Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

教団の追悼式

2011-05-30 20:16:28 | 豆大福/トロウ日記
昨日今日の両日、日本基督教団西東京教区では総会が開かれているそうで、その中のプログラム、逝去教師の追悼式に遺族として出席させていただいた。

司式者は昭島教会の石川献之助先生。石川先生は連れが十代の頃から既知の、つまり深川猿江教会時代をともに過ごした方である。その式辞の中で若き連れのことを、「……野呂先生は当時、情熱家でロマンチストで……」と言われ、その頃からすでにそうなのねと妙に納得する^^;

式が終わると、遺族からの挨拶を求められる。これは予想外だった。が、考えてみれば当然の展開である。あれやこれやと気を揉むことの多い私にとっては、このように急に話を振られる方がかえって好ましかったりする。いずれにせよ何を話そうなど、事前に何も考えていなかったので即興でご挨拶する。このような機会を設けて下さった皆様に感謝を申し上げた。

その後、総会は粛々と進んでいたようであるが、私は会場を離れ、連れと縁のあった先生方と個人的にご挨拶を交わした。声をかけて下さった皆様、ありがとうございました。

ただ、礼拝の(執行はもちろん)出席さえ私にはまだ無理なのかなと思う。今日は追悼式で、いわゆる通常の礼拝ではなかったが、途中から涙が溢れて止まらなくなってしまう。礼拝そのものが、今の私にはきつい。後の讃美歌を歌う頃には声は詰まり、今の私にとって讃美歌タイムは歌うためにあるのではなく、周囲の歌声に合わせて鼻をかむ時間と化している。鼻をかんで讃美されてもねぇ……主もお気の毒。

帰り、石川先生夫妻と共の方とで、吉祥寺東急にあるカフェ・フレディで1時間ほど過ごす。石川先生に限らないが、連れのムカシを知っている方々とお話しするのは楽しい。私は直接知らないけれども連れからよく聞いていることなどが、そっくりそのまま、やはりその通りなのねとウラが取れるようでもあり。つまり、その方々は貴重な証人なのだ。これからもいろいろな方の話をお聞きしたいな。

名著

2011-05-25 20:57:17 | 豆大福/トロウ日記
「わたしもこういう人になりたい」と思わせる20世紀を生きた人物のひとり、アルバート・シュヴァイツァー。実際の私は、人間味からいっても神学者としても音楽の才能からいってもその他もろもろ彼の足元にも及ばないが(私は医者でもないし)、こんな人になりたいと思うのは自由だろうから、勝手にそうさせていただいている。

さて、そのような存在のシュヴァイツァーは、我が身を反省し原点を見つめ直すべきときに、再び前を向く力を与えてくれる。

『イエスの生涯――メシアと受難の秘密――』(波木居齊二訳、岩波文庫)、名著である。(「名著」ってとこに文句のあるヤツぁ前に出ろ、ナシつけようじゃねぇか、って言っちゃうくらい。)復刊を切望する、と言いたいところだが、現在アマゾン扱いの古本などで1円で買えてしまうというのもある意味、贅沢だ。本当に1円でいいんかい?あっそうって感じ。いっそのこと、「学術書」はすべてタダにすればいいのに。その際の判断は文科省ということになろうが、検閲、じゃなかった、教科書検定なんかに力を注ぐより学術書認定制度を設置して、認定を受けた図書には補助金を支給する。しかもその基準は公平性を保つため、かなり緩く設置する。箱モノを造って文化学術振興をしている気になっているより、ずっと有意義であろう。

とまあ、夢のような話は置いといて、それにしても名著というのは、名著でない本と何が違うのだろうか。研究の緻密さ?大胆さ?文章の美しさ?発想力?うーむ、いまひとつ分からない。けど、感動させられるのである。なぜだろう。

おそらくそれは、パッションの存在だと私は理解している。モノを書く、それが学術的なモノである場合には特に、であるのだが、熟達した理性による文の運びに加え、それらの行間にパッションがあるかどうか。これが名著には不可欠の「条件」だと思う。

