Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

作家ラクスネス、そしてアイスランド

2006-08-30 17:42:12 | 豆大福/トロウ日記
それで、ユーカリスティアのニュースレター最新号冒頭で触れたが、ハルドール・ラクスネス『極北の秘教』(原題:『氷河の下のキリスト教』)である。この小説の英語訳の読者たちのレビューを眺めると、翻訳についての不満はあったが小説そのものに関しては好意的なものがほとんどのようだ。この小説を私自身が要約したり紹介するのは極めて困難なので、アマゾンの紹介欄の記事をとりあえず、訳しておこう。

「桂冠を授けるに値するハルドール・ラクスネスの小説『氷河の下で』は、ユニークな傑作である。この世的でもあり、あの世的でもある、奇妙に挑発的な小説だ。最初に、スナイフェル氷河の牧師にかけられたいくつかの疑い――中でも、死者の埋葬を行わないようだ、など――について調査するようにと、アイスランドの司教が若い使者を派遣する。しかし使者がそこで理解したのは、この職務放棄が少々風変わりとみなされるに過ぎない、ということである。この共同体は世界の中心とみなされており、そこでは創造が進行中のものであると考えられている。たとえば、板でドアを打ち付けられた教会について、どう考えればよいのか。教会の隣に建っている怪しげな建物については?あるいは、プリームス牧師が馬の蹄鉄嵌めにほとんどの時間を費やしていることは?あるいは、牧師の妻ウーアが風呂に入ったことがない、食べたことがない、眠ったことがない、とうわさされていることについては?ありそうにないことの上にありそうにないことを積み上げて、『氷河の下で』は難解であると同時に魅力的な幻想を呼び起こしながら、ワイルドでありながらそのワイルドぶりを見せつけない喜劇に満ち溢れている。」

タオイズムとキリスト教、幽霊、サガ(中世期、アイスランドの叙事詩)、UFOや宇宙のなにやらとの交信……、アイスランドの習俗も、小説の中にいろいろと取り混ぜられている。話は尽きない。これから先、読むたびに新しい発見や理解が得られそうな小説なのである。

首都のレイキャヴィックといえば今までは、1987年のゴルバチョフ・レーガンの会談が思い出されるくらいの認識しか私にはなかった。その時も、中距離核戦力全廃条約調印へと続く、そして東西の冷戦終結をもたらすことになった歴史的な会談を成功させたアイスランドに私は好印象を抱いたものだが、その後、私の中の「アイスランド」は眠りに就いていた。そしてあの会談から約20年後の今、再び「アイスランド」が私を突き動かしている!

人口が、とても少ない。30万人の国だ。この数は、私が育った練馬区の現在の人口の、半分以下だ。アイスランドでは、生きている人間の人口よりも、幽霊の数の方が多いそうだ。北欧諸国の例に漏れず、税が高い。それでも人々が豊かなのは、高い税金に見合った保障が、生活上さまざまに得られているからだろう。氷の国で、火(火山)の国である。地熱でエネルギーを捻出している。エコロジーで注目されている国でもある。何よりも、平和である。この地球上で、わが国の憲法9条、またはそれに類する精神が実際に生かされ、地域の平和に貢献している場所が、私が思い当たる限りでは4箇所ある。アイスランドが、その一つである。アイスランドは人口が少ないから、軍隊を持ちたくとも持てないだろう。それでこれまでは、国防はもっぱらアメリカ軍頼みであったが、最近では、アメリカ軍とNATOの撤退を求める抗議行動も行われているようだ。

ラクスネスからアイスランドの話になってしまった。どちらも当分、熱く、そして静かにハマリそうである。

ヴィンテージ・ハワイ

2006-08-25 18:09:52 | 豆大福/トロウ日記
突然だが、私は血液型がA型だ。でもその手の話題になったときに、私のことを「A型でしょう」と言い当てる人はあまりいない。自分ではとてもA型気質だと思っているのだが、他人からは、おおらかだとか、大胆だとかマイペースだとか、A型以外の特徴が強いとみなされがちのようだ。私にそのような面が備わっているとしたら、それはもしかしたら、私の中の「ハワイ」がそうさせるのかもしれない。

夏の終わりのアンニュイな季節になると、私の中のハワイ渇望度が特に高まる。そんな時、ふとハヴィ(Hawi)で出会った日系一世のオバアを思い出す。ハヴィはハワイ島の最北端の町で、かつてはここも砂糖きび産業が盛んだった場所である。沖縄出身で90歳位のオバアは、ピジン・イングリッシュならぬピジン・ジャパニーズで、ハワイでどれほど苦労してきたかをとつとつと語ってくれた。おそらくピジン・ジャパニーズを話す最後の世代と思われる。ピジン語とは、様々な言語――日本語、英語、英語的日本語、日本語的英語、ハワイ語等――の入り混じった話し言葉で、とくに日系1世の人々が使うのは、とても趣き深い響きがある。(「…があった」というべきか。1世の人々は、もうほとんどいないだろうから。)

