば、イレナイオスなどの使徒教父たちが力説しているように、無は神の全知全能を表現する言語であり、「神に反抗する勢力」をまったく意味しなかった。それが、グノーシスなどの立場では、無が神の全能を表すのではなく、神に抵抗するものとして考えられるようになった史実を知るときに、後者のような立場では当然のこと、神義論の問題としての「無」となったといえるからだ。この歴史的事実を考えるときに、波多野の「無」をpensie_log氏がどのように考えられるのか、もう少し明快にしてくださると有難い。

以上2つの点についての私の感想などはともかく、pensie_log氏の発表は、改めて波多野の今日的意義について再認識させてくださった。とくに、創造と世界の構造という問題や神論について、自分自身の研究テーマのひとつであるE・ルイスやP・ティリヒなどとの関連でも、波多野は対話すべき相手であることを改めて考えさせられた、有難い機会となった。

「次元的思考」理論について

2006-09-23 16:14:23 | 豆大福/トロウ日記
21、22日の両日にわたって開かれた日本基督教学会が終わった。そこでは、「文明と社会」研究会のメンバーの方々ともお会いすることができた。今年はホスト会場が上智大学だったこともあり、カトリック研究者たちによる発表がいつもより多かったように思う。カトリック研究をされている方とは普段なかなか接触の機会がないが、今回、こういった方々の研究発表や基調講演を通して、いろいろと刺激を頂いた。また、研究会のメンバーである桶川利夫氏やpensie_log氏の発表をはじめ、他の研究発表やシンポジウムのことなども、今後少しずつ振り返っていきたい。

初日の帰り途、桶川氏と一緒になった。そのとき、彼は昼休みを利用して「赤坂見附の交差点」まで散歩に出向いたという話をしてくださった。そう、あの赤坂見附である。Dr.大福の実存論的神学から導き出される、「次元的思考」(dimensional thinking)が生み出された地である。「次元的思考」の説明について、本来私も詳しくここで展開する義務があるようにも思うが、桶川氏がご自身のブログで見事に解説なさっているので、そちらを参照していただきたい。そこでは交差点の立体具合がよく分かる写真も掲載されている。

しかしながら、今回「次元的思考」の解説は桶川氏に頼るとしても、Rev.豆大福としては、それが実際どのように世界内で適用されるのかについて、折々触れていかなければならないと考える。前出の拙文「社会正義と教会活動」で、たまたまではあるが、私たちの世界内における次元的思考のあり方を私は提示したつもりである。桶川氏はブログで、野呂芳男『ジョン・ウェスレー』で紹介された例――神の恵みと人間の自由意志の関係――と、同『実存論的神学』における扱い――聖書の歴史批判と信仰との関係――を引き合いに紹介されている。さらにそれに付け加えるならば、実存的神学から導き出される「次元的思考」の理論は、それらの関係だけを取り扱うことを越えて、信仰と世俗社会、自然科学の分野など、さまざまな方面にも応用されていくことが可能であることは、言うまでもない。

ここで注意しておきたいことがある。次元的思考の帰結として、教会(あるいは神学)と世俗とのそれぞれの世界が、それぞれ独立別個に真理の追究を行えばそれでいい、という態度が導かれるとしたら、それは実存論的神学を大きく誤解しているということになろう。それはたとえば、第二次世界大戦中に多くの日本のキリスト教会が、天皇制に裏付けられた軍国主義に迎合した際に採用した立場にみられるような、つまり教会の真理方向と日本社会の向かう道が矛盾を起こした際に取られた態度のような誤りを指す。あるいは、すでにF・ゴーガルテンによって批判的に指摘されていることだが、一人の同じ人物において、教会での敬虔な「私」と世俗社会内での「私」が乖離するような態度は、「次元的思考」から導かれるべきものではない。それは、次の箇所からも明らかである。

