今回、初めてTOEICを受けてみた。今まで、この種のテストを受ける必要もなかったし、受ける気も起こらなかったのである。
とはいえ、今、このスコアが必要かと言われれば、実はさしあたり必要もない。単立教会の牧師(司祭)であったり、いわばフリーの神学者であるような者にとっては、相変わらずそれは必要がないものだ。要は、資料を読んだり仕事を遂行する上で支障がなければ、スコア自体は無意味なのである。それにこの世界で必要なのは到底英語だけではない。
たとえばユニオン神学校で学位を得た大福先生の場合を引き合いに出せば、学位習得のための必修言語はドイツ語、フランス語、古代ギリシア語、ヘブライ語、ラテン語である。あとは、研究対象によって、任意に習得が必要な場合が生じる。ちなみに大福先生の場合、旧制中学時代に漢文を白文で学習していたのが功を奏し、中国語で書かれた経典の翻訳も遺されていたりする。あとは、一時スウェーデン語習得も目指されたようだけれども、これは挫折したみたい。研究者も人間なので限界はある。もっとも私の場合、その限界はかなり浅いところにあるわけだが。
今回TOEIICを受けてみたのは、本当になんとなく、である。世間では、ユニクロだとか楽天だとかトヨタだとか、何やら英語公用語化を決めているようだし、何だか私も、「数字」が欲しくなったのである。これらの企業が何を決めようと、自分には無関係であるのに。自分なりにこの受験を分析するならば、まるで死んで生きているようなフワフワしている自分に対して、何かしらの数字、この社会におけるひとつの基準とされてようなものを、突きつけてやりたい衝動にかられたのかもしれない。
申し込んではみたものの、引越しや何やらで、その後の生活が急に忙しくなってしまった。ほとんど何の対策をすることなしに試験を受けるというのは、それがいかなる試験であっても無謀だということは重々承知している。しかも、そのような条件で試験を受けた結果、酷いスコアに直面しなくてはならなくなることに、申し込んだ後になって気がついた。
初回受験、対策は時間的に不可能、といった条件から、弟の意見などを参考に、目標スコアはやや甘めに設定しておくことにした。とはいっても、試験なのでどうなるか分からない。結果が800点以下だったら自殺したくなるかも、なんてブラックな冗談を言っていたので、内心、弟はヒヤヒヤしていたかもしれない。
そして今週、結果が送られてきた。スコアは自殺しなくて済むものだったし、目標点もクリアできていた。でもそれはかなり甘めに設定していたからで、満足、からは程遠いスコアであったことは事実。中でもリーディングの点数が悪いのがとてもショックだ。なぜ、リーディングの出来がこんなに悪いのか、納得がいかない。そうだ、ここは年のせいにしよう。先行する45分間のリスニングで、集中力を使い果たしてしまったからだと考えることにしよう。それにしても、素材が味も素っ気もないビジネス文書、しかもチラシやメール文書の繰り返しであるにせよ、リーディングで9割以下の得点って……研究者としていかがなものか。ショック。
それでも、今のところ再受験をする気は、全く起こらないなあ。今回スコアを得ることで、一応の「基準」を自分につきつけてみても、やはり私の心情には何の変化も起こらなかった。しかしそれは、予想通りだ。
現実的にスコアが必要になる場面が今後でてきたら、今回のリーディングへのリベンジも考えなくては、とも思えるのかもしれない。
とはいえ、今、このスコアが必要かと言われれば、実はさしあたり必要もない。単立教会の牧師(司祭)であったり、いわばフリーの神学者であるような者にとっては、相変わらずそれは必要がないものだ。要は、資料を読んだり仕事を遂行する上で支障がなければ、スコア自体は無意味なのである。それにこの世界で必要なのは到底英語だけではない。
たとえばユニオン神学校で学位を得た大福先生の場合を引き合いに出せば、学位習得のための必修言語はドイツ語、フランス語、古代ギリシア語、ヘブライ語、ラテン語である。あとは、研究対象によって、任意に習得が必要な場合が生じる。ちなみに大福先生の場合、旧制中学時代に漢文を白文で学習していたのが功を奏し、中国語で書かれた経典の翻訳も遺されていたりする。あとは、一時スウェーデン語習得も目指されたようだけれども、これは挫折したみたい。研究者も人間なので限界はある。もっとも私の場合、その限界はかなり浅いところにあるわけだが。
今回TOEIICを受けてみたのは、本当になんとなく、である。世間では、ユニクロだとか楽天だとかトヨタだとか、何やら英語公用語化を決めているようだし、何だか私も、「数字」が欲しくなったのである。これらの企業が何を決めようと、自分には無関係であるのに。自分なりにこの受験を分析するならば、まるで死んで生きているようなフワフワしている自分に対して、何かしらの数字、この社会におけるひとつの基準とされてようなものを、突きつけてやりたい衝動にかられたのかもしれない。
申し込んではみたものの、引越しや何やらで、その後の生活が急に忙しくなってしまった。ほとんど何の対策をすることなしに試験を受けるというのは、それがいかなる試験であっても無謀だということは重々承知している。しかも、そのような条件で試験を受けた結果、酷いスコアに直面しなくてはならなくなることに、申し込んだ後になって気がついた。
初回受験、対策は時間的に不可能、といった条件から、弟の意見などを参考に、目標スコアはやや甘めに設定しておくことにした。とはいっても、試験なのでどうなるか分からない。結果が800点以下だったら自殺したくなるかも、なんてブラックな冗談を言っていたので、内心、弟はヒヤヒヤしていたかもしれない。
そして今週、結果が送られてきた。スコアは自殺しなくて済むものだったし、目標点もクリアできていた。でもそれはかなり甘めに設定していたからで、満足、からは程遠いスコアであったことは事実。中でもリーディングの点数が悪いのがとてもショックだ。なぜ、リーディングの出来がこんなに悪いのか、納得がいかない。そうだ、ここは年のせいにしよう。先行する45分間のリスニングで、集中力を使い果たしてしまったからだと考えることにしよう。それにしても、素材が味も素っ気もないビジネス文書、しかもチラシやメール文書の繰り返しであるにせよ、リーディングで9割以下の得点って……研究者としていかがなものか。ショック。
それでも、今のところ再受験をする気は、全く起こらないなあ。今回スコアを得ることで、一応の「基準」を自分につきつけてみても、やはり私の心情には何の変化も起こらなかった。しかしそれは、予想通りだ。
現実的にスコアが必要になる場面が今後でてきたら、今回のリーディングへのリベンジも考えなくては、とも思えるのかもしれない。