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Rikoの再建日記~気ままな恋文

病期3の乳がんから自家組織再建、リンパ浮腫治療、抗がん剤後の薄毛治療など、心身共に毎日が昨日からの再建って感じの日々♪

ピンクリボン月間ですね♪

2011年10月02日 22時23分04秒 | 乳がん

 

いつの間にか、どこもかしこもピンクに染まるこの月が、また来ていた。

この夏、BCSC(ブレストキャンサーサバイバーコーラス・つまりは、乳がん患者さんだけで結成されてるコーラスグループ)のステージを東京に観にいったことは7月に記事にしたけど、そのBCSCが今度は東京都庁前で、

歌ったそうで、その映像がピンクリボン月間を広めるニュースのメインとして放送されたようだ。

テレビでのそれを見逃したかたの為にこちらでその映像をみれますよん

懐かしいオレンジのTシャツ姿の彼女達、野外も気持よさそう!

なんだか、どんどん活躍の場が広まっていくようで、頼もしいね~~

私も行きたかった~~


カテゴリーの壁

2011年07月26日 10時45分36秒 | 乳がん

 

なせだか、「着物のコレクション10年史」などいう、自分好きの私まる分かりのカテゴリーを作ってしまったのもだから、その10年のうちの、一番大切な、乳がんと関わっていたときの事、その時の思いなど、本来、「乳がん」のカテゴリーにて書くべきことを、ここで書いてしまった。

それは、年齢ごとに区切って、その歳のことを思いだしながら、触れていった為でもあると思うのだけど、生活の直ぐ隣にある着物という趣味だったからこそ、告知のことも、抗がん剤治療の事も、術後の思いも、必然的に関連して書けたのかもしれないとも思う。

いずれにしても、ここを訪問してくれる方のほとんどは乳がんと今闘っている方や、一息入れてる方などなど・・・・・

乳がんのカテゴリーを見る方は多いと思いますので、

その記事と、その補足の記事だけ、ここで、リンクして、すぐ読めるようにしておきます。

42歳の私

43歳の私

44歳の私

ちょっと補足、乳がん術後の気持ちの波と再建 これは「42歳の私」に関する補足です。

 

これらは、今だからこそ、また冷静に落ち着いて、その頃の自分を振り返り、書けたと思います。

私の、乳がんからの、良い意味での、気持の整理になったかな~~と書いた本人としては思ってます

気になる方は見てみて、下さいね~ 誰かの、いろんな意味での鏡になるかもしれないしぃ~~

 


東京熱視線~その2

2011年07月18日 17時03分36秒 | 乳がん

 

さてさて、東京2日目の事。今回は、あえて謎形式で書いてみましょうか!!うきゃきゃ~~、このブログをずっと見てる方なら、この登場人物はきっとすぐに分かるでしょう!

 

2日目の東京は、人生で初めて、男の人の妙な気持ちを体験した。

その日は、初めて会う女性をホテルの部屋にて待つことになった。妖しい・・・・・・・大人の感じ。。。うひひ

で、待つことほぼ予定時刻にその女性(人)は現れた。

ピンポ~~ン

カチャ

「あ、初めまして~~どうぞ~~」と招き入れた女性(人)の後ろ姿に熱視線。この女性(人)が「あのPさん」なのね~~~

と。

「あのPさん」の「あの」の中にはそりゃ~~色んな意味があるのですよ~~

知的な、本音の、優しく、強く、お茶目で、熱く、可愛く、涙もろく、おもしろく、怒りは妥協せず・・・・・そして私とどこか似てるあこがれのお姉さんで・・・・・・

そしてそして、「夢叶う」お守りを贈ってくれたサクララ仲間。

スカイタワーが見れるお部屋なのに、カーテンを開ける事も忘れ、ダウンライトの照明の中・・・・・しかし・・・・・

2人そろえば、既にかしましく、妖しい雰囲気は一瞬で消え、ぺらぺらとお喋りが始まった。

そもそも、なんで、ホテルの部屋に訪ねてもらうかという展開になったかというと、Pさんには再建のとき、そのお守りも頂いたり、ホントに、精神的に支えてもらったな~~という思いから、一番に写真も送ったのだけど、どうしても実物を見てほしくって・・・・・きゃは~~自慢したくてぇ~~

で、それには、お部屋が1番いいでしょうと言う事で、チェックアウト前にピンポーンとなったのです。

私も、自分の胸ばかりは見せてませんよ!

Pさんの事もしっかりチェック 常に熱視線さ~~

おぉ!!ペディキュア、綺麗やなぁ~~足の指長い!白い!