ドリフのメンバー、高木ブーたんの『Vintage』というハワイアン・アルバムがある。その中に The Pidgin English Hula という曲が入っている。歌詞はピジンが多用されていて、たとえばAhsamala you last night? は、What's the matter with you last night? という意味だ。音楽家としてのブーたんの素晴らしさは私が言うまでもないが、このアルバムが私を惹きつけて止まないのは、選曲といい、テンポといい、ブーたんのじゃばにーず・いんぐりっしゅ度合いと言い、何だか私が子供の頃に体験した古きよきハワイを連想させてくれるからだ。今となっては、少なくともホノルルでは、ブーたんが表現しているような'Vintage'を感じられるところは皆無に等しい…と思う。

最近は、まるで銀座の中央通りのようになってしまったワイキキのカラカウア通りだが、それでも向かい側の、バスクリンを流し入れたような水色の浜辺の存在は、やはりハワイのユニークな一面といえる。子供の頃は、ワイキキは「混んでいて、海が汚い」と感じていた。今では、そのワイキキの海でいいから、とさえ思う。重症、かも。

マティスの礼拝堂

2006-08-20 13:52:34 | 豆大福/トロウ日記
先日、といってももう1ヶ月以上前になるだろうか、注文していた本が入手不可能になってしまったという残念な知らせが昨日アマゾンから届いた。もし入手できていたら、私にとって宝物のような、とても大切な一冊になるはずの本だった。The Vence Chapel: The Archive of a Creation (『ヴァンスの礼拝堂――創造の保管所』)という本だ。

南仏コートダジュール地方、ニース郊外にヴァンスという町がある。ここに「マティスのチャペル」と言われる教会がある。正式にはChapelle du Rosaire(ロザリオ礼拝堂)という、ドミニコ会の礼拝堂である。ヴァンスは、かのアンリ・マティスが晩年を過ごしたところで、この礼拝堂はマティスが無償で取り組んだ「作品」だそうな。マティスの集大成、とも言われている。

芸術の役割にカタルシス機能という面があるとすれば、マティスの作品群は少なくとも私には、その役割を随分と果たしてくれている。というとコムズカシイ言い方になるが、要するに私の感性とマティスが合うということなのだろう。あの、力強く無駄のないデッサン、色づかいの妙…。マティスの作品の前に立つと、時を忘れて立ち尽くしてしまう。(結果、足が棒のようになって、疲れ切ってしまうのが毎度のオチでもある。)

部屋いっぱいに降り注ぐ、光の入り具合までもが計算されたマティスの礼拝堂。こんな礼拝堂で活動できたら、と思う。夢のような話である。私には、礼拝堂を建てるということだけでも、夢みたいな話なのだから。…せめて今回、本ぐらいは手に入れたかったなぁ。

洗礼後の生活

2006-08-09 12:00:01 | 豆大福/トロウ日記
宗教的回心についてのこの論考の、一応、最後の段階である。これまで、「洗礼の地位」「洗礼は受けなければならないか」というテーマで話を進めてきた。実のところ、この簡単な拙文によって回心の問題が語り尽くされたとは到底言えず、検討を要しながらもサラリと書き流してきてしまった個別的な問題が山積している。それらについては、今後も折に触れて取り上げたいと思っている。とにかく今回は、「洗礼を受けたらどうなるのか――洗礼後の生活」というテーマについて、思うところを述べてみたい。

まず、これまでの文章で私が述べてきた回心のあり方について、次の3つのカテゴリーに分類出来ると思う。それを思い起こすことから始めよう。

①洗礼を含め、諸秘蹟(サクラメント)は信仰生活上全く必要ではないという、たとえばクェーカー教団のような立場。〈洗礼・不必要派〉

②洗礼は秘蹟の一部的儀式であり、神の恵みは秘蹟の儀式を通して与えられるという、国教会的、あるいはカトリック的立場。そこでは信仰に向かう主体的な決断が、歓迎されることは当然としても、それが条件的に要求されることはない。〈洗礼・必要派Ⅰ〉

③「洗礼は秘蹟としての儀式である」という形式主義を排除し、洗礼には福音的回心の体験が要求されるという、再洗礼派的立場。〈洗礼・必要派Ⅱ〉

繰り返しを恐れず、もう一度確認しよう。これまでの私の話をまとめると次のようになるだろう。

・ 私は①の立場の人々に洗礼を促す気は全くない。しかし私のこの態度は、これらの立場の人たちを「放棄」や「排除」することを意味するのではなく、むしろ、キリスト者の理想的あり方として、彼らはある種あこがれの対象でもある。