パッション、日本語では情熱と訳される。確かに情熱だ。しかしパッションという言葉が「受難」に由来することからも分かるとおり、その情熱はアガペーと密接なかかわりをもつ。分かりやすくいえば、その文章の中に、書き手が自らの存在を愛を根拠に賭しているかどうか、だ。本だけではない。このことは芸術一般にいえる。だからこそ、必ずしも専門家でなくとも、その美術が、音楽が、傑作であるかどうか、自分なりにも判断ができるのではないだろうか。

シュヴァイツァーの『イエスの生涯』は、シュヴァイツァー節という点で裏切りはない。つまり、イエスの活動を徹底的終末論的な視点から捉えるのである。この立場は同時に、イエスを倫理的な模範者に転化させた近代における教義学への批判ともなる。

シュヴァイツァーは三〇歳で新約学者を引退し、あとは後進に任せて医者の道に進んだ。現代の聖書学が、シュヴァイツァーによる聖書研究にどれほどの敬意をもって接しているのかについて私はあまり明るくないけれども、仮にもシュヴァイツァーの研究成果に対して「古すぎて話にならん」と切り捨てるような人物がいるなら、その人は、少なくとも私からの信頼を全面的に失うであろう。

一九三〇年を最後に神学的な論文はシュヴァイツァーから出ていないのである(たしか)。それ以前の彼の聖書神学研究が、今日の研究成果から見て「古い」のは当然であろう。そうでなかったら、逆にそれ以降の学者は何してたの?ということになってしまう。しかしそのことと、内容が古くなってしまったから切り捨てる、ということはイコールになり得ない。アリストテレスの自然科学が今日の水準からみて「古い」にもかかわらず、アリストテレスの哲学は今なお生きていることを思い起こすべきである。

今ここに、キリスト教以前の哲学者アリストテレスの名を出たが、キリスト教を知らない人物にもパッションは存在しうることはいうまでもない。でもその話は、また改めて。

ピアニート公爵ミニ演奏会

2011-05-23 23:37:21 | 豆大福/トロウ日記
なんと応募したら当選してしまった。ニコ動では有名なピアニート公爵の無料ミニ演奏会へ行ってきた。(実は公爵のことは、連れ合いもその実力を高く評価していたの。残念ながら、ネット越しでしかその演奏は楽しめなかったけれど。)

●前奏曲
表参道を歩いたのは何年ぶりだろう。神宮前交差点付近にあった、お気に入りだったアイリッシュパブも閉鎖されていた。そこに最後に行ったのは墓参りの帰り、お義母さまを案内したときだったかな。同潤会アパートもヒルズに代わってしまい(って何年前の話だ)、それでも変わらない風景もあり。連れ合いと歩いた思い出に浸っていい気持ちでいたのに、声をかけられた。無粋な奴だ。まあ、声をかけた方も、かけたはいいが実はおっかないオバちゃんで残念だったろう(ザマミロ)。

●演奏会
オープニングはかの笑撃的作品、「ショパンのピアノソナタ第3番フィナーレ×巨人の星」。すばらしい。会場の音響は必ずしも良くはなかったが、それでもそこは公爵の演奏だもの。ニコ動版よりも、今日のは軽やかなタッチの演奏だったような。それともピアノが違うせいかな?

そしてメインは「ガンバスター幻想曲」。感動した!私はガンバスターを知らないのが残念だけれど、いい映画を一本観終わったような、落涙寸前の感動。続いてエレガントな「時報によるロマンス」、そして最後は本当の題名が不明な?小曲でアンコール代わり、だろうか。

これまでも、ネット経由の公爵の演奏で連れ共々励まされてきたけれど、連れが亡くなって以来、ちょっとおしゃれをして行こうなんて思えたのは今日が初めてだ。ミニ演奏会であっても、まるで一人によるオーケストラみたいな印象を与える彼の演奏は、生では尚更想いが伝わってくる。若き才能と情熱の人。ピアニート公爵の生演奏に勇気をもらえた。これからどんどん有名になって偉くなっても、ニート魂はいつまでも忘れないで下さいね!