ホ~、オレンジとはいい色やにゃ~

肌、きめこまかいやん

年齢不詳やな~~

などなど、これ以上書くと、物凄い回転頭脳で逆襲されそうだから、止めとくけど、総まとめすれば、普通の奥様というより、ジャーナリストとか、評論家とか、そんな職業の方って感じかな。でも、かわゆいそこが奥様っぽい一瞬の横顔。

 

ま、そんな事思いながら、無事、胸も自慢し、それから、ランチへ。その間ももう、どういう関係って思うと困るくらい、人生の先輩ではあるのだけど、ずっとお友達のように喋り続けてたかなぁ~~

で、サバティーニにてランチ。

美味しいものは気分もシアワセにしてくれる。

で、気持も緩む。

で、ホロってしちゃう。これはやっぱPさんマジックなのかな~

私は美味しいものと柔らかなまなざしにつつまれて、グッときてしまったさ~。その内容は一室で起きた事より濃厚なので内緒

 

という事で、2日間の東京は、今回は、熱い、熱い、この夏の日差しに負けないくらいの熱視線の日々。でもその先に涙という綺麗な水を宿してくれる

優しい熱だった。 2日間で出会ったみんな~~ありがとう!!

 


東京熱視線~その1

2011年07月17日 20時53分20秒 | 乳がん

 

今回の東京行きの目的の1日目は、

ゴスペル界のゴットマザー亀渕友香&VOJAのコンサートでBCSCが歌う、その雄姿を観に行く事でした。

BCSCとは、ブレスト・キャンサー・サバイバー・コーラスの略。

つまりは、皆さん、乳がん患者。ってことは、多くのお仲間が参加しているってこと。そして、何より、その中にずっと告知の頃から私を支えてくれた掲示板の管理人のHANAさんも参加という事で、こりゃ~~~行くっきゃないでしょ!何時会えるか分からないし、もしかしたら、会う事もないかもしれない人だから、この機会を逃したくなかったの~~

で、そりゃ~~~もう、この場合は嵐でも韓流でも同じレベルで超~~~熱視線さ~~

ステージかぶりつきの2列目の席ほぼド真ん中から、「HANAさ~~~ん」と声援を送り、追っかけのように一緒にステージに立つびびさんにお願いして、プレゼント(ほんの気持ちですがね)を渡してもらい、それでも、舞台終了後は待ち伏せしてツーショットを撮るはで、わたしゃ~こういう時は、節操が無い!

ってのはHANAさんに失礼ですね。大阪から参加ということでそこらへんは燃えるのです!

なんていうか、うちは、夫婦であのサイトには助けられたと思っているのです・・・・・・私は自身の世界を広げながら病気も乗り越える力をもらったし、彼はそんな私を喜び、その自分ではどうしようもできない部分を埋めてくれ、15年も運営している事への、サイトオーナーに対する畏敬の念というのかな、当時は私が見てない時、彼はまた別で見たり、一緒に見たりもしてましたので。そんなんで、単純に感謝の思いと共に、ちょいと興味もあるといったところでしょうかね。簡単にいえば、単なるファンだったりしてぇ~~~結局ね まぁ、男子ですから~~ 

そんな事で、HANAさんはもちろん、他にステージに立つ方達の中には、やはり共に辛い時期を乗り越え、声を掛け合った仲間もいっぱい!!

皆、み~~んなの応援をしたかったし、その姿を観たかったので行ってきました。もはや、大阪からパワーを送るという段階では私の行きたいパワーはおさえられなかったのよん

私が歌うなら完全に反対するであろうダンナッチも快く送り出してくれ、16日東京入りとなったわけです!

ここまでで、長っ!

 

さてさて、歩きましたよ~~~

今回、東京駅直結のメトロポリタンに泊った私は、なにを血迷ったか、フロントのお姉さんが、ここの地下から1本で直結で現地、住吉に行けるというので、

なら、わからないとこタクシーよりいいわねと地下へ。しかし、行けども、歩けども・・・・・・・東京駅の地下のはずが、考えてみれば駅名が違う

大手前!!

ハァ~~~~慣れない事はするもんじゃない。ふらふらになりながらも、東京メトロの記念すべき節電元年を堪能したさ~~

で、一人で、無事到着。

まこつまさん、MIYUさん、猿渡りりこさん、バナナさん、あーちゃんさんと合流して、イザ、お楽しみの舞台へ

もう、素晴らしい!!

歌の力。

人の力。

これが一体となって、歌詞が物語としてグッと入ってくる。泣けそうになったけど、堪えた。

なんせ、熱視線がぬるむと困るからね~~~

皆、素敵だった。昔、なにかの本で、誰かが、売れる歌手は歌ってる時の顔がいいのが第1の条件と書いてあった記憶がある。

歌う時の顔はエクスタシーの顔に近いのだと・・・・・その表情がいい顔だと売れるのだと。

エクスタシーとは、別に性的快楽だけでなく、心情の興奮もあるとおもう。楽しいさを越えた快楽=エクスタシー。それが放つオーラ。そんな表情を舞台の上の仲間たちはしていた。全身でしていた。

