Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

横浜での一日

2012-02-26 15:46:53 | 豆大福/トロウ日記
K先生にお会いするため、横浜に出向いた。信仰や学問の傾向は異なるものの、K先生は大福先生にとって大学時代から知る兄貴であり、私にとっては恩人の先生でもある。多忙な時間を割いていただき、急きょお会いすることになった。私がK先生にお会いしたかったのは、近況報告を兼ねて、かつての日本組織神学会の様相などをお聞きしたかったことと、現在のキリスト教界についてK先生がどのようにお感じになっているのかを拝聴したかったからだ。

私の話に誠実に対応して下さる先生の寛容は相変わらずで、いろいろと実り多い話を伺うことができた。しかしそれ以上に有難かったのは、大福先生の存命時以上にK先生が私を励まして下さることである。このような有難い体験は、K先生からに限ったことではないのではあるが。

率直なところ、大福先生が亡くなったとなれば豆大福との関わりもそれで終わり、とされることが多いのだろうと思っていた。実際、そういう現実もある。ただ、今の私には、その現実を不快と思うことがあっても辛い悲しいという感覚がない。そのような繊細な感情を生み出す機能が、私の脳内では壊死しているのかもしれない。

K先生の教会から歩いて桜木町あたりまでくると、潮の匂いが漂ってきた。ああ、横浜に来たんだなあ、と実感する。みなとみらいで遅めの昼食の後、横浜美術館で松井冬子展を観る。画がとても上手い。日本画の明るい未来が彼女に託されているようにも思える。斬新であり、真摯であり。でも観ているうちに、作品に込められた生と死のリアリズムへの飽くなき固執に、お腹いっぱいになってきてしまった。きっと、松井氏と私とでは抱いている世界観が異なっているのだろう。

ミュージアムショップで、cochae『伝統こけしのデザイン』という写真集に出会う。帯はさくらももこ氏が書いていることからも想像しやすいと思うが、伝統こけしの正統的な紹介本でありながら、ポップでかわいい造りに仕上がっている。帯に小さくあるところによれば、さくらももこ氏もこけしコレクターなのだろうか?!でも彼女の作品を考えてみれば、脈絡は容易につく。関連で、かねがねさくら氏に聞いてみたいことがある。「さくらさん、あなた、北斎を、とくに北斎漫画を師としていませんか?」と。なぜなら私は観たことがあるのだ。「ちびまる子ちゃん」中のキャラのひとり永沢君そっくりの、玉ねぎ頭キャラが北斎漫画に描かれているのを。ちなみに大福先生もさくらさんの作品は大好きだ。ほのぼのなんだけど皆どこか変、的な、要するにキャラ立ちが極めて優れた作風を、テレビや漫画で味わっていた。この出会いで、またさくらさんとの距離が縮まった。こちらからの勝手なアプローチだけど。

美術館を出て、整備された海沿いの歩道をひたすら歩く。山下公園の埠頭に係留されている氷川丸をみていつもどおりしばらく感慨に耽り、そろそろあたりが暗くなってきた頃、中華街へ。路地の、客引きをしないお店にホッとするものを感じて、そこでご飯を食べる。帰路、聘珍樓のあんまん小を買い食いし、石川町から各駅停車で池袋まで出る。各駅列車のおかげで車中勉強も結構はかどった。無味乾燥な勉強は車中が一番いい。

神学中心人文学系図書館(室)実現・公開への思いとともに

2012-02-21 10:12:41 | Dr.大福よもやま話
野呂芳男の書誌・業績リストの更新作業を、桶川さんが精力的に進めておられる。ホームページ「神学に生きる」には、「もし未記載の論文などにお気づきの点がありましたら、管理者までご連絡いただければ幸いです」と載せてくださっている。

リストを読んでいて、私トロウが「あ」と思い出したことがあった。そのリストは、ほぼ大福先生の研究活動に関する書誌・業績プロパーであり、その作業自体が桶川さんご自身の業績にも匹敵する立派な内容なので、私の「あ」に関するささやかな話題をここに記すのもどうかと迷ったが、以下、そのやりとりと、私からの呼びかけを記すことにする。

そういえば、大福先生のメディア出演もあるはずだったな、と、ふと思い出した。大福先生のテレビ出演の話は、とあるエピソード付きだったので、私の記憶違いという可能性は低いと思う。

その番組は確か、NHK(旧)教育チャンネル「宗教の時間」だ。正確な年代は分からないが、昭和40年代中頃から50年前半にかけての話ではないかと思う。さっそくNHKアーカイブスのホームページで検索をかけるも、何も該当しない。もしかしたらラジオ出演もあったかもしれないのだが、とにかくヒットが出ない。

そこで、NHKにメールで問い合わせてみた。その結果、
「お問い合わせいただいた、神学者・野呂芳男氏が出演した放送につきまして、NHKアーカイブス保存番組等にてお調べいたしましたが、こちらで確認した範囲では、野呂芳男氏の出演番組記録は見当たりませんでした。このたびは、お力になれずに申し訳ございません。何卒ご了承いただきますようお願い申し上げます」
だそうで(涙目)。出演した番組、NHKでなかったのかな。そもそもその時代に放送された番組の、局側の保存体制がどうなっているのかよく分からない。そこで。

◎当ブログを閲覧の皆さまへ◎
当時、野呂芳男出演番組のテープ等、保存媒体等をお持ちの方がおられましたら、私トロウへ直接、あるいは何らかのルートでお知らせくだされば幸甚です。当時、ビデオテープはもちろん録音機能付きラジカセさえ普及していなかった時代ですので、映像や音声が個人所有の媒体物で残っている可能性は低いのは承知しております。番組を観た、聴いた方によるメモ書きのようなものであっても構いません。「その番組、観た」「聴いた」という体験をお持ちの方のお話だけも歓迎です。この件に関する皆さまの情報をお待ち申し上げます。