想像力の欠如がもたらした代償

2011-05-22 15:54:08 | 豆大福/トロウ日記
震災にともなう原発事故以来、クリーンエネルギーへの転換の主張が大勢を占めるようになってきた。日曜の朝、テレビの討論番組でも論者たちは軒並みその方向で提言をしていたし、今朝の朝日新聞社説も「北欧が示す未来図 自然エネルギー社会へ」と展開されている。

異論はない。是非そうすべきだと思う。チェルノブイリ事故を十代後半で体験してから、個人的にはそれを切望していたといっていい。原子力政策によって得られる利権や恩恵を受ける人々とは関係のない世界に生きてきた人間にとっては、自然エネルギーへの転換など、25年前からいってきていることだ。

東京の電力は、福島の人々の犠牲によって賄われてきたといわれるのも心外だ。私は、自分たちの快適な電力消費生活を保つために、東京近辺の県民へ「原発を設置してほしい」と頼んだ覚えはない。いやむしろその逆で、原発推進政策をとる政党や議員に対し、私は選挙権を得て以来、自分の票を一票たりとも投じたことがない。もちろん、選挙ごとの争点はその時々いろいろで、必ずしも原子力政策が投票行動の決め手ではなかったが、原子力政策を国策と位置付ける政党の政策は、ほとんど私とは考え方が違っていたのは偶然ではないだろう。

今回、震災による原発事故が起こっていなかったら、クリーンエネルギーへの転換の主張が、今、はたして日本社会の大勢となり得ていたであろうか。それはなかったに違いない。原発のある日常は今なお、その危ういバランスを保ちつつ平穏に流れていたことだろう。

そしてそこにあるのは、相変わらずの想像力の欠如である。しばしば日本人は、欧米の真似事は得意だけれども、自ら開拓する創造力に欠けるといわれてきた。その当否について、私は評価することはできないが、敢えていえば、この日本人論に対しては私自身、違和感を持っている。なぜなら、私は創造力に溢れた日本人を直接的間接的に、実にたくさん知っているからだ。

責任感のない人間、利権に群がる人間、ずる賢い人間、経験上、これらは世界中どこでもみられる人間像であって日本人の特性とはいえない。しかし社会の特性という場合、日本人に欠けているのは想像力だ。そしてその想像力の欠如はしばしば、日本人の付和雷同をよしとする特性に付随する。そしてこの、欠如した想像力がやっと目覚めるのはいつも、自らの命がいよいよ危機的なところまで追い込まれ、現実が見える形で突きつけられてからなのだ。しかもその時は大概、時すでに遅し、である。太平洋戦争の末期、日本が(というか統治権を総攬する国家元首であった天皇が)敗戦を覚悟した頃の事情――東京大空襲はじめ日本各地への空襲、そして2度の原爆投下――が、まさにそれにあたるであろう。

以上述べたような立場が自虐的だと嫌われることがあることも承知している。しかし自らの欠点を反省することが自虐であろうか。神の命じる道に生きる私にとっては、それは自虐ではなく悔い改めである。悔い改めが常に命じられている者からすれば、根拠のない自信に満ちた姿ほどみっともないものはないようにみえる。

どうしようもないのだけれど

2011-05-20 20:00:48 | 豆大福/トロウ日記
とても痛くて不確かな検査をするかわり、全身麻酔をかけて精密な検査をするため再び一日入院することになった。病院は、連れ合いが亡くなったのと同じ病院なので、一日といえども不安だ。

何が不安って、病室というのは大体同じような造りになっている。そのような、フラッシュバックがもろに起こることが予想される場所で一日過ごすことに、私の精神が耐えられるのだろうか、という。

実際、昨日も駅から病院に向かう道のりで、涙ドバーの洪水状態だ。ハンカチで顔を覆いながらやっとのことで入口ロビーになだれ込み、しばし落ち着くまで待つ。いつもはかつて通らなかった道をなるべく選んで病院までたどり着くのだが、昨日はそう上手くいかなくて、「いつも通った道」になってしまったのだ。

こんなこともあり、あまり意味ないなとは思いつつ、それでも状況を知ってもらっても悪くはないだろうとの思いから、診察の時に主治医の先生に事情と抱える不安を申し上げることにした。

「そんなこと言われても、どうしようもないですよね、こればかりは」と自嘲気味に話す私。先生は一応、考えた様子を見せながらも、「そうですねえ。まあそこは、睡眠剤とか、よく盛っておきますからっ」と、明るく処理されてしまった。

