ちかちか日記

何にでも挑戦。楽しいことを探して豊かな人生を・・・

12年前のNY旅行(終)

2013年12月01日 | ニューヨーク2001年
2001年11月30日  ニューヨーク三日目

昨夜は遅かったので朝はゆっくり。セントラルパークに行く途中、カーネギーホールの前のカーネギーデリでサンドイッチとコーヒーのお昼をすませた。サンドイッチはすごいボリュームだったのを覚えている。全部食べ切れなかった。このころブログを書いていたら、絶対写真を撮っている。この時、<ドギーバッグ>というのを知った。
そういえばニューヨークに来て最初に驚いたのが、飲み物、食べ物の量が多いこと。コーラとかSサイズを頼んでもすごく大きいカップだったことを思い出した。




セントラルパークを散歩していたらリスに出会った。多くいるらしい。今日は暖かくコートは腰に巻き付けて歩いた。
 



公園の中にあるメトロポリタン美術館は、とても大きな美術館で所狭しと、いっぱい展示してあった。どんな絵が、どんな展示物があったか、全く覚えていない。その時買ったガイドブックを今、見ても、「これ見たわ!」…という記憶がない。ガイドブックの最初のページに、「メトロポリタン美術館は世界美術を実物で見る百科事典です。世界各地の最古の時代から現代まで・・・」と書いてある。なるほどそんな感じでした。




セントラルパークの中を歩いて、ダコタハウスの前まで来た。ここはジョン・レノンが住んでた高級アパートで、ジョン・レノンが撃たれた南玄関には、警備員が立っていて、写真を撮らせてもらう雰囲気ではなかった。 近くのセントラルパークの一角には、ジョン・レノンを偲ぶ「ストロベリー・フィールズ」と呼ばれる、小さい広場があり、「イマジン碑」(平面的な黒と白のモザイク模様のメダリオン)がある。


私たちはこの後、一休みしようとホテルに戻ってつけたテレビで、ビートルズのジョージ・ハリスン死亡のニュースを知りました。若いhillzさんは「ストロベリー・フィールズに行ってくるわ!」と、写真を撮ってきてくれました。
多くのファンが集まっていて、たくさんの花束が、置かれていたそうです。






今日の夕ご飯は、ホテルの近くに総菜屋さんのようなお店があって、自分の食べたいものを皿に取り、重さで値段が決まるという面白いお店でアボカドロールやサラダ、フライなど買って、ホテルの部屋で食べた。これも楽しかった。今はスーパーでもこんなのを見かけるけど、12年前、私は初めての経験だった。
この日はスーパーマーケットにも行ってコーヒーや蜂蜜や色々、この町に住んでいるの?と言うような買い物をして、とても楽しかったです。
        
三日目最後の夜  

             
2001年12月1日(土)  ニューヨーク四日目 で、帰国日

帰国の日、空港で厳しい保安検査にビックリでした。hillzさんはすんなり通してもらったのに私は呼び止められ、靴は脱がされるしボディーテェックは受けるし・・(こんな小さなおばさんがどんな悪いことするの!!! ) 
黒人の怖そうな人にバッグの中のカメラを取り出されて、何やら聞かれ、カメラを見せろと言っているのかな?(もう、没収されてもいいや)と、「OK]と言うと、あっち向いてシャッター押して、それで終わり。いまだに理解に苦しむ不思議な出来事。


NY ニューアーク空港発 10:50(コンチネンタル航空)    
成田到着  12月2日(日)15:15

私達は品川のホテルで一泊して、翌日宮崎に帰った。前泊や後泊をしないといけないから、東京の人が、うらやましい。

あっという間の短いニューヨークでしたが、楽しかった。また、行きたいですけど・・・    

12年前のNY旅行 二日目

2013年11月28日 | ニューヨーク2001年
2001年11月29日(木)
NY二日目今日はNYの街歩き  

地下鉄で9・11の現場付近まで行ったが、いまだ現場はがれきの山で警察官や警備員、作業員が大勢いた。近くの教会では祈りをささげる人がいっぱいで、犠牲者の写真がたくさん貼ってあったが、どの顔もにこやかに笑っている写真で、家族一緒に撮った写真も数多くあった。私たちも手を合わせました。




  
自由の女神像へ行く船は止まっていて、行けなかった。hillzさんが以前撮っていた写真をもらいました。
    



ウオルマート街をぶらぶらし、エンパイヤステートビルに行ったが、昇れなかった。事件の影響が続いていました。
 

 

                                

NY五番街をうろうろして、お土産のチョコレートを買い、ディズニーグッズを売っているお店でマグカップを買ったが、他の買物は覚えていない。 街はクリスマスプレゼントを買う人だろうか、買い物客がいっぱいだった。道路には長いリムジンが止まっていたけど買い物に来たお金持ちのご主人様を待っているのでしょう。

