まだ緊急事態宣言は解除前ですが、MIFさんが所用で西湘地区に行くので私もその近くを散歩することにしました。
西湘地区とは湘南の西側という意味で、「せいしょう」と読みます。
小田原市、南足柄市、足柄上郡、足柄下郡(開成町、大井町、中井町、松田町、山北町、箱根町、湯河原町、真鶴町)の2市8町を指します。
今回は開成町、南足柄市、山北町のだいたい8.5キロを歩きました。
写真が多いので、お暇なときにご覧ください。
今回のスタートは、開成町にあるフレッシュセンターあしがらという農産物直売所からです。
このすぐ先に田んぼが広がっています。
田んぼのはずが、茶畑もところどころにあって、あれ?茶畑だったかな?と驚きました。
神奈川県産のお茶は関東大震災の復興事業で広がったので、あともう少しで足柄茶100年だと思い出しました。
この写真の奥の山の中腹にある白い建物は、この地区を歩く時の目印、松田山ハーブガーデンの建物です。
開成町といえば、田んぼの農道沿いに植えられたあじさいが有名です。
今年の開成あじさいまつりは中止だそうです。
まだ色づきもほぼしていません。
見学者は私以外にはいませんでした。
私が見たあじさいの中で、この株が1番色づいていました。
他はまだ緑色でした。色が付いていると分かるのはせいぜい4株くらいでした。
私が足柄平野の地図をみているといつも気になるのは、酒匂川右岸の地名です。
「〇〇島」という地名が多いのです。
私は縄文海進の際に島状の場所ができていたのかと思っていたのですが、その割には高低差がなだらかで、典型的な扇状地です。
なんでかなぁ、といつも思っていました。
するとMIFさんが「右岸は、酒匂川の氾濫で島状の中洲がたくさんできたからだろ?」と言うのです。
ああ、多摩川の兵庫島みたいなものか、とやっと気がつきました。
実家近くには一級河川の支流の支流しか無かったので、大きな川の流れにはどうしても私は疎いんだな、と気がつかされました。
ま、酒匂川は二級河川なのですが。
現役農業用水の淵が縁石だけで区切られていて、私が住む川崎市内ではなかなか見られない風景です。
そもそも川崎市内で現役農業用水なんてそう簡単には見つかりませんからねぇ。
上記の写真のような風景も、じつは私にはとても物珍しいです。
私の実家は今も農家ですが、そもそも谷戸田だったそうですし、私が物心つく頃には田んぼは無く、用水路も暗渠になっていたためです。
この辺りで開成町から南足柄市に移動していました。
酒匂川用水と書かれている水門です。
水量がとても多くて、その水音に私はちょっとした恐怖を感じます。
ここに落ちたら、確実に溺れるな、と。
先ほどの水門の裏側。
ここが文命用水(ぶんめいようすい)と言われる用水路。
今日の目的の1つが文命用水と、文命堤(ぶんめいつづみ)です。
この堤や用水路は、田中丘隅(たなかきゅうぐ)という300年前に活躍した地方功者(じかたこうしゃ)です。
川崎市内の二ケ領用水(にかりょうようすい)の中興の祖と言われる人物で、その功績によって文命堤を築堤しました。
私がここまでで見てきたのは、文命堤東堤(通称:大口土手)でした。
すぐ近くの福沢神社です。
境内にいくつもあった文命堤関連の石碑を1か所にまとめたそうです。
新大口橋のすぐ近くにあった案内板。
多分2年以内に周りの植物に覆い尽くされそうな場所にありました。
新大口橋は下部アーチ橋でした。カッコイイ。
新大口橋の上から見た千貫岩。
ん?岩?私には普通の地層の露頭に思えるのですが、岩なのかな?と思いつつよく分かりません。
ここは南足柄市のジオサイトです。
この川は酒匂川で、新大口橋を渡ると山北町になります。
これまで何度も山北町には来ていますが、歩いて町境を踏破するのは初めてです。
岩流瀬(がらせ)と読みます。
川崎市の水道水は酒匂川水系の水なので、わが家の水道水は、この町が水源です。
岩流瀬橋です。
岩流瀬橋のモニュメント。
私には「柿の種」にしか見えなくて、暫く考えてから、鮎?と思い当たりました。
岩流瀬橋の少し上流に、地蔵堂があって文命堤西堤の記念碑がありました。
南足柄市の東堤とは違い、山北町の西堤は場所がイマイチ分かりませんでした。
地蔵堂の先にある堤らしき場所ですが、ここは入っていいのかよく分かりません。
理由は工事現場があるからです。
この刻印も本物を初めて見ました。
几号水準点(きごうすいじゅんてん)といい、一の下に↑があり、「不」のような形をしています。
西堤の記念碑に彫られていました。
明治時代の短期間に、今の三角点のような役割を持つ測量点だったそうです。
現存する几号水準点は少数らしいので、ちょっと嬉しかったです。
さてここから先は、見慣れた足柄平野を離れて、西丹沢の入口辺りをウロウロします。
続きは明日以降の「その2」でご紹介します。