前々回の記事ゆえのことなのか、ウィキペディア上の大福先生の情報が訂正されていることに気がついた。
どなたか存じませぬが、訂正の労を取ってくださった方、ありがとうございました。お礼に、といってはナンでございますが、最近の小噺などを、以下にちらりと。
***
とある雑誌を眺めていて、ふと気がついた。「むむっ、こ、これは…」と思い、その「思い」を確かめるべく、おそるおそる大福先生に聞いてみる。
「あの~ひょっとして、本当にひょっとしての話ですが、先生の若き頃、そう、大体20代後半の頃でしょうか、もしかしたら、こんな容貌ではなかったですか」
と、私が指を置いた先には、岡田准一くんの写真。そう、ジャニーズの。さて、不意を突かれた先生の反応は。
「え、あー、えー、そういえばまあ、こんな感じだったかなあ……あ、いやいや、自分のことなんかさっぱり分からんよ、たぶんに違うだろう、うん、違う違う」
と、最後のあたりはごにょごにょと口ごもってしまわれる。想像するに、岡田さんがジャニーズで、世の女子にモテモテだという具体的な現実を知らない先生であっても、こうして雑誌でポーズを取る人物がアイドルに違いないことくらいは察しがついたため、厚かましくも自ら肯定はできなくて、後半ごにょごにょになってしまった、という感じである。
もっとも、いくら20代という共通項で括ったとしても、岡田さんと先生とでは20代を生きる(た)時代がまったく違うし、置かれた環境も全く違うはずなので、人物の全体的な雰囲気はおそらく全く違うのだと思う。それでも敢えて言えば、岡田准一からアイドル性を差し引き、旧制中学仕込みの教養の表れを加えれば、即ち大福先生ってことで、勝手に決定。
***
最後に、どなた様もこの話、「なお、20代の頃の容貌はジャニーズの岡田准一似で…」と、間違ってもウィキペディアなどには掲載されませぬように。ここまでの話は、飽くまでも豆大福の、個人的な、主観に過ぎませぬ。この豆大福、すごく分厚い色眼鏡を通して実際を見ているのかもしれなくってよ。
どなたか存じませぬが、訂正の労を取ってくださった方、ありがとうございました。お礼に、といってはナンでございますが、最近の小噺などを、以下にちらりと。
***
とある雑誌を眺めていて、ふと気がついた。「むむっ、こ、これは…」と思い、その「思い」を確かめるべく、おそるおそる大福先生に聞いてみる。
「あの~ひょっとして、本当にひょっとしての話ですが、先生の若き頃、そう、大体20代後半の頃でしょうか、もしかしたら、こんな容貌ではなかったですか」
と、私が指を置いた先には、岡田准一くんの写真。そう、ジャニーズの。さて、不意を突かれた先生の反応は。
「え、あー、えー、そういえばまあ、こんな感じだったかなあ……あ、いやいや、自分のことなんかさっぱり分からんよ、たぶんに違うだろう、うん、違う違う」
と、最後のあたりはごにょごにょと口ごもってしまわれる。想像するに、岡田さんがジャニーズで、世の女子にモテモテだという具体的な現実を知らない先生であっても、こうして雑誌でポーズを取る人物がアイドルに違いないことくらいは察しがついたため、厚かましくも自ら肯定はできなくて、後半ごにょごにょになってしまった、という感じである。
もっとも、いくら20代という共通項で括ったとしても、岡田さんと先生とでは20代を生きる(た)時代がまったく違うし、置かれた環境も全く違うはずなので、人物の全体的な雰囲気はおそらく全く違うのだと思う。それでも敢えて言えば、岡田准一からアイドル性を差し引き、旧制中学仕込みの教養の表れを加えれば、即ち大福先生ってことで、勝手に決定。
***
最後に、どなた様もこの話、「なお、20代の頃の容貌はジャニーズの岡田准一似で…」と、間違ってもウィキペディアなどには掲載されませぬように。ここまでの話は、飽くまでも豆大福の、個人的な、主観に過ぎませぬ。この豆大福、すごく分厚い色眼鏡を通して実際を見ているのかもしれなくってよ。