・ これまで私がこの場で問題にしてきたのは、現在の日本のプロテスタント系キリスト教会の現状から垣間見える、③の立場から導かれる弊害である。そこで、その弊害を克服し、③が本来掲げていた理念――福音的回心の強調――を生かすために、私はむしろ②の再評価を提唱しているのである。しかしこれまで近代という時代をとおして、②が信仰者にもたらす害悪について、様々に批判されてきたことは確かであり、ここで再び、それら害悪を作り出す仕組みそのものを評価するべきだと言うことでは全くない。そうではなく、②の持つ利点を用いて③を生かそうとする道、これが、私が最初に提唱した「洗礼は挨拶」論である。

つまり、②の立場に立って洗礼を考える場合、幼児だろうと、どのような人であろうと、その人(あるいはその人の親など)が望めば、その段階でその人物は十分に洗礼を受ける資格を与えられているのである。洗礼を受けた人物は、その儀式を通して神の恵みを与えられるという約束が得られる。いわば洗礼という秘蹟の儀式を通して、言葉はあまりよくないが、神との「最低限度の」我と汝の関係が公に表明される、と言ってもよい。要約すると以上のようなことを、以前に載せた二つの関連記事で私は述べたつもりだ。

さて、今回問題とするのは、洗礼を受けた後の生活である。
洗礼を、父なる神との対話における最初の段階とみなす、ということからは、さらに次の3つの道が開けてくるだろう。

A.最低限の「挨拶」を済ませたので、今度は福音的回心の体験を得ることを目指す。

B.福音的回心を得ることはとてもできそうにない、あるいはそのような回心を得るための準備が整わないので、サクラメント(聖餐式)を通して神との関係の現状維持に努める。

C.いったんキリスト者になってはみたものの、やはりやめる。

Cの立場の人々については、また機会を改めて取り上げたい。
少なくとも、私たちの教会・ユーカリスティアは、AとBのいかなる立場の人であろうと受け入れられる教会でありたいと思う。ジョン・ウェスレーの神学を継承する教会の牧師として、少なくとも今のところ、私はこの、AとBとを両立させる道がもっとも適当であるように思えるのである。キリスト者としては、本来ならばAの道を選択することが最も望ましいが、その際でも、そのAの道のあり方は教会が決めるのでなく、信仰者一人ひとりに適する形を、各々の信仰者が見出してゆくものであることは言うまでもない。もちろん、教会は各信者の福音的回心の体験を得られることの助力となるべき存在であるし、それが実現されれば教会は、その存在意義を果たしているといえるし、つまり教会は、聖化への道標となる存在であるべきだと思う。

周知のとおり、ウェスレーは信者たちにキリスト者の完全を説き、聖化を目指す道を推奨している点で、Aを促していると言えよう。しかし忘れてはならないのは、ウェスレーの神学にはBの側面もまた、生かされている点である。このことをDr.大福の用語で表現すれば、「ウェスレー神学における、楕円の2つの焦点」(『ウェスレーの生涯と神学』など他、論文多数)と比類できるだろう。さまざまな事情でAの状態に自分の身を置けない、置きたくない人々もまた、Bのような仕方で、つまり聖餐式をとおして、自分がキリストの霊に支えられている存在であることを実感し、神との個人的な関係を築くことができるという立場に私たちの教会は立っている。しかしその場合でも、たとえばカトリック教会のように、聖餐式を霊的物質主義的に解釈することから導かれる、教会そのものや聖職者に特別な権威を与えることに繋がるような聖餐式の解釈は、言うまでもなく私たちは取らない。また、ツウィングリのような象徴説的な考えでもないのだが、聖餐式を私たちの教会がどのように理解しているかについての詳しい説明は、また機会を改めたい。

Bの信仰者の受動的な信仰のあり方は、一見すると信仰者の自由意志が信仰者の信仰に関与していないように思われるが、それはそうではない。Bのような信仰的態度の中には、すでにキリストの霊と交わる儀式に携わりたいという、信仰者の意志が含まれているからだ。教会が、形骸化した檀家制度的なものを採用することがない限り、聖餐式は常に、ひとりひとりの信仰者と十字架のキリストとを結ぶ儀式であり続けるだろう。

