個人的にはあまり深刻とは思っていない、ある“病気”治療のため、混雑した某大学病院に通うことになってしまった。
診察時にはたまたま、医学生たちが診察を見学に来ていた。その人たちへの講義も兼ねての診察だったようなので、ある程度エラソウに、もとい権威を保つような姿勢でいないとしょうがないのだろうね。にしても。
「●▲(診療科名)科学会のホームページを読んできましたか」
治療の前にその科のHPで、その病気について予習してくるというのが最近の常識なのだろうか。どうやら日本のその治療レベルは世界でもトップレベルだということを伝えたかったらしいけど。
「われわれは、エビデンスに基づいた治療を行っています。エビデンスというのは科学にもとづく医療という意味で(以下説明が延々と続く)……」
患者である私にはどーでもいー説明に、もはやその話はほとんど耳に入ってこず、「えびでんす、いかでんす、たこでんす。なーんてね」などという不謹慎な言葉が頭の中をぐるぐる回る。
「で、今の私の状態からして、今後の見通しはどうなんでしょうか。患者としてはそちらの方が気になるのですが」
「それは分からない」
確かにそうでしょうとも。それが科学者たる医者としてもっとも正しい答えだ。しかしながら科学的であろうとすることは、なんと頼りなく、なんてつまらないのだろう。何よりもその時私を一番憂鬱にさせたのは、エビデンスとは科学であり、科学に基づいた医療であればそれは正しい医療であると、その医師が自信満々に信じているようにみえたことであった。
せめて、エビデンスも真実のほんの一部を示しているに過ぎなくて、そのような不確実性の上に立ってでしか今日の医療は成り立ち得ないという認識が前提になっているお医者さま‐‐きっとこのような医者は、一見頼りなく見えるのかもしれない‐‐、少なくともこのような認識を私は持っていますという雰囲気の漂うお医者さまの方が、私には、「この方、頼りになるなあ」と思えるのだけれど。
診察時にはたまたま、医学生たちが診察を見学に来ていた。その人たちへの講義も兼ねての診察だったようなので、ある程度エラソウに、もとい権威を保つような姿勢でいないとしょうがないのだろうね。にしても。
「●▲(診療科名)科学会のホームページを読んできましたか」
治療の前にその科のHPで、その病気について予習してくるというのが最近の常識なのだろうか。どうやら日本のその治療レベルは世界でもトップレベルだということを伝えたかったらしいけど。
「われわれは、エビデンスに基づいた治療を行っています。エビデンスというのは科学にもとづく医療という意味で(以下説明が延々と続く)……」
患者である私にはどーでもいー説明に、もはやその話はほとんど耳に入ってこず、「えびでんす、いかでんす、たこでんす。なーんてね」などという不謹慎な言葉が頭の中をぐるぐる回る。
「で、今の私の状態からして、今後の見通しはどうなんでしょうか。患者としてはそちらの方が気になるのですが」
「それは分からない」
確かにそうでしょうとも。それが科学者たる医者としてもっとも正しい答えだ。しかしながら科学的であろうとすることは、なんと頼りなく、なんてつまらないのだろう。何よりもその時私を一番憂鬱にさせたのは、エビデンスとは科学であり、科学に基づいた医療であればそれは正しい医療であると、その医師が自信満々に信じているようにみえたことであった。
せめて、エビデンスも真実のほんの一部を示しているに過ぎなくて、そのような不確実性の上に立ってでしか今日の医療は成り立ち得ないという認識が前提になっているお医者さま‐‐きっとこのような医者は、一見頼りなく見えるのかもしれない‐‐、少なくともこのような認識を私は持っていますという雰囲気の漂うお医者さまの方が、私には、「この方、頼りになるなあ」と思えるのだけれど。