美しかった。

私の視線はまさに、熱視線。

感じていてくれたかな~~~

オレンジのTシャツがまた新鮮で爽やかな感じのBCSCの皆さん

中央が亀渕さん。

会場も2階席まで一つになって、素敵な夜だった。歌ってすごいな~~。

その後は、またまた皆さんで乾杯ステージにたったびびさん、月JUNさん、りょうさん、と合流しておおいに盛り上がり東京1日目の夜は更けていきました

 

 

PS

私ね、スンごい音痴なんだけどぉ・・・・・・大阪ですることあったらダンナッチに内緒で参加しちゃおうかなぁ・・・・・・

迷惑かなぁ・・・・・・

でも、あんな顔して歌ってみたい。皆と。

 

東京熱視線~その2はまた続く

 


今日は鰻サラダ

2011年07月11日 19時57分39秒 | 乳がん

 

題名にふさわしくなく、カテゴリーは乳がん。

今日は乳腺の外来だった。再建とかでずれてしまったけど、一応術後1年半検診?もう、1年8カ月たつけどね。

で、こんなに気楽に鰻を題名にしてるくらいだから、問題無し無事、クリア。

 

しかし暑い。ふらふらしながらも、帰りは梅田に出て、ランチ。

エスニックチャーハンを食べた。これ、けっこう、よく食べる私の定番。

 

それで、夜はどうしよ~~って思って、面倒な時は決めているメニューが鰻。

この暑さだしちょうどいいね

だけど、うな重までは私は食べる気にならず、鰻サラダにしました!

食べながら思ったんだけど、鰻以外は、エスニックチャーハンと食材がまるかぶり

ズッキーニ、パプリカ、なす・・・・・・・・

今日の栄養はパプリカで採ったような気がするわ~~

ま、そんな穏やかな1年半(8か月)検診でした。。。一応プチ記念日はサラダってことで・・・・・・

さて、11月後半には、てんこもりの2年検診のスケジュールがくまれた!これは、勝負だなそんな感じのスケジュールだわ

 

そそ、再建の胸はマンモしないと聞いて安心したわ~~~


サクララ三都物語~大阪

2011年05月17日 19時08分54秒 | 乳がん

今日はおなじみの地元大阪サクララの、くりりんちゃん、かなちゃん、ちかちゃん、くるみさん、

京都よりナビさん

神戸よりみっちっち、と初めましてのあらしっくさんが新しくなった大阪ステーションに集合でまさに三都物語

 

8人というのは、久々大人数という感じの「オフ会」でした。ってか、初めましてのあらしっくさん(改めナコさん)が新鮮な空気で「オフ会気分」を運んでくれました

この頃はすっかり「女子会」的だったので・・・・・・

やはり、ネットの中でのやり取りを繰り返した後、初めて会うというのはドキドキだ~

特に、私はあらしっくさん(改めナコさん)には、この再建ブログを通して、入院中にも、いろいろ励まされて、感謝感激さ~~の関係だしぃ~

今回は大阪ステーションを横から見渡す感じのハービスでローストビーフランチ

本場アメリカ仕込みの方がテーブルまで来てくれ一人ずつ丁寧に切り分けてくれます

う~~ん、美味しい

デザート、サラダ、パンなどはビュッフェで食べ放題!皆さん、お酒も傾けながら、何か新鮮な感じ。

平日の昼間っからこんなほのぼの笑、食事をして、それだけで、十分なキャンサーギフトかな~

始まりは乳がんだったけど、今では皆、話題も病気のことはほんのちょっとで、それぞれに新しい日々の出来事がおきている。そして、それぞれの都合でそれぞれの生活へと戻っていく、とても爽やかで自由な関係。お互いが、そんな普通の日常がある事を認め解りあっているのよね。そして、それが一番大切な事も知っている。心地いい時間の共有。

今、一番しんどいであろう治療中の方達も、そう遠くないうちにこんな日がくることを描いていてほしいな~それが、病気で出会った人とのこうした楽しいオフ会の記事を書く、一番の目的って事を今日は感じました。

告知当初はずっと・・・・今も時々寄せてもらっている、掲示板から始まったこの縁。そのお世話になった掲示板で、今、辛い日々を過ごしている人にかける言葉は色々あるけど、何より、こんな日が来る事を伝えたい。それが、「オフ会」というものの、ずっとずっと奥にいつも佇んでいる私達の指標のような気がするだから、やっぱこの記事のカテゴリーは「乳がん」にしようと思う。

 

しかし・・・・・・久々の肉って感じは、夕飯時の今でも満腹ちょいと運動しなくちゃ!きっちり細い皆さんにそんな刺激を貰うのもオフ会の魅力ね

皆、痩せてる!!これは病気関係なく、いくつになっても頑張らなくっちゃね。


ハーセプチンをありがとう

2011年05月12日 21時36分56秒 | 乳がん

私の術前化学療法は2009年だった。

今から2年前。でも、術前にもかかわらず、ハーセプチンを使った。

先日、そのハーセプチンがようやく術前補助療法として公知申請されたようだ。

それを見れば、術前のハーセプチンには、化学的な根拠に基づいて、有効性と安全性があることが改めて確認でき、それをしてきた私としては本当にうれしい。

もちろん、いままでも、これは効いてないのでは?などの懸念や心配の思いは1度もなく、術前に出来たことに心から感謝している。そして、きちんと根拠つけられたことが嬉しい。

