ちかちか日記

何にでも挑戦。楽しいことを探して豊かな人生を・・・

ミャンマー旅行最終日 ヤンゴン

2012年12月12日 | ミャンマー’12
2011年11月23日(金) 
 
LEOの学生さん6人と一緒に、S先生の案内でヤンゴン川流域の景観の勉強

エンジン付きの小さな船に乗り、川上の方へ
   


私は、泳げないから救命胴衣つけた。   


                           


 
左岸は、どんどん開発されて高いビルが建ちつつある。  

     
でも右岸はまだ開発されてなくて、緑が多い。




右岸のちょっと、細い川に入ったらもうすぐの所から、未開発だとわかるような所
粗末な家で、汚い茶色い川で洗濯したり、水浴びしていた。病気になりやすいだろうなあ。

ミャンマーの人は寿命が短いらしいけど、こんなのも原因の一つかもしれない。
  






雨季には1メートル近く水面が上がるようで、マングローブの下の方の葉っぱが白くなっている。  
そして、ゴミが上の方にぶら下がってるのもその証拠だ。




お昼はミャンマーの人がよく行き、美味しいと評判のお店に麺類を食べに行った。
麺類はホテルの朝食でもよく出ていたが、米の麺でなかなかおいしかった。しかし辛くないようにと注文したので、LEOの職員のトントンさんは、物足りないと笑っていた。


魚のすり身や骨付き豚肉が入っていた。スープはわたし好みだった。

taka氏とSさんは打ち合わせがあるので、S先生と一緒にLEOへ
私とbaba氏はボージョー市場へ  baba氏はお土産をいっぱい買わなくてはいけないらしくチーク材の彫り物・翡翠のブレスレット・ネックレス・お子さんのミャンマー服など・・・大変
私も少し雑貨やお土産を買ったが、あとは買い物に付き合って、結構楽しかった。

でも、買い物はちょっと、しんどい。
値段がついてなくて、いちいちガイドのネーネーさんに聞いてもらい、値切るのもネーネーさんを通じて。
買い物は、値切るのが当たり前みたい。  タクシーも交渉制らしい。
    

夕方LEOの学生さん達が、私達への感謝の気持ちを伝える会を開いてくださって、お土産まで頂いた    

アウンサン・スーチーさんの下敷き・ビーズ刺繍のバッグ・布地(ロンジー用と思う)

いよいよミャンマーともお別れ。
LEOの職員や学生さん達が、空港まで見送りに来てくれて、見えなくなるまで手を振ってくれた。
嬉しかった。またこの人達に会いに来たいなと、思った。


ヤンゴン空港 19:40  バンコク到着21:30
バンコク発  23:50  成田到着  7:30

  
ミャンマーはこれからどんどん発展していく国。でも、開発優先による自然破壊とか心配だし、文化や伝統、人々の素朴なやさしい気持ちとかが、消えていかなければいいがな!と、思う。





ミャンマー旅行6日目 ヤンゴン

2012年12月09日 | ミャンマー’12
2012年11月22日(木)

インレー湖のホテルを小舟で出発。ニャウンシェへ

      
お祭りの扮装で、見送りしてもらう


ホテルの外の広い湖までは、足こぎで。後はエンジン


ヘイホー空港からヤンゴン空港へ
直行便だから、1時間くらい。経由便だったら他の都市を回るので乗客は遠回りになる事も。


<チャウッタージー・パヤー>
70メートルの巨大な寝仏で、足の裏にも黄金の図が。
金色の袈裟をまとい、きれいにお化粧してアイラインを入れ、口紅は真っ赤
赤いマニキュア・ペディキアをしている。



  
 


 
お供え用の花

                                                              
      

旅行中に見たきれいな花  
    

    

<シュエダゴォン・パヤー>
熱心な仏教徒が多い国、多くの人がお参りに来ている。境内にある仏像に金箔を貼ってお参りする姿も。
小さな子供が、おとなの横で作法通り、頭をつけて肘まで床につけて、お参りしていた。




お昼は又ミャンマー料理  イタリア料理と日程表には書いてあったけどなあ。

道のあちこちに、飲料用に水がめが置いてあって、ミャンマーの人のやさしい人柄を見たようだった。
これからどんどん開発され、発展していくであろうこの国の人柄が変わらなければよいが。