次元の相違ということは、決して両者(引用者注・世界内の出来事と信仰の向かう道)が無関係であるということではない。両者とも、人間が自分の体験の中において触れることのできるものであってみれば、相互に影響し合うのが当然である。(『実存論的神学』、233ページ)

つまり、次元的思考の理論を、「別の次元の真理を、同次元に混同させて考えるべきではない」と理解するだけでは不十分なのだ。それに加えて、それら別次元のそれぞれの真理を貫く1本の支柱として、一人ひとりの人間としての体験が前提とされていることを忘れてはならない。

社会正義と教会活動

2006-09-18 20:54:37 | 豆大福/トロウ日記
やっかいなテーマである。教会は、どの程度社会と関わるべきか、という問題は、おそらくちょっとやそこらで答えが見つかるような問題ではないのだと思う。ブログのよいところは、このような深刻な問題であっても、サラリと自分のスタンスを表現できるという点にあるかもしれない。我ながら当ブログのタイトルを ‘Café’ と名づけたのは正解だったと感じている。ブログという媒体に、このタイトルは合っていると思う。

さて、社会と教会との関わり、である。Dr.大福によって提唱されている「次元的思考」を持ち出すまでもなく、宗教の目指す真理の方向と、社会のそれとは、一応次元を区別して取り扱う必要があるだろう。しかしながら、『実存論的神学と倫理』の中でラインホールド・ニーバーに倣ってDr.大福が表されているとおり、キリスト者にとって、一般社会における正義は、神の愛(アガペー)を中心に支えられるべきものである。だから、キリスト者にとって社会正義の内容は、神の愛が投影されるべきものとなる。であるならば、キリスト者が多い地域や国は、さぞかし神の愛が具現されている社会であってもよさそうなものだが、実際はそうとは言えないとしか言いようがない。テロリズムに負けるわけにはいかないという「正義」を振りかざして、他国民の、そして自国民の、何万人もの尊い生命を犠牲にする「キリスト教国」が存在するのだから。

もっとも今の私は、合衆国の平和への取り組みにまで、とても気を回す余裕が持てないほどに、日本の平和が危機的な状況に置かれていると感じている。日本におけるキリスト教会の平和を希求する動きとして思い出されるのは、1967年の「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」であったり、また、他のプロテスト教団によっても戦争責任は公に告白されてきている。その他にも、あの戦争が残した様々な傷跡――従軍慰安婦問題や靖国問題など――に対して、日本のキリスト教会は動きを見せている。

教会が、社会正義の実現を追い求めることは、あっていい。むしろ、あるべきだと思う。しかし、個人であれ集団(教会)であれ、「キリスト者であること」を振りかざして、社会と関わるべきではない。そうではなく、キリスト者である個人または集団は、キリスト者でありながら、一般社会に生きる社会人として社会と関わるのである。それは、キリスト者「であるから」社会正義の問題と関わる、ということとは異なる。一例を挙げると、たとえば私が靖国の問題を語るときには、靖国神社とは信仰が異なる「キリスト者だから」靖国神社を批判するのではない。もし、そのような立場から靖国問題を批判するのであれば、靖国問題の本質を見誤った批判となってしまうだろう。今回は、この問題に深入りするつもりはないが、靖国問題は「信仰の違い」で言い表せるようなところに問題があるのではない、とだけ述べておこう。とにかく、このような社会の問題に対して私はまず、社会に生きる一個人として取り組むべきであり、その私は信仰者としてはキリスト者である、という態度で臨むべきだと思う。つまり、キリスト者と社会正義との関わりは、次元の区別と異次元事象の相互関係が求められるのだと私は考えている。

神学者エドウィン・ルイス

2006-09-10 22:30:01 | 豆大福/トロウ日記
ユーカリスティアのウェスレー研究会では今、ウェスレーの標準説教の精読を始めるに当たり、『ウェスレー著作集3 説教 上』(新教出版社)の巻頭に寄せられているエドウィン・ルイス(Edwin Lewis)の「学者・伝道者・神学者としてのジョン・ウェスレー」を読んでいる。ルイスは、Dr.大福のエッセイ「回想の神学者たち」にあるように、Dr.大福の恩師であり、また、20世紀前半におけるアメリカのメソジスト神学者・組織神学者として筆頭に上げられる一人である。そのようなわけで、Rev.豆大福はルイスの孫弟子といえると思うのだが、私が生まれる前の1959年にルイスは亡くなっているので、残念ながら私は直接お会いすることはできなかった。