ただ、これから、この公知申請によって、もっともっと救われる命の時間がある事を嬉しく思うと同時に、2年前にそれが出来た私の幸運を、出来ないでいた方たちの分まで抱きしめていかなきゃ、と強く思う。

(これも私の一つの巡り合わせ・・・・病院との幸運な巡り合わせだと思う。告知当時、術前にハーセプチンをしてくれるかどうかで病院を選ぶ知識はなかったのだからからね。)


抗がん剤の副作用続く

2011年04月29日 23時49分23秒 | 乳がん

先日の記事で足の痺れがあるとちらっと書いたのですが、それは抗がん剤の副作用ですか?とのメッセージがありましたので、

ちょっと書いておきます。

私は、FEC4クール、その後タキソテール4クールの抗がん剤でしたが、終了してから、もう1年半たちます。

でもね~~

タキソテールにはホントやられたわまぁ、ガンには効いてくれたと信じてるけど、副作用は酷かった。

浮腫みで7キロ水分がたまり重さで歩けなくなり車椅子生活も一時あったし、そのお陰で、浮腫みが引けるまでの1カ月オペは延期になった。

その間、飲む利尿剤ではびくともせず、ラシックス(利尿剤)これを4本分点滴していれてたな~~ 今思うとおそろしかぁ~~

それで、一気に2キロおとし、また翌日には増えてって感じで徐々に減らし1カ月を過ごし、なんとか、オペをしたけど、今でも浮腫み体質で、足はとくに5%~10%は浮腫みが残っている気がする。

で、その浮腫みと同時に手足のしびれも酷かったのだけど、こちらも、いまだに5%~10%はしぶとく残っている。

この痺れは足の方が酷く、今でも、その日によっては当時にちかいくらいジンジン熱くおもだるい日がある。

気にならないような日もけっこうあるのだけどね。

まぁ、そんな感じでけっこうタキソテールにはやられた・・・・やられてる!?感じさぁ~~

いまだに副作用という表現がいいのかどうかも解らない時間が経過してるけど、後遺症とも言い難いしね。

まぁ、気長に、2年、2年半とお付き合いしていこうと思ってまっす!たま~~に気になるってくらいの、生理と引き換えのブルーって感じいやいや、こういう自虐的表現はよしまひょシアワセなことだらけのツケだと思って付き合っていくわ~~

少しくらい何かなきゃねぇ

ちなみに、薄毛。これだけは許せないわ!!妥協なしに、とっととおさらばしたい~~たのむ~~

 

 

追記

きゃはは~~、私が薄毛と書いたら、その下の広告(勝手にはいるのだけど)そこで、薄毛解決療法の広告が出てる!!

なんか、見透かされてる感じね。なめられてる感じもするなぁ~~。痛いとこきたなぁ~~。これ、日替わりなのかなぁ~?

しばらく、この広告チェックしよう!


雨の京都

2011年04月22日 20時41分44秒 | 乳がん

前の記事でも書いたように(続きになりますが)・・・・・・・・・

 

雨が悲しみと戸惑いを一層深める感じの今朝、京都へ行った。

お昼までは、まったくの個人的な用事があり、そのあと、偶然にもこの日京都で地元サクララのナビさんの呼びかけで、おなじみの大阪サクララさんたちがランチをする事になっていて、ティータイムから合流させてもらいました~

ナビさんとは、初対面!緊張しつつも、きっとそんな風には思ってもらえないでしょうね~~ってほどペラペラお喋りして・・・・・

でも、お陰様で、気持はすっかり晴れ気分(特に私は・・・きゃは!)

やはり、具体的に多くを話題にしなくても、それぞれ昨夜のニュースの事は気になって影をおとしていたと思う。

そういう時こそ、こうしたお仲間と会い顔を見て語らう機会ができたことは、心の安定には何よりだった。

雨の京都で、私達は・・・・・少なくとも私はすっきり朝のもやもやを流してもらった感じ

 

ナビさんのナビで←あ~~ナビさんのハンドルネームはそういうこと京都らしい抹茶チーズケーキのある、ほっこりしたカフェでそれぞれまったり気分 でも、口だけは休みしらず。

ナビさん、かなちゃん、みっちっち、ちかちゃん、今日も素敵なお仲間に感謝

 

追記

私は今月、3回も京都にいったけど、3回目の正直じゃないけど、今日は、当りの日となりました。映画はダメだったけど、サクララはいつでも決めてくれるぜい

 

 

 

 