<交流会>
夕方、ヤンゴンの子供たちとその親との交流会。当然、子供たちがいるから、アルコール類はない。
ヤンゴンの子供たちもみんな賢そうだった。最も、支援学生は、優秀な子を選んでいるそうだけど。


私の支援しているミン・トゥ・アウン君はお母さんと来ていたが、11歳の可愛い坊やが高校1年生になっていた。    
 
  
   
       
ミャンマー6日目  ヤンゴン(泊)  
  
 

ミャンマー旅行5日目 インレー湖

2012年12月04日 | ミャンマー’12
2012年11月21日(水)    
今回の旅行は、毎日飛行機での移動だが、今日は初めて飛行機に乗らなかった。かわりに小舟に乗ったり、降りたりの日です。
   
ホテルからニャウンシェの町に行く途中、taka氏の希望でドイツ人経営のワイン工場に。
ブドウ畑を見て、タンクの前で説明を聞いたが、私はよくわからなかった。

 




さて、ワインの試飲・・・
同行のbaba氏もSさんも全く飲めないので、taka氏一人では面白くないだろうと、私が付き合う事に。
白ワイン2本・赤ワイン2本

わからないなりに、白の2本目が美味しかったと言えば、実は一番高いワインだった。「意外と私、ワインの味がわかるじゃないの、やっぱり飲めるくちかも・・・」と。まぐれかな??

   
バナナの木は道沿いや畑のような所など、あちこちで見かけた
 



     
ニャウンシェから、エンジン付き小舟に乗ってインレー湖へ 
一艘の船にスーツケースやリュックをのせ、一足先ににホテルへ。
別の船にガイドのネーネーさんと我々4人が乗りこみ、インレー湖周辺の観光をする。

   
<インレー湖>
インレー湖は5月ごろはジリジリ暑くて、ずいぶん日焼けしたらしいが、今頃は寒いくらいで、船の一番前に座らせてもらった私は、向かってくる風が冷たく、薄手のダウンが役に立った。

シャン高原にあるインレー湖は、景色のいい所。アシ等の水草が茂り、浮島を形成している。
広い湖では観光客の乗った小さい船や、土地の人の足になってるような小さい船に幾つも出会った。
インター族の漁師の船も、たくさん出て漁をしていた。

小舟に片足で立ち、もう一方の足で船を操り、淡水魚を採っている。

 



        
<ファウンドーウー・パヤー>                    

 
 
<ガーベー僧院>


    
昼食は湖上レストラン   
エンジン付きの船が横を通るたびに、やんわりと揺れる感じ。しばらくすると全く感じない。






ミャンマー料理にも慣れてきた。魚はここで採れたものだろう。淡白な味だから、ソースがべったり
アボカドはライムを絞って・・・美味しかったけど、わさび醤油が恋しい。


インレー湖では、浮島で水上生活をして、浮島に畑を作り、水耕栽培でトマトをつくっていた。
 



   
ミャンマー・インレー湖


   
織物も盛んで、木綿や・絹の他に、ハスの茎から採る細い繊維の高級織物もあった。
機織り器械で、ロンジー用の布地を追ってる様子は、日本でも見た風景。  
 

                                     
taka氏に教えてもらいながら双眼鏡で、初めてのバードウオッチング。                                  

夕方ホテルに入る頃、ちょうど夕陽が沈むころで、幻想的できれいな景色だった。





ホテルの部屋   
なかなかいいお部屋だったが、大柄な欧米人用に作ってあるので不便で、私より小さいSさんは、洗面台が届かないと、バスタブの蛇口で洗顔していた。


 


久しぶりの牛肉、たくさん食べた。


ミャンマー5日目 インレー湖 (泊)   


   

ミャンマー旅行4日目 タウンジー

2012年12月03日 | ミャンマー’12
2012年11月20日(火) 
バガンからヘーホーへ

バガン空港へ行く途中、たくさんの気球が上がっているのを見た。
バガン平原に点在するバゴダ(仏塔)を、気球に乗って空から見る観光があるそうだ。(250ドル)


バガン空港 → ヘイホー空港

ヘイホー空港は観光客でいっぱいで、2年前に来た3人はこのにぎわいに驚いていた。
空港の外には、たくさんのワンボックスカーが、停まっていた。


 
   
