Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

1日かかった寒中のご挨拶

2011-01-10 22:44:41 | 豆大福/トロウ日記
予想していたことではあるが、年末年始に夫あての年賀状やクリスマスカードが届いていた。今日はそれらの返事書きで終わった。

国内向け、つまり夫の死去を知らずに年賀状を送ってくださった方々には寒中見舞いでのお返事、ということになるわけで、ある程度定型どおりに事は進む。問題は海外、というか米国の友人たちあての方である。

毎年思うことではあるが、アメリカ人のクリスマスレターに綴られる、家族一人一人の近況報告はとっても長い。ある場合には、孫の近況に至るまで細々と。若い世代はそのような習慣を捨てつつあるようだけど、夫と同世代では、その「古き良き」伝統を保持している方々がほとんどである。正直のところ、私たちにはそのような趣味はなかったので、その年1年のマイブーム的研究テーマ報告、みたいな内容が主であった。しかし趣向はたがえど、カードに添付する手紙は日本での季節の挨拶の場合のような定型文ではなく、完全に作文であることに変わりはない。

報告しなければならない内容に身を切られるような思いで泣いてしまう他、手紙を書くこと自体、それはそれでいいのだが、いざ宛名書きの段階で意外に手間を取ってしまった。適切な敬称を、なかなか思い出せないのである。Mrs., Ms.の区別はまだしも、Rev., Dr., The Rev. Dr., Prof.,…… 迷った時には夫に聞いて確かめればよかった昨年までとは違い、今年は自分のつたない記憶が頼り、ある場合には過去にいただいた手紙の内容を確かめなければならない。いっそのこと、Ms.とMr.で統一してしまおうかとも思うのだけれど、それはこちら側の事情によるに過ぎないことで、今年は差出人が若輩者である私であるだけに却って、それはできないような気がする。ましてや敬称略など。同年代の友人にならいざ知らず、私にとっては先生であるような人も含まれる夫の友人となると、絶対無理。会えばファーストネームで呼んでいたような人でも、手紙では、無理。

それでもどうしても適当な敬称を思い出せない人、1名。結局その方には、相当する蓋然性の高く、仮にはずれていても必ずしも失礼に当たらない敬称を、えいやっ、と書き入れる。ふぅ。

日本であれば、手紙の敬称は「様」「先生」で足りるのに、なんて面倒な……と辟易しかかったものの、ふと、感慨深くなる。こんな風に悩ましい思いをするのも、これが最後になるだろう。毎年の恒例行事であった敬称に関する迷いや、夫の友人に宛名を書くことそのものも、これで最後になるのだろうから。

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