雨の朝

2011年04月22日 20時41分13秒 | 乳がん

昨日の深夜に飛び込んできた、田中好子さんの訃報。

先ずは、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

子供の頃から親しみ、今でも身近な女優さんとして、一ファンとして、本当に、一瞬声が出ない驚き、悲しみにつつまれました。同じ病気というのも、そんな気持ちの多くを占めていたのかな。どうぞ、安らかにと、祈るばかりです。

報道では「乳がんで死亡」とだけで、その闘病生活や、病状の変遷、治療内容など、ほとんど書かれていない。

これらは、正に個人情報そのものなので、それはご遺族の思いなど、公に報道対象には出来ないのも、充分わかる。

でも、これだけ、乳がんの罹患患者が多い中、「乳がんで死亡」という大まかそれだけでは、少し乱暴な気がすると思うのは私だけかな・・・。

もう少しだけ、乳がんというものの性質が多様な事も、社会のいわばピンクリボンの一環というレベルででもそれぞれの報道機関・ジャーナリストが意識と知識を持っていてくれるだけで、少しだけ違う、ご遺族にもご本人にも非礼にならず、今現在の罹患者にも戸惑いだけを残さなくてすむような、厚みのある記事がかけるのではと思ってしまう。解って書くのとそうでないのは、同じ1行でも、その深みは違うものだと思う。そして、それはひいては、今は乳がんでないけど、これから告知を受ける人やその家族にとっても、「乳がんと死」というものの距離を正確に理解することに少しだけでも資することになるのでは・・・・・・と、自分が乳がんだからだろうか、こうした有名人の訃報を目にするたびに感じている。

 

そんな、心の沈みを描くように、今朝は雨だった。

そんな中、京都へと、出かけていったのだが、その事は、この記事とは別に書きたいと思います。

 

 

 


ウィッグ活用大作戦!!

2011年04月12日 13時50分23秒 | 乳がん

またまた、タイソウな題をつけてしまいましたが。

今日、HANAさん、ポーさんのところで、被災地のがん患者さんにウィッグとケア帽子を送りたいというJ-CAN(がん患者団体ネットワーク)

の呼びかけが記載されていた。

私はそういう情報に疎いので、本当に助かる。

私は、ウィッグあれこれ という記事(実際きもので付けている写真を載せてます)でも書いたけど、ショートのウィッグをもう抗がん剤も終り自毛でもいいかな~とい段階で,

きものを着たいという思いで買った。結局3~4回しか付けておらず、これをどうしようか?どこかに寄付したいけど・・・・・・

と思っていたところで、正に、ナイスタイミング!!

さらに、ケア帽子も抗がん剤当時のものは使いはたしていて処分したのだけど、ちょうど先日の再建の入院でドライヤーを忘れ、

イケメン先生もいたしぃ~~、急遽売店で買ったものがあった。こういう場合、袋に入ったまま試着ができなく、私は「大人買い」で3つも買ってしまう事になる。

で、使ったのは、1つだけ。なので、2つは新品のまま!!

まさに、今回の呼びかけは私にピッタリ

早速、梱包して、今無事に発送しました

まだ間にあうと思いますので、ここをご覧の皆さんで、私のような人がいればと・・・・・・私も記事にしました。

昨年の夏、私にきものを着る楽しみをくれた、ウィッグ。今度は、被災地の誰かの気持ちを少しでも癒してあげてね

 

 


三月の縁(えにし)

2011年03月28日 12時37分20秒 | 乳がん

昔はね、三月ってあんまり好きじゃなかった。肌寒さだけが、中途半端な挫折と切なさだけを刺激して・・・・
桜の蕾も素通り、陽射しと風に舞う花びらより、夜の青山墓地の桜の方がぞくぞくして心落ち着いた。

そんな小娘だった。

それから、いくつもの春がきて、

乳がんになった私はそんな三月に深い縁(えにし)が出来た。

今は陽射しの中に揺れる満開の桜を眩しく美しく愛の形を描き重ねる心がある。

そんな桜を待ちわびる三月。私の三月の縁(えにし)。

 

3月は術前の抗がん剤を始めた治療開始の月。そして脱毛の月。2年前の事ね。

明日から髪が抜けていくっていうその日に、支えられるようにそっと桜の蕾を見に行った夜。

2回目の投与は白血球が足りず延期になったなぁ。その帰り路、大川のほとりにより、帽子のひさし中の瞳で満開の桜を見ながら

貧血で倒れたっけ。(延期になるくらいなんだから、とっとと車で帰ればいいのに、あの頃は、あぁ、さ・く・ら・・・もう桜なんてぇ~よょ・・・って感じさ~)

で、屋台のにおいに吐き気までしたっけ。そんな乳がん治療の日々だったなぁ。

私の術前ケモが順調に進めば、その1年後の3月(つまり昨年)に放射線が終わるなんていうスケジュールにはならなかっただろうに・・・

副作用でオペが延期になったりなんだかんだで、放射線を終了したその日は3月3日。

そして、春の訪れ という記事でも書いたけど、1年前の今日3月28日は東京でマチ桜のオフ会のあった日。

私が再建をしようと決めた日。不思議なめぐり合わせと必然を感じる。

その日から1年。私は今、再建手術を終え、笑っている。

でね、ちょっと記念撮影!