飛行機を待っている人 
    


ヘイホー空港から、タウンジーの町へ

途中の道ではたくさんのオートバイを見かけたが、自転車はほとんど見かけない。
そして、道の両側にペットボトルに入ったオートバイ用の燃料が売られていた。

 

牛の行列も見たが、痩せていた。
 

タウンジーの町で、黒い伝統衣装を身につけた、現地ガイドのキンキンさんと合流。

ミャンマーには、多くの少数民族がいて、キンキンさんはシャン州のパオ族
高地の比較的寒い地方なので、長袖の上着を着て、ロンジーの下には、足に布を巻いていた。

 



子供たちも頭に布を巻いている。パオ族は、祖先が“龍”だったと信じていて、“龍”に見えるように頭にまいているとか。。 
  


パオ族のお店で昼食(ミャンマー料理)
   


カックー遺跡の見えるレストラン。観光バスが何台も停まっていた。

<カックー遺蹟>
12世紀、この地方のシャン族・パオ族の各家庭に一つづつ仏塔を寄進させて、2548ある。
家の財力・部族によって形・大きさが違う。

  


はだしでずーっと歩くから、足が冷たかった。

キンキンさんの知り合いのパオ族の家を訪問(ひょっとしたら観光コースに入ってるのかも?)
 
 

 


  
おばあさんは、年より老けて見えた。ミャンマーの人はあまり長生きではないらしい。
やはり黒い民族衣装を着ていて、頭にはタオルをまいていた。


タウンジーの町で、ロンジーを買った。みんなに選ぶのを手伝ってもらった。
さっそく、ホテルの夕食時に着用。taka氏もミャンマー人に。こんなのが楽しい。
ヤンゴンの交流会の時に着るつもり。

          
 
  
タウンジーホテル

タウンジーに古くからある国営の中級ホテル
ここまで来る観光客は少なく、夕食時も・朝食時も客が少なかった。それなのに、日本人に会ってびっくり。聞くと、NGOのなんとかで農業のことで来ているとか。向こうもびっくりされていた。
        
        

ミャンマー4日目 タウンジー 宿泊 



ミャンマー旅行3日目 バガン

2012年12月01日 | ミャンマー’12
2012年11月19日(月)   マンダレーからバガンへ
今度の旅行は、なかなか友人と打ち合わせできず、荷物は少なくというので小さいのを持って行ったけど、自分で持つ事はほとんどなく、ポーターが運んでくれるし、もう少し大きいスーツケースにもっといろいろなものを持ってきたらよかった。

冷房の利いたワンボックスカー。町のタクシーは冷房がないそうだ。 

   
飛行機をおりると、ポーターが荷物をとって来て車まで運んでくれるし、思った以上に楽な旅だった。



<マンダレーヒル>
旧王宮の東にある丘は、丘全体が寺院となったマンダレー最大の仏教聖地
後の3人は行った事があるので、今回はパス。 いい所らしい。ちょっと残念。




   
マンダレー空港へ行く道で、托鉢している多くのお坊さんや尼さんの姿を見た。




マンダレー 9:05発   バガン 9:35着   

<ニャンウー市場>
バガン地区の入り口のニャンウーの市場 1週間ぐらいの買い出しの感覚で、買い物するみたい。
こんな暑い地区で魚が売られているのに驚いたが、買ったらすぐ油で調理して2~3日もたすみたい。
そういえばミャンマーの料理は、油ギトギトというのが多かった。

  

 



       
宮崎(佐土原)のクジラ羊羹に似ている。味見したかったが、露店ですからね~


“タナカ”日焼け止め・肌荒れ防止・殺菌作用があるらしい。きれいな模様を描いている人もいた。   


<シュエズィーゴォン・パヤー>
バガンを代表する仏塔  境内はかなり広く、黄金の塔が大きく立派
境内をはだしで歩く。5月ごろに来た時、境内に敷き詰めてある大理石がとても熱かったと、baba氏の話。

   

 


       
お昼は中華料理だった。
 




<アーナンダ寺院>
バガンに来た観光客の、ほとんどが訪れる所らしい
     


黄金の塔の下に、四方に伸びた回廊があり、中心に四体の仏像がある。

 

