昨日今日の両日、日本基督教団西東京教区では総会が開かれているそうで、その中のプログラム、逝去教師の追悼式に遺族として出席させていただいた。
司式者は昭島教会の石川献之助先生。石川先生は連れが十代の頃から既知の、つまり深川猿江教会時代をともに過ごした方である。その式辞の中で若き連れのことを、「……野呂先生は当時、情熱家でロマンチストで……」と言われ、その頃からすでにそうなのねと妙に納得する^^;
式が終わると、遺族からの挨拶を求められる。これは予想外だった。が、考えてみれば当然の展開である。あれやこれやと気を揉むことの多い私にとっては、このように急に話を振られる方がかえって好ましかったりする。いずれにせよ何を話そうなど、事前に何も考えていなかったので即興でご挨拶する。このような機会を設けて下さった皆様に感謝を申し上げた。
その後、総会は粛々と進んでいたようであるが、私は会場を離れ、連れと縁のあった先生方と個人的にご挨拶を交わした。声をかけて下さった皆様、ありがとうございました。
ただ、礼拝の(執行はもちろん)出席さえ私にはまだ無理なのかなと思う。今日は追悼式で、いわゆる通常の礼拝ではなかったが、途中から涙が溢れて止まらなくなってしまう。礼拝そのものが、今の私にはきつい。後の讃美歌を歌う頃には声は詰まり、今の私にとって讃美歌タイムは歌うためにあるのではなく、周囲の歌声に合わせて鼻をかむ時間と化している。鼻をかんで讃美されてもねぇ……主もお気の毒。
帰り、石川先生夫妻と共の方とで、吉祥寺東急にあるカフェ・フレディで1時間ほど過ごす。石川先生に限らないが、連れのムカシを知っている方々とお話しするのは楽しい。私は直接知らないけれども連れからよく聞いていることなどが、そっくりそのまま、やはりその通りなのねとウラが取れるようでもあり。つまり、その方々は貴重な証人なのだ。これからもいろいろな方の話をお聞きしたいな。
司式者は昭島教会の石川献之助先生。石川先生は連れが十代の頃から既知の、つまり深川猿江教会時代をともに過ごした方である。その式辞の中で若き連れのことを、「……野呂先生は当時、情熱家でロマンチストで……」と言われ、その頃からすでにそうなのねと妙に納得する^^;
式が終わると、遺族からの挨拶を求められる。これは予想外だった。が、考えてみれば当然の展開である。あれやこれやと気を揉むことの多い私にとっては、このように急に話を振られる方がかえって好ましかったりする。いずれにせよ何を話そうなど、事前に何も考えていなかったので即興でご挨拶する。このような機会を設けて下さった皆様に感謝を申し上げた。
その後、総会は粛々と進んでいたようであるが、私は会場を離れ、連れと縁のあった先生方と個人的にご挨拶を交わした。声をかけて下さった皆様、ありがとうございました。
ただ、礼拝の(執行はもちろん)出席さえ私にはまだ無理なのかなと思う。今日は追悼式で、いわゆる通常の礼拝ではなかったが、途中から涙が溢れて止まらなくなってしまう。礼拝そのものが、今の私にはきつい。後の讃美歌を歌う頃には声は詰まり、今の私にとって讃美歌タイムは歌うためにあるのではなく、周囲の歌声に合わせて鼻をかむ時間と化している。鼻をかんで讃美されてもねぇ……主もお気の毒。
帰り、石川先生夫妻と共の方とで、吉祥寺東急にあるカフェ・フレディで1時間ほど過ごす。石川先生に限らないが、連れのムカシを知っている方々とお話しするのは楽しい。私は直接知らないけれども連れからよく聞いていることなどが、そっくりそのまま、やはりその通りなのねとウラが取れるようでもあり。つまり、その方々は貴重な証人なのだ。これからもいろいろな方の話をお聞きしたいな。