Cafe Eucharistia

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「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」鑑賞メモ

2016-10-11 00:03:53 | 豆大福/トロウ日記
10月7日、「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち--アカデミア美術館所蔵」を観に、乃木坂にある国立新美術館に行ってきた。無料のレジュメにメモしておいたことを、以下、いくつかまとめておく。
書き出して振り返ってみると、ショウモナイ感想ばかりだなあ…少しはまじめに鑑賞しなさい、と自分に言いたい。
(イメージはパブリックドメインのものからダウンロードしました。)

《おもわず笑ってしまったで賞》
アンドレア・プレヴィターリ「キリストの降誕」
Andrea Previtali, The Nativity 1515-25


一番最初に目についたのが、そこにいる動物だ。牛とロバ?!
思わずタイトルを二度見した。確かにナティヴィティとある。
私が親しんでいるナティヴィティは、絵にしろ3Dにしろ、動物が入っている場合それは羊であり、他にいるとすればせいぜい馬だ。
この絵は、キリストが生まれた所が馬小屋に見えないばかりか、私が普通に予想できる登場人物、父ヨセフとか三人の占星術学者とか、あるいは天使とかがいない…と思ったら天使は左上にいた。一応、ほっ。
しかし牛?ロバ?しかもソイツら、生まれたばかりの救い主に対してくっさーい息を吹きかけているぞ。とくにここ、どのようなメタファーがあるのだろう。。。
笑いのツボにはまってしまい、1分くらい笑いをこらえるのに必死だった傑作。

《幼子とはいえ》
Tiziano Vecellio, The Virgin and Child (The Madonna Albertini) -- (フリー画像がみつからないので文章のみ。)
この絵に限らないけれども、聖母に対して幼子のサイズが妙に大きい。あとキリストが、ソリの入ったパンチパーマのおじさん。

《受胎告知でいつもチェックするところ》
それは、マリアが読んでいる聖書の箇所。
アントニオ・デ・サリバ(Antonio de Saliba)


マレスカルコに帰属(Attributed to Il Marescalco) --(絵はなし。)

この人たちの場合、聖書の真ん中あたりを開いている。マリアはどの部分を読んでいるのだろうか。
今回、私が確認できた中ではジョバンニ・ジローラモ・サヴォルド(Giovannni Girolamo Savoldo, the Annunciation)-- (絵はなし)の受胎告知では、マリアは聖書の後半3分の2あたりを開いている。それはイザヤ書49章、主の僕についてあたりを開いていることが想定されているはずで、レオナルドの受胎告知もここらあたりを開いているようにみえたと記憶する。

《神〜!》
ヤコポ・ティントレット「動物の創造」(Jacopo Tintoretto, The Creation of the Animals)


おお、神さまのモデルは仲代達矢だったのか?

ボニファーチョ・ヴェロネーゼ「父なる神のサン・マルコ広場への顕現」(Bonifacio Veronese, God the Father above the Piazza San Marco)--(フリー画像はあったがなぜかアップできない。リンク先はこちら。)

サンマルコの上空を舞う神。ここに地獄が加わればまさに三層の世界観が表現されているという、現代神学がガッツリ批判対象にしてしまうような構図。両手を広げて空を飛ぶって気持ちよさそうではあるのだけれどもね。

《こんな天国、イヤだ》
混みすぎだ。今の東京の朝、痛勤電車を思い起こされる。むしろ地獄。
アンドレア・ヴィチェンティーノ「天国」(Andrea Vicentino, The Paradise)


《ああ、オルフェウス》
パドヴァニーノ「オルフェウスとエウリュディケ」(Padovanino, Orpheus and Eurydice)→リンク
今回、一番心に響いたこの絵。ただ、オルフェウスのもつ楽器がチェロのようなオルフェウスは、初めて遭遇したかもしれない。
やはりルネサンスでは「キリスト教」をモティーフにしたものより、それ以前の古典、たとえばギリシャ神話がモテイーフになっているものの方が魅力的な絵が圧倒的に多い。もちろん例外もたくさんあるけれども。

ああ、ヴェネツィア、行きたい。行かねば。