 
西
 
南                                           

北           

ホテルにチェックインして、しばらく休憩
<バガン ティリピセヤ センチュラルリゾートH>  
   


<シュエサンドー・パゴダ>


  
クリックすると大きくなる          
このパゴダ(仏塔)の上には、夕陽を見るためにたくさんの人が登っていた。


バガン平原      
2000以上のバゴダが点在している  白い仏塔も見える
クリックすると大きくなる      
      
バガンニューミャントタワーから  
バガン航空が何年か前に建てたが、観光客は少なかった。

   夕食は、ミャンマー料理 
       
自分の皿におかずを色々とって、左手のフォークで右手に持ったスプーンにいれて食べる。   スイカとパパイヤ


 
 

伝統の踊りや、操り人形を見ながら 


<バガン・ ティリピセヤ ・センチュラルリゾートホテル>
 
 

  

 
ミャンマー3泊目 バガン (泊) 


ミャンマー旅行2日目 マンダレー

2012年11月29日 | ミャンマー’12
2012年11月18日(日)   ヤンゴンからマンダレーへ

2~3日連泊したかった様なホテルだった。
最近、ミャンマーは観光客が多くなり、安いホテルは取れずホテル代も高騰しているそうだ。
私達も当初予算よりオーバーだった。でも、いいホテルに泊まれたので、よかった。


ホテルから見るヤンゴン市内は、緑が多くてきれいだった。
   



ホテルの玄関に結婚式の受付が出来ていて、たくさんのお祝いの品が積まれていた。
案内板の名前に“DR”という文字が見えたので、ガイドのネーネーさんに聞くと、ミャンマーでは結婚する人の名前に職業や勤め先などを入れるそうだが、ちょっと見栄っ張り?

ロンジー姿の女性は普段は木綿が多いが、こんな時はシルクだが、足元はやはり素足に草履。


    
ホテルから空港へ
ヤンゴン市内の、朝の通勤風景を見ながらヤンゴン空港へ
道路は、日本の中古車とわかる日本名の書いたトラックや、人がいっぱい乗った軽トラック、バス、二人乗り・三人乗りのオートバイ、タクシー、ワンボックスカーなどで、すごく混んでた。

 

 



ヤンゴン空港10:30   マンダレー空港11:55
      
<マンダレー>
ミャンマーの中心に位置する古都
  
マンダレー王宮 

ウー・ペイン橋     
アマラプラにある、チーク材でできた古い橋で、20回もミャンマーに来てるT氏は、ミャンマー人の服装が似合ってる

橋の途中に何ヵ所か、屋根つきの休憩できる場所があり、物売りがいてスイカや工芸品を売っていた。
 

  





橋の近くのレストランで昼食 

     
入り口でおしぼりを渡してくれた。この後もほとんどの店がそうだった。
 
  

  

  

  


あらかじめ、辛くないように、香辛料少なめと言ってあったらしく、心配なく、たくさん食べられた。
でも、辛い香辛料のたっぷり入ったタレが小皿に出て来て、taka氏はつけていた。


     金箔工場
 



 


<交流会>
夕方、支援している学生とその親との交流会があった。みんな優秀な子供たちで医学生や工科大学に通ってる子、医科を目指してる高校生などだった。  
この子たちがミャンマーを引っ張っていく様な人になってほしいなと、思った。

    



私の支援する子はヤンゴンの子供なので、ヤンゴンの交流会が楽しみです。

  
マンダレースワンホテル

   

 


ミャンマー2日目  マンダレー(泊) 


ミャンマー旅行1日目  ヤンゴン

2012年11月27日 | ミャンマー’12
ミャンマー旅行から帰ってきた。 面白い旅だった。
ミャンマーの景色の素晴らしさ、多くの仏教遺跡、普通の観光旅行では知ることのできない人々の暮らしぶり、欧米人がたくさん観光に来ている様子など、驚きと、感動の旅だった。
またぼちぼち、ミャンマー旅行記を書いて、残しておく事に。

    
11月16日(金)
宮崎出発 →羽田 →お嫁さんの用事に付き合う →成田ANAホテル  前泊

 
空港ロビーはダンロップゴルフトーナメントの関連イベントセール

 
今日の富士山               



ANAホテルから
  
11月17日(土)
成田 10:45  バンコク 15:45     

 
バンコク・スワンナプーム国際空港 

  
色とりどりの蘭の花
          

ヤンゴン行き飛行機を待っている


ANAが10月からミャンマーに直行便を飛ばしているので、期待していたが、ビジネスクラスのみの運航で、残念。バンコクで乗り継ぎ。


バンコク 17:55  ヤンゴン国際空港 18:40 

    
S先生、leoの職員、ガイドのネーネーさんの出迎えを受けて、leoの学校へ

職員の方と打ち合わせの後、ホテル(セドナホテル)へ


  