どうせだったら、昨年3月3日の放射線終了の時に撮った写真と比べたいから、同じかっこうで撮ってみちゃった!!

ビフォアー・アフターね

これが、昨年3月3日。髪はやっと出てきたってレベルね。

放射線のマーキングもそのままに最後の照射を終え病院から帰ってすぐにやったぁ~~!の記念撮影よ。首も肩先も、見えないけど当然胸も、赤黒く焼けていたわ。ここはその後、頑張ってシスレーつかって綺麗にしたのよん

それとリンパをカクセイした脇のくぼみも気になっていたところ。ここにくぼみがあると、洋服着ても襟がゆがむの。どんなに胸をパッドで補整しても、ちょっと響くのよね。きものもそうだったなぁ・・・・。

まぁ、この頃はそんな事も思い至らないほど、とにかく終わったことにほっとしていたんだけどね。

 

そして、「再建をしようと決めた昨年3月28日」からちょうど1年の今年の今日の私。

特上ユンケル様のおけげで、何とか写真とってもいいか~と思える体調さ~~

今日は再建手術からちょうど3週間目。これも小さな偶然ね。

まだ少し腫れているし、体調悪かったせいか身体全体に浮腫みもあるけど・・・・キズが見えなければどっちがオペした方か分からないくらいでしょ~~

気になっていたリンパカクセイの後のくぼみもかなりフォローして頂きましたよん!それが解るように首を傾けたつもりだけど、ずるずるクッションのほうへと・・・全体に傾きすぎや!腹筋はありますよん

髪の毛は、伸びない!薄い!といいつつ、そりゃ~1年たっているのですから、なんとかやっぱ比べれば伸びているわさ~~ 比べてみて少しは安心した~~普段はきずかないものね。

そんなこんなで、毎年、これからも、この三月を笑って生きていきたいな~~って、思う。

三月はいつの間にか私の好きな月になっていた。

 

みんなが、桜の蕾に夢を見れる・・・・・・そんな三月を。

この2年を越えた今年、岡山という地で再建した。再建の術後の中、命の鼓動を聞きながら目にした東日本の大災害の惨状。一瞬にして失ってしまった命の重さと儚さ。動揺に包まれながら聞いた血流の音。その間に交叉した私の思いもまた、私がこれから生きていくための貴重な経験として、いつの日かあの眠れぬ夜も前向きに受け止められるよう、この身体と心のひだを大切にいきたい。

この蕾が綺麗にいっぱいに開きますように・・・・・

 

 

 追記

再建術後3週間目の今日は、まだイナバウアーのポーズはとれませんが、ラジオ体操の「大きく息を吸ってぇ~~」のポーズくらいならできるようになりました。くりりんちゃんがお見舞いにきてくれた時はまだおばあさんのように、腰をかがめてちょこちょこ歩いていたのにね

 

 

 

 


煮込みうどんは深いアイ

2011年03月23日 23時01分19秒 | 乳がん

今日は名古屋から、乳がん・再建同期仲間のゆうたんさんがお見舞い(もう祝福かな)に大阪に来て下さいました

 

もちろん、ゆうたんさんはお仕事の勉強会が夕方からあるので、それにかけて来て下さったのだけど、

それでも、大阪へとなった時、ならば蒔絵リコに合いたいと思ってくれる気持ちが本当にとても嬉しい

(アタシはとりあえず、通天閣よりも、タコ焼きよりも勝ったわけよ!少なくとも対ゆうたんさんではね!きゃはは~~)

 

ゆうたんさんは、乳がんのオペの時や、何かの節目には必ず、心優しいエールをくれた。

今回は再建という節目での来阪だった。

彼女も今、エキスパンダーで再建途中。これまで頂いた沢山のエールを今度はお返ししたいな~

乳がん仲間は、なんでだろう・・・・・とてもアイが深い。それは、きっと、きっと、この病気がもたらす負の作用が、同じ経験の人に

対してのアイへと変化するのだろうな~と思う。

負とは・・・・・・・・・・・・やはり乳がん独特の一見人体機能とは関係ない胸の喪失であったり、その胸というものの特別な世間の感覚とのそれぞれの温度差であったり、薬でつくられる更年期症状であったり、長い治療期間であったり。その事で向けられる理解のない視線であったり言葉であったり。

やはり、ゆうたんさんも、再建を思い決意するまでには、重い出来ごとがあったことを話してくれた。

みんな、みんな、それぞれに痛みがあったのだなぁ、と。苦しくなる。

だから皆とても優しく、深い絆を感じるのだろう。

同じ経験は、経験者でなければ分からない思いを共有することで強い力を持つ。

今、乳がん患者はとても多い。だからこそ、強い力となって乳がんを取り巻く医療を始め、未来に希望を感じることができる。

 