主治医の先生のスーパーあっけらかん振りが、吉と出るか凶と出るか。たとえ他科であろうと入院棟の病室に入るということを想像しただけでも、すでに今から心ガクガクなんですけど。

瞬間妄想的あこがれの俳優像

2011-05-09 14:22:20 | Dr.大福よもやま話
映画好き、これは仕事以外における大福先生と豆大福の共通した嗜好のひとつである。とはいえ、映画作成の技法とか技術とか、そういった内部事情通的ヲタ的関心ではなく、単に鑑賞歴が長いだけで、気楽に観客の立場でいろいろと観るのが好きという、万年中級者レベルの映画好きである。しかも何でもかんでもお構いなく潰すように観る、というわけでもなく、あくまでも、気まぐれに、気の向くままに、という映画好き。

豆大福にとっては、中学生の頃から映画鑑賞が生活の一部であったが、そのジャンルと言えば、戦前のものから洋の東西は問わず、興味があればいろいろと観てきた。当然、同世代のお友達とは映画の話が噛み合わない。

そのことに長年慣れっこになっていた分、往年の名作をリアルタイムに観てきた大福先生とならば、その類の話がツーカーに通じて気楽になったものだ。大福先生からしてみても、趣味の話が通じること自体楽しかったろうけれど、しかし同時に、若いくせに古い映画について嬉々として語る奇妙な娘だとも感じていたであろう。

映画好きが一定の線まで高じると、自分もスクリーンのそちら側の人間としてやってみたい、と思うようになることもあっていい。実際、豆大福も大福先生も若かりし頃、一瞬は、俳優になろうかなという思いがふと、頭をよぎったことがあるのも共通しているところだ(うわっ、はずかし)。

十代の頃、豆大福はヴィヴィアン・リーにあこがれていた。彼女はとびきり美しいだけでなく、演技力も凄い(もっとも往年の伝説的美人女優は皆、そうなのだが)。しかしこちらが年をとるにつれ、彼女の、あの強さ、そしてそれを支えるあまりにも痛々しい繊細さ、それを受け止めうる体力がなくなってきた。若い時分は、ヴィヴィアンのガラスのような繊細ささえもまた彼女の魅力と思えたのだけれど。大福先生もヴィヴィアンの綺麗さは認めても、今にも壊れそうで精神的に不健康そうなところが受け付けないという。では大福先生は誰がお気に入りだったかというと、それは秘密にしておく。ひと様の内心を、私が勝手に暴露するわけにはゆくまい。まあでも、次の話題なら。

「で、先生はどんな男性俳優がお気に入りなんです?もし俳優になっていたら、どんな感じを目指したんですか?」と、ガールズトークは益々熱を帯びてくる。豆大福が続ける。
「そこはやはり、ゲイリー・クーパーでないですか?」
「なんでゲイリー・クーパーなんだい?」
「だって似てるじゃないですか。先生は、彼に似ていると言われたことはありませんか?そっくりだと思うんですけど。横顔なんかもとても。あ、いや、ゲイリー・クーパーに知的な面差しを足せば、の話ですけど」
「冗談じゃないよ、言われたこともない。まあ、僕も彼を好きは好きだけどね、似てるなんてことはないよ」
「え~そうですかねえ、おかしいなあ。まあいいや。では先生ご自身、もし俳優の道を歩んでいたとしたら、どんな俳優さんを目指しました?」
「佐分利信」
「うわっ、渋っ!佐分利信ってなんか、先生とは全く雰囲気違うような気がしますけど。あーでも、ご自身ではそういった渋どころなんですね。私には、ゲイリー・クーパーの方にイメージが重なりますけどね。世の中で私だけかもしれませんが」

この話、今ではさらに浮世離れしているというか、時代的に話題が昔過ぎて「一体何を話題にしてるんだか分からん」と思われる方々が大半となってしまっていることだろう。(この話にピンとくる世代は、恐らくネット環境から遠い場合が多いと思われる。)ということに配慮して、この機会に、へぇ、大福先生ってこんな感じだったの、という観点からお勧めのゲイリー・クーパー作品は次のとおり、って私は思っているんだけど……とくに大福先生を既知の方、「全然似てないじゃん」と思われても豆大福に文句を言わないように。これらは作品自体としても観る価値あるし。