有名ブランドのお店が並んでいたので、「ティファニー」に入りました。買い物してティファニーブルーの紙袋を下げて出てくれば格好いいけど、入ってぐるりとひと廻りしただけ。「ブルガリ」や「プラダ」には入口に屈強そうなドアマンが立っていて、怖くて入れなかった。買い物をするつもりなら、堂々と入れたのですが・・・  ビルもお店の中も、どこもきれいなクリスマスツリーが飾ってあり、クリスマス一色。とてもきれいだった。ここはニューヨークだあ!・・・と、何回も思った。


夜はグランドセントラル駅に行ったが、たぶん地下鉄で行ったと思うけど、この駅の有名なオイスターバーで、ロブスター・生牡蠣を食べたが、生ガキは種類が多く、リストを見て注文した。「KUMAMOTO]と言う名前があったのを覚えている。このお店は、お客さんが多くにぎやかで、赤いチェックのテーブルクロスだったのが強く印象に残っている。
 
 


以前使っていた写真編集ソフトNAVERフォトエディターが使えなくなって  Photoshop Express Editorを使ったが、顔にモザイクをかけるのがわからなくて、こんなのをはったら変になった。ペイントを使えばよかったけど・・・

ニューヨーク 二日目の夜は遅くまで遊んだ。ニューヨーク・マンハッタンの街を満喫したが、私は初めてだから、あちこち見ながら歩くわけですが、周りは高いビルばかりだから、つい上を見上げてきょろきょろしていたようです。 hillzさんにおのぼりさん丸出しと笑われました。ほんとに自分の姿を今、想像しても笑える。
 

クラウンプラザ・マンハッタン(泊)    

12年前のNY旅行 一日目

2013年11月27日 | ニューヨーク2001年
2001年(12年前)のアメリカ同時多発テロのあった年、11月末にニューヨークに旅行しました。その旅行を、また思い出しながら、書いておこうと思います。

そのころ隣に住んでいたhillzさんと、「なんか楽しいことないかしら、海外旅行に行きたいね~」と言っていて、hillzさんが見つけたのが、飛行機とホテルだけ決まっているフリープランのニューヨーク3泊5日の旅。 夫は簡単に「行っていいよ」と言いましたが、友達は「まだ危ないわ。やめとき!」 でも、めったなことはないわね~・・・で、結局行きました。と言うか、連れて行ってもらいました。

2001年11月28日(水)
成田発 17:50 (コンチネンタル航空)  
NY・ニューアーク空港着 16:30  12時間のフライト




ちょうどNY・マンハッタンに着いた日は、ロックフェラーセンタービルの巨大クリスマスツリーの点灯式の日で、道路はアメリカのおのぼりさんであふれかえっていて、近づくこともできませんでした。あきらめてホテルに戻ったら、TVで中継していて笑ってしまいました。結局次の日に行ったのでした。ホテルから歩いて行けるくらいのところでした。このロックフェラーセンタービルのクリスマスツリーは、色とりどりの電飾で飾られるそうですが、この年はテロの犠牲者を意識しての事でしょうか、色を抑えてあるとのことでした。


 
アイススケート場になっている広場は、夏はカフェテラスになるらしい。金色のプロメテウスの像(人類に火を与えたギリシャ神話の神)が輝いていましたが、ここには国連加盟国の国旗がならべてあるから世界中の人びとを意識して設置してあるのだろうか。わからないままです。朝日新聞に「プロメテウスの罠」という、記事が連載されているが、これは人間が火を扱うようになってから、文明が起こり原子力を作って挙句、原発事故が・・放射能が・・・そんなことを言っているのか。私の頭ではここまで(笑)  

(この頃、私はフィルムカメラだったので、アルバムから写真をスキャンして貼りました)

        
夜は、コリアンタウンの<WONJO>焼き肉店に行きました。NYに住んでいるhillzさんのお友達と一緒です。
この帰り、イエローキャブに乗ったような気がします。行く時だったかな?なにしろ、私はhillzさんの後をついていくから、あまり覚えていません。

ホテルは、大晦日のカウントダウンで有名な、タイムズスクエアの近くで、ブロードウエイ49丁目の<クラウンプラザ・マンハッタン>と言うホテルでした。
ホテル玄関からフロントまでスーツケースを運んでくれた人にチップ。部屋まで運んでくれた人にまたチップ。タクシーに乗っても、レストランに入っても、チップ。ここではチップで食べている人がいるから、ちゃんと渡してあげないといけないのです。と、hillzさんに教えられた。



  


ブロードウエイ49丁目の<クラウンプラザ・マンハッタン>(泊)