箱根を歩く

2012-02-18 17:22:10 | 豆大福/トロウ日記
週初め、箱根へ行った。箱根へ行くときには御殿場から入ることが多かったが、今回は小田原厚木道路から入ってもらった(ドライバーは弟)。私ひとりが途中、畑宿で下車した。しばし寄木細工を堪能し、大福先生に係わる重要書類保存用の文庫を探す。いつまでもコンビニのビニール袋に保存、というわけにはいかない。そのような重要書類ケースには火災にも耐えうる桐でなければと思っていたけれども、今回出会った文庫はクスノキが使われている。火災はともかく虫よけにはよい。よし、これにしよう。火災の際にはこれを抱えて逃げることにすればいいや。

さて、畑宿から元箱根までは歩きだ。旧東海道の難所を5キロほど、初体験である。湯本、あるいは畑宿から元箱根方面はほとんどが上りとなる。急勾配(実際は階段が多い)が容赦なく続く。15分で汗をかきだした。1年前までの、身体を鍛えていない自分だったら心臓バクバクになっていたであろう。石畳といっても、ボコボコ尖がった石をとにかく敷いてみましたが何か?という風で、足首や膝にダイレクトに響く。苔むした、しかも湿った石で足をくじかないよう、次の一歩をどこに踏み出そうかと目を凝らさなければならないことも、結構疲れる。

江戸時代の人たち、ここ、和装で、しかもワラジで行き来したんですか?とくに大名行列の際とか、お偉い人の籠を担いでいた人、すごい。こういう仕事に就いていた人が箱根を越えて江戸まで着いて役目を終えたら、少なくとも2、3年は、またあそこを越える、そんな仕事は考えられないだろうなあ……。途中、親鸞にまつわる碑があった。ここ、本当に親鸞も通ったのかな。本当だったらすごいな、と小さな感動を胸にいだきつつ、そろそろ体の表面が冷えてきたと思っていた頃、甘酒茶屋に到着。ずっと前に来たときは、リアルに古さ丸出し、昭和どころか大正っぽい感じの、土間先を茶屋にしてそこにだるまストーブ置いてますという感じだったと記憶する。今は、和モダンというか、懐古趣味を演出した空間に変わっていた。

翌日に鑑賞できたマティスやピカソ、セザンヌそれにスーティンらの絵にも心満たされたが、地蔵菩薩の磨崖仏は、箱根に行くとどうしても立ち寄ってしまう。昔の人が大涌谷を地獄とみなしその入口にと六道地蔵が祀られており、当時の人々の宗教観を回顧できる気がするのだ。その芦之湯付近にある磨崖仏の地蔵菩薩はとても大きくて、たたずまいは慈悲に満ちている、いい感じのお地蔵さまだ。寒いときにも、真夏の酷暑下でも、台風がこようと、地震や何かで壊れてもなおそこにいらっしゃる。お疲れ様です。

空襲被害 特別展

2012-02-17 18:45:22 | 豆大福/トロウ日記
太平洋戦争の空襲被害を伝える未公開の写真を集めた特別展が、江東区北砂にある東京大空襲・戦災資料センターで18日から4月8日まで開かれるという(朝日新聞、2月16日朝刊)。「44年11月から半年にわたる空襲の被害と復旧作業、焼け跡での暮らしが記録されている。銀座や日比谷など繁華街のほか、日本医科大、慶應大、上智大など大学や工場、民家もあり、被害の実相が浮かび上がる」と記事にある。できれば3月10日のご先祖さまたちの命日に、それが無理であれば開催中には是非、出かけたいと思う。

両国にある合同慰霊堂は、機会があるごとに(それはなかなか少ないのだけれど)立ち寄ってお参りするのであるが、3月10日、式典が開かれる当日にはここには行かないことにしている。できれば来月10日、ご先祖様のお墓参りに加え、当センターとか、完全に焼け野原と化した夫の実家付近を再び歩き回ることができればいいなあ。

来年の今頃には着手したい論文

2012-02-06 18:00:03 | 豆大福/トロウ日記
生活を立て直すことや、差し当たりにしなければならない勉強に忙しくて、神学研究にあてる時間が取れない状態が久しい。しかしこれも、将来の研究環境を整えるための準備期間として仕方がないのであろう。大福先生からも、「その勉強」の成果が出るまでは神学論文着手禁止令が出されているから、これは守らなければならないし。

1年半前の引っ越し以来、荷物はまだ段ボールに入ったままの状態で保管されているものも多い。今日、必要に迫れられてその一部を整理していたところ、ユーカリスティアで行っていたウェスレー研究会での資料が出てきた。引っ越しが大変慌ただしかったので、どの段ボールに入れていたか分からなくなっていた資料ゆえ、再会に喜んだ。

いや、頭の中の一部では、常に気にかけているテーマなのだ、それは。だから、機会があるごとに、それに関する資料にアンテナを張っているつもりではある。しかしこのテーマ、大きすぎて私の一生では背負いきれないかもしれない。でも、ウェスレー研究に関する他のテーマと併せて、「このテーマ」に対しても一定の成果を私、豆大福/トロウが出すことを大福先生は期待していたこともあるのだから、忙しいことを理由に先延ばしにしていると自分の生涯が終わってしまいそうである。

やらねばならないこととやりたいことがせめぎ合い、やりたいことのために今やらねばならないことをやるしかない。そのような今が、もどかしい。でも、人生にはそのような時期もあるのだろう。御心に任せるのみ、ということだ。