実家に帰るとき、高速を車で走っていると六甲山や海が見えると泣きそうになります。
帰ってきた!と強く思うから。
結婚するまで神戸を出たことがなかった私。
結婚して奈良へ来て、友達も当たり前だけど家族も、みんな置いてきてしまった気分。
結婚してすぐ妊娠してイロイロあったし、何度も流産しかけてほとんどベッドにいた。
旦那さんは朝早くに出て、日付が変わるころに帰ってきて休みは日曜だけで、一人で
長い時間過ごした。
なぜか貧乏すぎて(今も貧乏だけど)電気もエアコンもテレビも付けずにベッドにいた。
若い頃は服があれば幸せだった。
どんなに同じご飯が続いても、ゴハンだけでも服さえアレばよかった。
靴さえあればよかった。
そんな服たちもリサイクルショップに売った。
息子の病院代に使うため。
まだ出産の補助も充実してなかったのでたくさんお金がかかったうえに、入院でさらに
お金がなかった。実家にも帰れなかった。
息子はずっとお腹でしがみついていた。
新婚旅行のイタリアでも出血し、一番ひどかった実家からの帰り、鶴橋での出血。
血が足を伝うのを感じ、意識が遠くなったりチカチカしてる状態で電車に乗り込み
救急車の選択をやめて、一人で通っていた病院に駆け込んだ。
息子は必死にしがみついていた。
しがみつきすぎて、出産のときはなかなか出てこなかった。
出産のときも大量に出血をし、後遺症なのか2.0あった視力が半分以下になった。
出血続きの初めての出産だった。
息子の子育ては大変だった。ちっとも眠らない赤ちゃんで私もよく泣きながら子育てを
していた。
でも寂しくなくなった。
大変だけど大変なだけで、うれしいことも面白いことも毎日の生活の中にいっぱい
ちりばめられていた。
娘が生まれ、さらに大変で自分の時間もほとんどなくトイレの時間も時短を目指す生活
になってしまったけど、息子と娘は不器用でぐうたらな私でも少しは普通の主婦らしい
生活を与えてくれ、友達を作るのがヘタな私にママ友も運んできてくれた。
今日私の母の手術でした。
家族を失ってばかりだったのに今度は家族が増えて、またなくすのが怖くなった。
手の手術だけど全身麻酔で、昔、母の妹が手術の麻酔かはわからないけど拒否反応を
起こして亡くなったので怖かった。
病室で12時間近く息子と娘と過ごした。
子供たちは仲良く我慢して過ごしてくれ、手術も成功して術後も順調。
ぼんやりと病室でいろんなことを振り返る時間ができた。
改めて大切なものを確認したような気がした一日でした。
友達や家族に支えられる日々。
子供は確かに育てているけど、子供も私を育ててくれる。
家族があるから、がんばれる。
友達がいるから今がある。
みんなありがとう。
二人で病院のイスで母を待つ姿