 

今、沢山の同じ経験がこの国に溢れている。だからきっと強い力となって未来に希望を・・・・・・希望を感じたい。

 

ゆうたんさんがお土産で持ってきてくれた名古屋の煮込みうどんを食べつつ

う~~ん、深いうどんも味噌も、人の気持ちもアイも深~~く熟成させたものは絶品ね~

と思う今日の蒔絵リコちゃんでした。

 

しかし・・・

私としたことが、せっかくゆうたんさんが名古屋から来てくださるのに、なんと!お土産用意するのわすれちゃってぇ~~

完全、入院ぼけ。写真も撮ってないしぃ~~

まだまだ、世間様においついてないなぁ~~。とりあえず、今日はガンガンサクララトークでちょっと頭がクリアになったかなぁ~

ゆうたんさんは、今頃ギンギン夜の大阪を堪能中かしらん

 

ふかふかベットでゆっくり眠って帰ってね~~

 

ちなみに、

ガンガンサクララトーク。これ、例によって再現不能でっす!再現してたら腕腫れるわ・・・・・ 

 

 


忘れられない言葉~夢叶守

2011年03月03日 20時35分13秒 | 乳がん

出来る事なら・・・・・・

出来るだけ長く健康に生きていければ、それに越したことはないのかもしれない。

 子供や孫の成長もみて、楽しく、暖かく、笑い、悩みや嫉みや、不の気持ちから開放されて、穏やかに、そして少しだけアクティブにずっと、ずっと・・・・

永遠の時間の中を泳ぐように、長く生きたいと思うこともまた、

多くの人の願いではないか、とは思う。

でも、大きな病気をし、周りにも大病をした人がいたりすると、そんな風に願う気持ちを持ち続けることも、ちょっとだけ辛くなる。

というか、別の気持ちに変わる柔軟性っていうのを、人の心はもっているのかもしれないなぁ。

 

 乳がんになって治療を続けてきた中での私の心の変化。

長く生きること(のみ)にそれほど執着はないの。(あくまで、それほど・・・ね、で、この長くってのも抽象的な意味ね)

 ネガティブな思考ではまったくなくて(←ここ、分かってね。)自分の病状をしっかり把握した時から、
再発・転移というのは、こころのどこかで覚悟している。その先の最悪の事態も想定しておかなきゃ、「絶対無い!」なんていう一方向だけを信じていても、
その方がきっと苦しい。
だって、前向きってそんな良いことだけを想定することのみとは限らないと思うし、、最悪を想定して、その時でも向き合う気持ちも、また一つの前向きだと思うから。

私には、再発・転移も充分あり得るのだ、その思いを片隅にでんと陣取らせて、
その上でさらに今を、その後を楽しまなきゃ、そりゃ~いざって時、うろたえるだろうけど(再建手術前でもうろたえているくらいですから

それまでの時間充分に私らしく弾けた。そして、頑張ってせいいっぱい充分闘った!

その思いを支えに次のステージにいける気がする。

 

次のステージ・・・・・

さて、冬仕度かな。時には木漏れ日の暖かな日もあるさ。
嵐の時は側にいて。静かな時間は二人で同じ夢をみてるのかな。
このごろ、よく寝るね。
そんな、人生の最終章の幕が上がるまでは、私らしく、私が大好きな綺麗な生まれた時の私の姿のままこの人生を謳歌したい。そうすべきなんだ!
乳がんオペ後、ずっと忘れていたはずのある先生の言葉が何度も私のこころを過った。
それは、同時再建をお願いしていた先生(正輝)の、最後に手術をどうするか決断をする時の診察の際の言葉。

(注意)私は今の乳腺の主治医、最初に見てもらった彼の事をブログでは達也と呼んでいます。

同時再建をお願いしていた、いずれ私の主治医となるはずだった大学病院の先生のことをブログでは正輝と呼んでます。

  
以下、その頃の忘れられない正輝との会話。

正輝は言った
「確かに、蒔絵さんの状況では、同時再建はあきらめ、先ずはきれいに、全摘をして、胸筋内の腫瘍をできるだけ綺麗にして、その後放射線で叩くというのは、正しい判断です。達也先生は間違ってませんよ。
でも、これは、ちょっとあえて言わせてくださいね。」

正輝はとても穏やかに、私に膝を合わせて話してくれた。

「前に、僕の患者さんで・・・・同時再建手術から結局1年半で旅立ってしまった方がいました。その彼女は、僕の手をしっかり握り、最後にね言ったんです、

「先生に綺麗に手術してもらったから、喪失感も自分が乳がんであることも忘れて、楽しい1年半を生きれました。ありがとう」
と。」


正輝は多くの乳がん患者を見てきた中から、人間として、女性として、ありのままのうまれたままの姿でイキイキと残された時間を過ごすという生き方もありなのですよ、と。それだけ、喪失感というものは人によっては深い闇の時間になってしまう事があること、乳がん患者を何千人も一番側で見て知っているからこそ、私にそんな話をしてくれたのだと思う。