私が卒業した後に、ドルーの神学校は改装をしているようなので、果たして今でもそうなっているかどうか分からないが、私が在籍していた頃には、神学校の入口ドア近く、学部長室の脇の壁に、ルイスの大きな肖像画が掲げてあった。毎日そこを通るたびに私は足を止めて、その時々に私が抱えていた神学的問題などについて、心の中でルイスに問いかけたものだった。「ルイス先生ならば、何とお答えになりますか」と。それだからかもしれないが、私はルイスにお会いしたことがないにもかかわらず、私にとって彼は、会ったことがないようには思えない人物なのである(実際、私の夢に出てきてくださったことがある)。

ルイスの寄稿文の内容についてはウェスレー研究会でじっくり検討するとして、彼の神学が、今もなお斬新であって、それでいてキリスト教の、ある伝統を忠実に継承するものであることを、今更ながら私は噛み締めている。「キリスト教の、ある伝統」とは、一言でいうと、彼はパウロを礎にして神学を構築したということである。ところで私が見るところによれば、キリスト教史上におけるパウロという人物の取り扱いは、複雑であるように思える。パウロ文書はキリスト教の正典として聖書に取り入られているし、ペトロを礎とするヴァチカンからさえもパウロは重要人物として崇められている。しかしパウロ文書から窺えるパウロは、必ずしもペトロに好意的ではない。パウロは自分のことを「月足らずで生まれたようなわたし」「使徒たちの中でもいちばん小さな者」と言いながらも一方では、「あの大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けは取らないと思う。たとえ、話し振りは素人でも、知識はそうではない」(2コリ11.5-6)や、ガラテア書2.11以下のペトロへのパウロの非難などからも、パウロがペトロたちをあまり評価していなかったことが分かる。キリスト教「メインライン」の祖ともいえるペトロの流れと、異邦人伝道に尽力したパウロの信仰は、かなり異なっている。今ここでそれらについて詳しいことを述べる余裕はないが、メインラインからすると、正直のところ、パウロは「正論を言う者だが、組織を形成してゆく際には煙たい存在、でも採用せざるを得ない、無視するわけにはいかない者」というような感じなのだろうか。

上で述べたことはほんの端緒でしかないが、キリスト教が原始の時代から、その信仰のあり方が様々であったことがこれだけでも窺えると思う。その様々な流れの中でも、パウロの流れを継承することを公言することは、教会史上、ある意味で常に危険と隣り合わせの選択であったといえる。中世において異端とされた諸キリスト教団が、宗教改革期にはマルチン・ルターが、危険を被った典型的な例といえよう。これらの人々は、文字通り命がけでパウロ主義を貫いたのである。このような事情のもと、神学者たちは「異端者」という烙印を押され迫害を受けることよりも、さらに恐ろしいこと――自説が抹殺されること――を避けるために、メインラインから外れる危険を冒すわけにはいかなかった。

話をルイスに戻そう。このような、火あぶりの時代は完全に過ぎ去った時代に生きたルイスではあったが、それでもまだ、歴史研究の黎明期にあったといえる20世紀前半の神学者が自らの神学の礎をパウロに据えたことは、研究者としての誠実としか言いようがない。しかしその姿勢は、ジョン・ウェスレーという人物の姿勢でもあったのだ。つまりウェスレーもまた、パウロ、そして今回この場では言及していないがパウロを継承するヨハネの路線で、神学を構築した人物であったと言えよう。そしてもちろんのこと、その流れの延長線上にDr.大福がいて、私たちの教会・ユーカリスティアがある。