米ドルでも支払えるので、とりあえず100ドルを両替してもらっていたが、1000チャット紙幣84枚   
これを長財布に入れて、パンパン。500チャット紙幣なら、大変。
ミャンマーでは二つ折り財布より、長財布が使い勝手がよい。硬貨はなく、紙幣だけだった。
1・5・10・20・50・100・200・500・1000・5000チャット紙幣があるようだが、私はヤンゴン空港で、チューインガムを買った時1000チャット出して、お釣りの500チャットと200チャット紙幣を見ただけだった。



両替の100ドル紙幣は、新札の方がレートがいいそうだ。


ミャンマー一泊目  ヤンゴン、セドナホテル 泊  



帰国してからまた子供の所にしばらくいたので、我が家に帰るのが遅くなった。
パソコン開くのも、ブログ書くのも、ちょっと面倒に。そのうち、エンジンがかかるかな




ミャンマーのホテル

2012年11月12日 | ミャンマー’12
ミャンマー行きの準備で、蚊対策を考えていたらどんなホテルに泊るのか心配で調べてみた。高級ホテルの様で、嬉しい。インレー湖あたりのバンガロー形式のホテル、ちょっと楽しみ。
でも忙しい日程なので、ホテルライフは楽しめそうにないなあ。      

1泊目 ヤンゴン セドナホテルヤンゴン 
 


 
2泊目 マンダレー マンダレースワンホテル       
 



3泊目 バガン バガン ティリピセヤ センチュラルリゾート  
 


4泊目 タウンジー タウンジーホテル                                     
 


5泊目 インレー湖  ミャンマートレジャーリゾート
 


6泊目 ヤンゴン    パークロイヤルヤンゴン 

                                  

でも、こうやって並べてみると、毎日ホテル移動。まあ、忙しい事。
ゆっくりお茶してるひまもないだろうなあ。              
ホテルのプールで泳ぎたかったなあ!(いえ、今泳ぎの練習中。まだ金づちだった)

   


ミャンマー旅行の準備

2012年11月11日 | ミャンマー’12
17日から行くミャンマー旅行の最終日程表・パスポート等が届いた。
ビザの取得って初めてなので、ビザってどんなものかなと思っていたら、パスポートに私の写真入りの査証済みの紙が貼ってあった。

   
成田空港まで冬服を着て行って、乗り継ぎ空港のバンコクに着いたら、夏服  
こんな気温の差がある旅行は、初めて。体調管理に気をつけなければ・・・   
飛行機はミャンマー直行便をANA が飛ばしてるけど、すべてビジネスクラスだって。

   
今回の旅行は、毎日都市を移動するので、スーツケースは34リットルを持っていくことにした。
1.9キロの重さだから、楽である。
   
         



病院で、下痢止めの薬をもらい、蚊対策は、夏の間に虫よけシールと虫よけジェルも買っておいた。   
銀行で米ドルに両替してきた。
ミャンマーの通貨はミャンマーチャット。米ドルを向こうで両替するが、ドルでの支払いもOKのようだ。      
靴は向こうでは、サンダルが便利らしい。寺院に入る時は、はだしだそうだ。
バードウオッチングをするようなので、双眼鏡も持って行く。

 
今回はおしゃれをあきらめて、できるだけ荷物を少なくしようと、思っている。




      
     

The Lady ひき裂かれた愛

2012年10月26日 | ミャンマー’12
アウンサンスーチーさんの映画を見てきました。


         
ミャンマーの民主化運動のリーダーで、家族と離れ離れになり、長い間自宅軟禁におかれていた事など、新聞やTVで知ってはいましたが、映像で見ると、やはり感動しました。

ランの花をいつも髪にさした優雅な姿とは違って、強い心を持った女性。
それゆえ<鋼鉄の蘭>と形容される事もあるとか。   
普通の女性だったら、夫や息子と離れてまで、こんな過酷な民主化運動に身をおかないと思う。
やはり、ビルマ解放の英雄を父に持つ娘だから、その血がさせるのでしょう。

