Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

実りの秋

2006-10-25 19:23:01 | 豆大福/トロウ日記
先日、大学を引退されてから田舎暮らしをなさっているU先生が、今年もご自身手作りのさつまいもを沢山贈ってくださった。こうなると、私もがぜん、やる気が出てくるのである。まずは、天ぷらで、芋それ自体のおいしさを味わう。そして今日は、マカロニやその他の具と、ベシャメルソースでグラタンに。さらに、今度はサツマイモとヨーグルトのケーキを作ろう、それからタルト、正月には栗きんとんもいけるな、などなど。U先生は、私の兄弟子ということになるが、実感からすると、折々に温かい言葉でいろいろと励ましてくださる、私にとってありがたい先生なのだ。そのような方から手作りの収穫物をいただき、それらをさらに、おいしく料理して、いただく。ハァ、しあわせ~。

今、ウェスレー研究会では、英国聖公会の39箇条に関する問題を扱っている。その中でちょっとした疑問が生じたので、日本聖公会の東京教区へ問い合わせてみた。そしたら、とても丁寧に質問に答えてくださった。結構、面倒な質問だったろうに。ジ~ンときた。

久しぶりに、シャンソンの「枯葉」をこっそり歌ってみた。その昔、イブ・モンタンの渋ーい歌声に合わせてフラ語を練習したことなんかを思い出しながら。かつては低い音域が、歌えなかった。それが今では、全部歌えてしまった。年をとって、少し声が低くなってきたということか。赤瀬川原平氏に言わせれば、これも「老人力がついてきた」ということになるのだろうか。嬉しいやら、悲しいやら、複雑。

しみじみと、秋。

ハロウィンを祝うこと

2006-10-17 18:43:49 | 豆大福/トロウ日記
クリスマスに「異教徒」の日本人がなぜこれほどまでに騒ぐのか、その騒ぎに乗じる金儲けの様相にウンザリ気味のところに最近では「ハロウィン」が加わり、いい加減にせい!(「欧米か!」)と言いたい御仁も多いのではないだろうか。街では今、子供向けのパーティーグッズも店に多く並んでいるから、日本人がハロウィンを騒ぐ背景には、子供のためのエンタテイメント、という親心もあるのかもしれない。

ハロウィンに伴う商業主義には辟易するし、個人的には大騒ぎのパーティーが苦手ではあるものの、「ハロウィンを祝う」意味に、実は私は興味を駆り立てられている。ハロウィンが、いわゆる異教由来の祭りであって、その異教の祭りをキリスト教、特にカトリック教会が巧みに取り込んだ、という説明は、そろそろ多くの日本人にとってもポピュラーではないだろうか。もう少し詳しく言うと、その異教とは古代ケルトの宗教であるドルイド教であり、彼らにとっての新年である11月1日の前夜祭が、今でいうハロウィンの祭りに相当する日だったという。そしてカトリックの教会暦では、11月1日は諸聖人の日(万聖節)、翌日の2日は死者の日(万霊節)ということになっている。

ドルイド教では、暗闇に蠢く様々な悪霊や妖精たちを鎮め、それらからの災厄を逃れるために火を用いた。そして中世には、それら「程度の低い」神々をなだめることのできる、高次の宗教としてキリスト教が民衆の間に入り込んでいった…。ハロウィンに限らず、異教とキリスト教の出会いを伝えるヨーロッパの民話などでは、大抵このようなパターン――程度の低い土着の諸宗教が、程度の高い宗教であるキリスト教の支配下に治められる――が採られている。しかしこれは、実に表向きの話であって、民衆の宗教観はもっとしたたかだったのではないだろうか。おそらく彼らにとっては、キリスト教の側が問題にするほどには、どちらが「客観的に」優れた宗教か、などはあまり問題になっておらず、彼らの救いにとっては、どちらもが真摯に必要な宗教だったのではないだろうか。そして(今の話題の場合、アイルランドの)カトリック教会の側も、そのあたりの民衆の心理に寛大だったからこそ、宣教の成功があったのではないだろうか。

もちろん「表向きの話」にも、ある程度の真実が含まれているのだと思う。つまり、表向きはキリスト教がドミナントであると人々が認めているという点にも、ある程度の真実が含まれているのだろう。しかしその真実は、民衆の宗教観全体を説明しているとは、私には到底思えないのである。……このようなことに考えをめぐらせながら私が思うのは、日本人が意味も分からずハロウィンに騒ぐことに飽きた頃、そのまま日本からハロウィンの祭りは消え去るのか、それとも既成となったハロウィンの祭りから新たな意義が見出されてゆくのか。しばらくその推移を見つめていきたいと思う。