・「群衆」(Meet John Doe):クープ、油の乗り切った頃の作品。クープの魅力もさることながら、何気に辛辣な社会風刺を利かせた作品。この風刺、いまだに色褪せず。

・「真昼の決闘」(High Noon):クープの笑顔は一切なし、全編渋顔の作品。それでも、しっかりアカデミー賞受賞。豆大福個人的にはグレース・ケリーの扮する妻みたいな女がいやだが、しかしその、マイナス妻の反射としてクープの魅力が光るという、「クープのための」作品かも。そう考えると、グレースがちょっと気の毒でもある。最後のシーンが最高にカッコいい。

ついでにお勧めのヴィヴィアン・リー作品も。
・「美女ありき」(That Hamilton Woman):ヴィヴィアンの美しさ最高潮の作品。恋する女性はここまで美しくなれるものかを教えられる。

・「哀愁」(Waterloo Bridge):大みそか、Auld Lang Syne(いわゆる「蛍の光」)の流れるシーンが忘れられないほどに美しい。

なお、次の2つも名作。「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind):ヴィヴィアン作品としてあまりにも前提。「欲望という名の電車」(Streetcar Named Desire):あまりにも…絶句するほどの凄み。これ観ると、マーロン・ブランドを嫌いになれる(笑)。実際、ゴッド・ファーザーで彼の信用はやっと回復できた、かな?

野呂神学もう一つの出発点

2011-05-07 17:08:46 | Dr.大福よもやま話
大福先生たる野呂芳男の『実存論的神学』(創文社、1964年)は、いわゆる「実存論的神学三部作」の1番目の著作であるが、同時に、京都大学に提出された博士論文でもあった。その点でも、これは野呂神学の出発点の著作には違いない。

京都大学が実存論的神学をテーマにした論文に対し文学博士号を授与したというその決断に対して、大福先生は心から感謝していた。というのも、周知のとおり、とくに当時の京都大学のキリスト教学、宗教学分野は西田・田辺系(とひとくくりにしていいかはともかく)哲学の牙城といってよかったのであり、そこに、まったく毛色の違う神学を受け入れてくれた京都大学の鷹揚さ、これは大福先生には意外であったのだ。

自分の神学が、まさか京都大学に受け入れられるとは思わなかったという大福先生。それは、具体的には主に武藤一雄先生のおかげだと、大福先生はその時に、往年の名物教授たちに備わっていたおおらかさに触れ、そのことはさらに、大福先生の教育者としての特性として受け継がれていった。

しかし忘れてはならない。大福先生にはもうひとつ、『実存論的神学』の10年ほど前に提出された博士論文が存在することを。それは、米国ユニオン神学校に提出されたImpassibilitas Dei(『痛まない神』、以下IDと略す)である。

じつはこのID、私も通しで1度しか読んだことがない。何せ、日本国内でこの本は、いまや大福先生自身も到達できないところに1冊保管されている(はず)のみである。外国の大学に提出された博士論文なので、国会図書館にも所蔵はないと思う。私がこの本を読めたのは、神学生の頃、休みに見計らってNYCに出かけた際に、ユニオン神学校の図書館に立ち寄っては少しずつ閲覧できたからである。

『実存論的神学』を野呂神学の出発点とするならば、このIDは、出発点以前の、野呂神学の前提といってよいかもしれない。痛まない神、という論文のタイトルからも明らかなように、東神大時代の恩師である北森嘉蔵先生の「神の痛みの神学」の、カウンターとしての立場を表明された論文である。

と同時にその博士論文は、ドルー神学校においてエドウィン・ルイスの神学と格闘し、またユニオン神学校でティリヒ神学を学んだ直後に書かれた、若き情熱に溢れた力作である。しかしこうはいっても、それは私自身、もう20年も前に読んだ感動の記憶を辿っているだけであって、実際にIDが手元にないのがとても歯がゆい。なんとか、国内に一冊あるはずのこのIDを回収したいものだが、もしそれが消失されているならば、その時はNYCまで出向き、謄写してくるだけの覚悟はある。あーでも、もしそんなことになるのなら、いっそのこと自分の留学中に、なんとかIDのコピーをユニオンで入手してくるんだったなあ、本人同伴で。

*数字の誤り2か所訂正の上、再アップしました。