Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

えびでんす

2014-02-25 21:48:22 | 豆大福/トロウ日記
個人的にはあまり深刻とは思っていない、ある“病気”治療のため、混雑した某大学病院に通うことになってしまった。

診察時にはたまたま、医学生たちが診察を見学に来ていた。その人たちへの講義も兼ねての診察だったようなので、ある程度エラソウに、もとい権威を保つような姿勢でいないとしょうがないのだろうね。にしても。

「●▲(診療科名)科学会のホームページを読んできましたか」
治療の前にその科のHPで、その病気について予習してくるというのが最近の常識なのだろうか。どうやら日本のその治療レベルは世界でもトップレベルだということを伝えたかったらしいけど。

「われわれは、エビデンスに基づいた治療を行っています。エビデンスというのは科学にもとづく医療という意味で(以下説明が延々と続く)……」
患者である私にはどーでもいー説明に、もはやその話はほとんど耳に入ってこず、「えびでんす、いかでんす、たこでんす。なーんてね」などという不謹慎な言葉が頭の中をぐるぐる回る。
「で、今の私の状態からして、今後の見通しはどうなんでしょうか。患者としてはそちらの方が気になるのですが」
「それは分からない」

確かにそうでしょうとも。それが科学者たる医者としてもっとも正しい答えだ。しかしながら科学的であろうとすることは、なんと頼りなく、なんてつまらないのだろう。何よりもその時私を一番憂鬱にさせたのは、エビデンスとは科学であり、科学に基づいた医療であればそれは正しい医療であると、その医師が自信満々に信じているようにみえたことであった。

せめて、エビデンスも真実のほんの一部を示しているに過ぎなくて、そのような不確実性の上に立ってでしか今日の医療は成り立ち得ないという認識が前提になっているお医者さま‐‐きっとこのような医者は、一見頼りなく見えるのかもしれない‐‐、少なくともこのような認識を私は持っていますという雰囲気の漂うお医者さまの方が、私には、「この方、頼りになるなあ」と思えるのだけれど。

ウェスレーのアイルランド伝道

2014-02-20 22:16:20 | 豆大福/トロウ日記
アマゾンUKを通してイギリスの古書店に注文していたはずのRobert Haire, Wesley’s One-And-Twenty Visit to Irelandが、何故かアメリカから今日届いた。きっとアメリカの古書店がアマゾンUKに出店していたのを私が気づかなかったのだろう。



単立ユーカリスティア教会がその公の活動を一旦停止してから、かれこれ6年になる。その間の、大福先生の闘病、死去、自身の大病や生活の立て直し等プライベートのごたごたからそろそろ解放されてもよい頃であろう。世には豆大福の存在が煙たいと思う向きもあろうけれども、その方たちには済まないが私はまだ生きているので、仕方がないので活動することにする。文句がある方は、今なお私を生かしている神さまに言ってください。

そんなこんなの間、特に大福先生が亡くなったことで自分の研究や伝道環境が破壊された後にも一番願っていたのは、とにかく課題意識を途絶えさせないようにすることだ。その課題の一つが、ジョン・ウェスレーのアイルランド伝道について、である。

ウェスレーは馬に乗って、あるいは馬車で、イギリス中を伝道して回った。そして外国への伝道も行った。外国とはいえ、せいぜい北アメリカ植民地、スコットランド、ウェールズ、アイルランドであるが(大陸への旅は伝道とは言えないであろう)、中でもアイルランドへの伝道は、異国への伝道、という意識がとりわけ高かったに違いない。

アイルランドへの最初の訪問は1747年、ウェスレーが44歳の時であるから、いわゆる第二の回心を経た後であるし、北アメリカでの伝道「失敗」の経験後であることはいうまでもない。1789年、86歳の時に最後の訪問を行うまでの40年あまりの間は、ウェスレーの神学的思索が高教会的な傾向から益々ラディカルさを増してゆく‐‐ピューリタン的アルミニアン的傾向や他教派への理解が深まり、いわゆる当時イギリスの伝統主義的な神学から穏やかに離れつつある‐-時期でもある。アイルランドでは、やはり英国国教会系のプロテスタントとの交流が主であったようではあるが、むしろ私は、彼の再洗礼派やクェイカーの人々とのやり取りの方に興味をもつ。

中世には修道院が雨後の筍のごとく興隆しそして衰え、島のほとんどが、精霊や妖精の存在を生活の中でごく自然に信じるカトリック教徒である極西の地でのウェスレーの伝道。もしかしたら、日本におけるキリスト教の伝道という課題に、何かヒントを与えてくれるかもしれないではないか。