ところで、アイルランドについて語っていると、ギネスでも味わいたい気分になってきたので、今日はちょっと贅沢なビール、といこうかな。ちなみに私はほとんど呑めない人間だけれども、ギネスは唯一、私が缶1本完飲可能(たぶん)なビール。おいしぃ。

『ジョン・ウェスレー』特典終了についてのお知らせ

2006-10-09 13:57:30 | 豆大福/トロウ日記
野呂芳男著『ジョン・ウェスレー』(松鶴亭)の発刊・販売の実質的開始から、この10月で1年を迎えます。早速サイトからご購入を申し込んでくださった方々に対する感謝を込めまして、これまで送料を無料とさせていただいておりましたが、発売より1年を迎えることを機に、2006年10月21日より「送料無料」は終了させていただくことになりました

よって、1020日までは従来どおり送料無料ですので、お買い求めを検討なさっている方はこの機を逃しませぬように!(それからその際には、Holy Club の記載もお忘れなく!)詳細はこちらからどうぞ。なお、本書は一部のキリスト教図書販売の書店でも購入できます。


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――と、Café Eucharistia を名乗るブログ上で、松鶴亭(出版部)に関するお知らせを告知することに少々後ろめたさを感じているが(両者は別組織)、両方を同じ人物(つまり私)が責任を持って運営しているということで、これはお許し願いたい。厳密にいえば、Café Eucharistia といってもこれは教会専属のブログではなく、Rev.豆大福個人の都合で開いたものである。ブログのタイトルを「ユーカリスティア」と日本語表記にしないことで、ブログの世界と実際の教会活動との境界線を引こうというのが、今更ながら、私の意図であった、というわけだ。

この際なので、追記として当ブログに対する私の「心構え」などを、ひとつ。
要するに、「…だって、ブログだもん」という軽い気持ちを前提に、ユル~くやっていきたいというわけだ。これはもちろん、「いい加減な気持ちで」「何でもかんでも言いっぱなしOK」という無責任な態度とは違うことは言うまでもない。そういう意味ではなく、いつでも気楽に始められ、止められ、時には気楽に時には真面目に議論をし、自分の行う伝道のことを読者の方々に気楽に知っていただく……。ネットの利点と欠点と、そして自分自身が負うべき責任とを考えた上で、あくまでも私の都合で、続けられる限りは続けようと思っている。ただひとつ気になるのは、「文明と宗教」研究会への貢献がなかなかできないことで、それはもう、本当に申し訳ないと思う。実際のところ、この研究会への参加がブログ開設のきっかけだったのに、考えてみると、研究発表らしいことは私自身、していないのだ。もうしわけな~~い!

3大ゲーリー

2006-10-04 20:56:17 | 遥かなる銀幕の世界
徒然なるままに、駄文失礼。
「3大」といっても、さしあたり私が思い当たる俳優・Garyは3人しかいない。まずは現役の2人からということで、ゲーリー・オールドマン(Gary Oldman)とゲーリー・シニーズ(Gary Sinise)である。共通しているのは、当代キラリと光る演技派という点だ。年も近い。

オールドマンの方は『レオン』のスタン役はじめ、「悪役ばかりやっている人」というイメージが強いかもしれないが、『スカーレット・レター』では牧師役!で、他作品での悪役ぶりとの落差といったらもう……。『スカーレット・レター』は、ナサニエル・ホーソン原作の『緋文字』が映画化された作品だが、映画の方はホーソンの作品というよりも、主演のデミ・ムーアの作品というべき出来となっている。それでも、間違いなくお勧めの一作ではある。彼のブルーアイズが極めて美しい作…あ、いや、17世紀のニューイングランド、ピルグリム・ファーザーズたちの当時のありようを見せ付けられる作品。感謝祭も近いことだし、秋の夜長にお勧めだ。ところでこれから先、“クレイジー”・オールドマンはジーン・ハックマンよろしく、悪役まっしぐらでいくのか、それとも、このところ加わってきた円熟の魅力を生かして人間味溢れる演技を見せてくれるのか。どちらにしても、今後が楽しみである。

一方シニーズのメジャーな作品といえば、『フォレスト・ガンプ』『アポロ13』だろう。とくに後者では、主演のトム・ハンクスを凌ぐ存在感が示された。正直のところ、最初私はこの人にあまり好意的になれなかった。実際の彼がどうだかはともかく、いやホントに勝手な思い込みで申し訳ないのだが、プレッピー臭が鼻についたというか。でも、彼の悪役(Reindeer Games)をみたときからその印象はがらりと変わった。本来この人、外見からすると怪優系、かもしれない。クラウス・キンスキー、ウィレム・デフォーみたいな。怪優が悪役をやると超コワイが、いい人役も味があっていい。今後も期待、大。