これはあくまで、その患者さんの話で、私の余命が1年半とか2年とかそんなことをいってるわけではまったくなく、ただ、そう楽観もできない病状の中、この感謝しながら旅立っていった彼女の生き方、価値観に近いものを私が持っているのではと、
正輝はそれまでの私の診察の中から感じていたのかもしれず、医師としてはギリギリの判断でお話ししてくれたのでしょう。
そんな、正輝の話を有難いこととうけとめ、それでも私は、当時、同時再建を諦め、先ずは命をえらんだ。全摘・放射線と何でもしようと。

しかし・・・ 術後、何度も、この見も知らない、正輝の患者さんが私の脳裏に出てきた。 1年半、きれいなまま、明るく生きた、何より乳がんであることを忘れるほど綺麗な胸を、手術と同時に手に入れ、自分が病気ということと決別しながら、生きた時間。彼女の1年半。 私は自分の手術後ずっと彼女のことを思った。 あのとき正輝が話してくれたこと、
あの頃の自分は死なんて、怖くて考えられなかったけど、現実に胸を無くした私は、自分が乳がんだと思い知らされた。

喪失感って、胸そのものでもあるけど、健康だった自分の喪失でもあった。現実の姿がリアルに私に病気の現実を知らしめた。


あの時の正輝の助言が自分らしく生きるための選択のきっかけを作ってくれたと思う。 長く(ここは何度も書くけど抽象的な意味です)生きなくても、私らしく、充実の時間を大切に生きたいと思う私がいる。   

術後1年検診をクリアして、放射線をあてた私が再建が出来ると確信したとき、先ずは早くしたかった。

それは、より私らしい時間をすこしでも多く、生きたいから。だから、なんだかんだ色々書いているけど、やっぱり7日のオペは待ち遠しい。

この日にオペを決めたのは、放射線終了1年は最低再建までの期間を空けるというセオリーを守って、そこから逆算した最短の日なのです。

放射線終了が昨年の今日3月3日。その4日後を私はオペの日にした。それだけ、早くしたかったて思いなの。

この3月3日の今日きちんとこの思いを書けて良かった。ホントに良かった。

 

それでぇ~~~こんな殊勝なこと言っていて、

再建して、調子にのって自分が乳がんであることとか忘れたら、全然長々と生きちゃったりして

 

私はそういう女子です。

 

きゃはは~~~ 

平均寿命を楽々通過して、通販のゴムズボンをご愛用しちゃってたりしてぇ~~~

 

 

本当に・・・・

あの時、命を優先して全摘を選択し、やるべき治療をしたからこそ、今、正輝が話してくれた患者さんの思いにも心から共感できるのだと思う。

私の選択は正しかったと思っていることが、今は誇りかなぁ。

 

そして、そして・・・そんな私に、今日大切なサクララ友人のポーさんから、まさに今の私にぴったりのお守りが贈られた。

「夢叶守」

この3月3日にこれが届いたのは、何か深い縁・・・・・・乳がんと私とそれを乗り越える支えとなってくれたネットの世界で出会った多くの同病のお仲間との深い深い縁を感じます。それはまた、私と乳がんとの運命のような気がする。皆さんとの出会いが私の治療を支えてくれたし、再建への道しるべにもなってくれたし、本当にこのサクララなしでは語れない日々。そしてこれからでしょう。

そんな思いをこの胸にいっぱいつめこんで夢叶えてきますよん私らしく生きるという「夢」のパートナーをゲットしてきます!!

夢叶えますよ~~~~ 

 

さあ!イザ!明日入院してきま~~す!

PS

入院先からも、携帯で更新していければと思ってます なんせ暇だと思うので・・・・・

 

 


ウィッグあれこれ~その2

2011年02月14日 15時43分05秒 | 乳がん
ウィッグの記事で帽子付け毛のイメージが解りにくいと思いましたので、
帽子の中はどうなっているのか、画像をアップします!!

こんな感じ

ネットの部分に髪の毛がぐるっと取り付けられるように、
一緒に売っています。ばらばらで購入ですが、同じメーカーです。でないと、留める場所のサイズが合わないので。

これに、帽子はお好きなものを何でもかぶれるわけです。

夏などは、出かけて、汗をかくと、よくトイレに入って冷たいハンカチで
頭を拭いて、リフレッショして出て来ました!!

鏡をみないでも、感覚でかぶれるので、そういう点でもこれは便利でした

人によっては、前髪も付けたりしている方もいました。
私も一時付けてみたりしましたが、
うざったいのでとりました~

こちらを購入したサイト
↓ ↓ ↓
http://www.withwig.com/