これまで、一連のこの回心の体験に関する論考に際し、白頭庵氏や桶川氏がいろいろとコメントを寄せてくださった。その中で、白頭庵氏は「求道者としてのキリスト者」と題して、「迷いの直中にあるままでキリスト者であること」を表現されている。また桶川氏は「信仰者の状態とは、ティリヒの言うように懐疑をうちに含んでいるものである。洗礼を受けたあとも懐疑は生じるのが当然であるし、逆に懐疑の全く生じない信仰はどこか嘘があるように思う。ただ、懐疑を持ちつつも、自分はこの方向に進んでいくのだという決断が信仰者には必要で、洗礼を受けても探求は続く。」と述べられている。福音的回心は、まさにこのような信仰者の姿勢から体験される(あるいは、されない)かもしれないものであり、この姿勢こそがウェスレーが強調した自由意志論が指向するところである。ただ、この一連の論考において私が提案するのは、このような姿勢が要求されるとすれば、洗礼「後」の生活からであっていい、という点だ。

結局、私はこのテーマを通じて何を訴えたかったのであろうか。もうお分かりだと思う。これまでの話の中で、「倫理・道徳的崇高であれ」「敬虔であれ」「常識から逸れた奇跡を信じよ」「禁欲せよ」「他宗教の信仰を持っている者は、まずその信仰を捨てよ」など、通常の人間的生活を送ることが制限されるような要求は、クリスチャンになる「条件」としては、一つもされていない点を注意していただきたい。言い換えれば、「自分にはこれらを実行することができない」という理由は、洗礼を受けない理由には全くならないのである。確かにある場合には、これらの要素は意味があることになり得るのだろう。たとえばある人物が肝臓病を患えば、「飲酒を控えるように」と禁欲を要求される。その禁欲は、肝臓病を抱える者にとっては意味あることかもしれない。しかしキリスト者になる条件としては、「禁欲」をはじめこれら一連の要素は、ほとんど何の意味もないことなのである。

付け加えれば、上に挙げたような、人間性を抑圧するような諸条件は、キリスト者として当然に求められるものだとして、これらを信仰生活の実践だとみなす態度は、実はキリスト教が本質的に目指している方向と完全に異なるものだと言えるだろう。ウェスレーのキリスト者の完全論をはじめ、福音的回心を促す伝道者たちに説かれてきたキリスト者としてのあり方は、自分を、そして他者を、いじめ蔑む要求では決してなかったのである。では、何がキリスト者として要求されるのか。

重ねて言おう。私をこれまで支え続けてくれていた、あの対話の相手だった方が「キリストの父なる神」という方だったのだ、ということを知り、これからもその方を信頼して生きてみよう、と思った段階、そして私を包み込む霊なるキリストが、今でも私たちの存在に付随する惨めさや罪を背負って十字架にかかっておられることに頼って生きようと思った段階で、その人はすでにキリスト教徒としての資格は十分に得ているのである。

最後になるが、洗礼という「挨拶」を終えたAやBの立場の人々の、その後の生活はどうなるのであろうか。残念なことに(幸運なことに?)、その人物が人間として何か劇的に、あるいは立派に変わるとか、あるいは変わることを改めて要求されるということはない。洗礼後も、その人なりの、普通の生活が続いていくのである。否、普通の、世俗の生活を続けていかなければならないのである。ただ、「挨拶」という区切りから続くその後の「普通の生活」が、以前の「普通の生活」とは質的に違ったものになるはずだと、私は信じている。挨拶の体験から続くその後の生活の中では、その人物の実存の内外で、その「挨拶の体験」が、実は非常に大きな役割を果たすことにはなるだろう。それはAやBの、いかなる立場の信仰者であろうとも、である。その新しい生活自体が、神との関係を確認し表明した者が得られる大きな贈り物であるともいえる。そしてそのような生活が、信仰生活の意味するところ、でもある。

礼拝の説教

2006-08-02 13:34:37 | 豆大福/トロウ日記
わがユーカリスティアでは、月1度の礼拝での説教は、Dr.大福とRev.豆大福のローテーションが基本で、今週末はRev.豆大福の番である。ユーカリスティア(ギリシア語で「捧げる感謝」の意。転じて「聖餐式」を指す)という教会の名前からお分かりのように、私たちの教会の場合、礼拝で最も重要なのは聖餐式なのだが、だからといって説教をないがしろにしているということでは全くない。

「月1度」という頻度の礼拝で、説教は2人の牧師のローテーションということになると、説教をする側から言えば、説教の内容について最大2ヶ月温めることができる。もっとも、Dr.大福にとって説教をすることは、空気を吸うが如く自然なものらしい。Rev.豆大福は到底その域に達していないので、特に説教を担当する礼拝10日くらい前からは、常にそのことが頭から離れない状態となる。

それで今週末の礼拝では、いわゆるカルト宗教団体とキリスト教を区別するもの、という趣旨の説教を考えている。Rev.豆大福は「説教の内容を最大2ヶ月温めることができる」と上に書いたが、説教で扱われるテーマは、実は2ヶ月どころではなく、「私」という限度における、これまでの全般的な神学的活動から導き出されるものと言える。だから「説教」という仕事は、私にとってよい反省の機会を与えてくれるものでもある。