トリはこの人、ゲーリー・クーパー(Gary Cooper)だ。彼は私が生まれる前に亡くなっているのに、銀幕をとおしてその魅力がよくわかる。「魅力的」どころではない。そんなにぬるいものではなく、彼は私の独善的ハンサムランキング上位3人に入るほどだ。テレビが普及していない時代の俳優だから残っているのは映画作品ばかりだが、DVDでそれらが随分と楽しめるのが嬉しい。クープといえば「アメリカの良心」などと言われたのも、彼がいわゆる「古きよきアメリカ」の善良な市民を多く演じたからだ。しかし、彼がいい人を演じるときには、本来心の底にありそうな苦悩が伝わってくるし、またプレイボーイを演じるときには、逆に誠実な人間像が浮かび上がらせることができるというような、そんな演技から伝わる、彼の不思議な奥深さが魅力なのかもしれない。とくに40代以降の作品で、彼の笑顔は思い当たらない。いつも渋い顔をしている。でも、マレーネ・ディートリヒと共演した彼の出世作『モロッコ』を除いては、彼は40歳を過ぎてからの方が圧倒的に魅力的だ。まずE・ヘミングウェイ原作『誰が為に鐘はなる』で、かつて高校生の頃の私はノックアウトされてしまった。マリア役イングリッド・バーグマンの、健気な可愛らしさにも泣けるし。まあしかし、ここでは私の立場上、お勧めすべき作品は『友情ある説得』ということにしておこう。この邦訳、実は確信犯的・誤訳ではないかと私は思う。原題はFriendly Persuasion、つまり「フレンド派的信念」なのだが、この題では日本では興行収入が見込めないのは明らかなので、『友情…』になったのだろう。要するにアメリカの南北戦争期における、クェーカー教徒一家のコミカルな物語なのだが、非戦を誓うクェーカーと戦争、というテーマがからみ、けっこう重い。でも、クープがクェーカー?!、という点だけでもファンには必見の一作である。

どうもヲタ話は話が長くなってしまいがちなので、ここら辺で今日は終わり。

百の顔を持つ男

2006-10-01 19:50:06 | Dr.大福よもやま話
イギリスの名優アレック・ギネス(Alec Guinness)は、百の(千と言われることもある)顔を持つ男と言われる。ざっと思い当たるだけでも、彼は母国イギリス人(「戦場にかける橋」など多数)の他に、アラブ人(「アラビアのロレンス」でファイサル王子)、インド人(「インドへの道」…記憶が間違ってなければ。役名は忘れた)、ロシア人(「ドクトル・ジバゴ」でイェフグラフ)、宇宙人(「スター・ウォーズ」で老オビ=ワン・ケノービ)を演じていて、どの役も感心してため息が出るほどに「それらしく」上手く演じている。〈ちなみにアレック・ギネスはDr.大福も好きな俳優で、たま~に話題に上るとその時、なぜかDr.大福は彼のことを「アレギネス」と呼ぶ。最初のうちはオリゲネス(AD.2C頃の教会教父)の話をしているのかと思ってしまった。〉

で、今ここで言う「百の顔を持つ男」は、Dr.大福のことである。とにかくこの方、正体不明というか、国籍不明というか、どこにいても日本人にみられない外見をしているらしい。かといって、コレという民族的な特徴をもつ外見をしているというわけではなくて……。つまり「○○人っぽい」ということとはちょっと違って、やはり「正体不明」という言葉がぴったりなのか?

まず、海外ではかなりの確率で「現地の人」に間違われる。その土地の風景に、Dr.大福は実によく馴染んでしまうらしい。例を挙げると、イタリア、スペイン、ハワイではそれぞれの地のローカルに、ロンドン(主にインド系ローカルか)、ニューヨークなどの多民族共存社会では東南アジア系を含めていろいろと間違われるらしいが、スーツを着ない限り日本人には見られないという。そして日本では、ペルー、ボリビア系の人たちに同国人ではないかと思われたことがある。そのときDr.大福は、お気に入りのブルーのアルパカ毛糸帽を被っていたから(結構カワイイんだな、これが)なおさら、間違える方に同情すべきか。

ん~、あえてまとめると、この方、やっぱり南方系というか南蛮人系というか、そんな感じなのだろうか……。以上、Dr.大福の外観に関する分析(?)の巻。