私は、単純に「何と強い女性、闘う女性なんだろう」と、今まで思っていましたが、そんな強い意志を持ち続ける事が出来たのは、家族の支えがあったからだというのがよくわかりました。

   

ノーベル賞をもらった時、彼女の代わりに夫と二人の息子が授賞式に出たシーンは、涙が出てきました。

 
  
ミャンマーに行く前に、この映画が宮崎で上映されるなんて、私にとってグッドタイミングでした。











ミャンマー旅行の日程表

2012年10月08日 | ミャンマー’12
旅行会社から11月に行くミャンマー旅行の日程表が届きました。
今回は、単なる観光旅行でなく、教育支援している学生や、その親御さん達との
交流会に出席し、ミャンマーの今現在の様子を見て来るそんな旅行です。。
そして、景色・遺跡・伝統芸能などを見る楽しみ、ミャンマー料理をいただく楽しみ。
ミャンマー料理、ここがちょっと心配ですが。

参加人員は4人。男性2人と、女性は私と30年来の友人じゅん子さん  
私が一番年寄みたい。 おとなしく、静かにしてたら、いたわってもらえるかも?!

届いた日程表を見てちょっとびっくりしました。ヤンゴンに一泊したら、翌日から毎日都市移動。
しかも飛行機で・・・・そしてタクシーで・・・とある。
私のいつものツアー旅行なら、朝、スーツケースを観光バスにのせたら、OKだけど

今回はずーっと、引っ張って歩くのかも・・・ 
日程表に<専用車>という、文字もあるので、ちょっと期待していますが。

ビザの取得はJTBがやってくれるけど、そのための証明書を市役所にとりに行き証明写真も撮りに・・・

ビザがいる国なんて、初めてです。たぶん、この先ないでしょう。
入国査証って、日本のミャンマー大使館が、許可を出すのかしら。
まあ、初めての経験。

旭屋書店で、地球の歩き方<ミャンマー>を買ってきました。やっぱり<るるぶ>は、ありませんでした。
   
      

    
ぱらぱらっとのぞいてみたら、タイで見てきたような金ぴかの仏塔があります。
隣の国だから、似ているのでしょうね。 

    

ミャンマー

2012年01月14日 | ミャンマー’12
今朝の新聞に、”ミャンマー 全政治犯釈放”という記事がのっていました。
      
ミャンマーの民主化が進み、欧米との貿易も進み、経済も発展し、よい方向に向いて来たのだと思い、なんとなく嬉しいです。

私が支援している、ヤンゴンのミン・トゥ・アウン君の生活もいい方に、変わるのでしょうか。

そういえば、ミャンマー教育支援の関係者の方からの今年の年賀状にも、「以前と違い、現地はかなり自由になっています。一度遊びにおいで下さい。」と、書いてありました。

昨年、ミャンマーに行った友人のお土産です


写真だと、大きさがわからないですが、携帯電話入れの様です。
裏も同じ柄の、ビーズ刺しゅうです。    

ミャンマーの民主化

2011年11月20日 | ミャンマー’12
昨日の新聞に、ミャンマーの民主化運動の指導者アウン・サン・スー・チーさん率いる政党が、
来年の国政選挙に参加するという記事が、出ていました。
  
軍事政権下で、ずーっと弾圧を受けていたスーチーさんも、出馬するだろうと・・・
ミャンマーの民主化は新たな局面に入る・・・とも。

私は、難しい事はわからないけど、ミャンマーの人たちや、私が支援している13歳の少年、ミン・トゥ・アウン君の生活が、いい方向に変わればいいなあと、思っています。

3年くらい前から、ミャンマー教育支援活動の手伝いをしています。
一人の子供を、6年間にわたって5人のサポーターが支え続けるという活動です。
  
私が支援している子は、今13歳の少年で、時々英語の手紙をくれますが、英語のわからない私は辞書を片手に、しんどい思いをしながら読んでいます。
  


彼がくれた手紙の一部ですが、ノートをちぎって書いてきて、「あれま~」と思ったら、
今度は、韓国の女優のレター用紙に書いて来て、またまた「あれま~」
 

私も、そろそろクリスマスカードを、送る準備で、こんな可愛いいのを用意しました。
ひらけると、中にメッセージが書けるようになっています。