青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

宵山万華鏡

2022-07-19 07:39:56 | 日記
森見登美彦著『宵山万華鏡』

娘が部活で金魚の幻想的なイラストを描くと言って来たことから、久しぶりにこの作品を思い出した。
10年ぶりくらいの再読だけど、結構細部まで覚えていた。
露店の賑わいや山鉾の提灯、黄金色の招き猫、金魚の閉じ込められた風船、髭の大坊主、作り物の大カマキリ、同じ顔をした赤い浴衣の女の子たち、湿度と熱気を含んだ宵闇の空気、万華鏡、水晶玉……孫太郎虫?超金魚?
不気味で、脈絡が無くて、煌びやかで、騒々しい。そんな情景を想像しながら頁をめくるのを楽しんでいた。そのせいで、細部まで覚えていたのだと思う。

現実の宵山と別の宵山。
そこに閉じ込められて延々と同じ日を繰り返す人たち。少しずつ関連しつつも、互いにそれを知らないまま宵山の雑踏を金魚のようにひらひらと行き交う。祭の猥雑さともに、そんな私好みのエッセンスがふんだんに盛り込まれた一冊だ。

「宵山姉妹」
妹は小3、姉は小5。姉妹が毎週土曜に通う洲崎バレエ教室は、三条室町西入る衣棚町にあって、三条通りに面した四階建ての古い雑居ビルであった。
祇園祭の宵山の日もちょうどレッスンがあって、先生からは寄り道をしないようにと言われていた。
好奇心旺盛な姉は先生の言いつけなど守る気はない。往来に出た途端、露店で賑わう雑踏へ踏み出していく。
慎重な妹は姉とはぐれないようについていきながら、懸命に来た道を覚えておこうとする。だが、路地をグニャグニャ歩いているうちに姉とはぐれて、自分がどこにいるのか分からなくなった。
途方に暮れ、しゃがみ込む妹に話しかけてきたのは、赤い浴衣の女の子だった。女の子は妹の手を握り、バレエ教室まで連れて行ってくれると言う。
燦然とした祭明かりの道を女の子と妹は軽やかに通り抜ける。
彼女たちの周りには、常に赤い浴衣の女の子の群れがひらひらと舞うようについてくる。女の子たちは屡々露店で足を止め、林檎飴やベビーカステラを思い思いに取っていく。代金を払わなくても売り手たちは誰も文句を言わない。
女の子と手を繋いでいると、妹は自分の体まで軽くなっていくように感じた。足取りが軽くなるにつれて、頭が痺れてきて、自分が同じ景色をグルグル巡っていることに気づかない。
万華鏡の屋台の前を、妹は何度も通った。同じ角を曲がり、同じ通りを走り、同じ所に戻ってくる。そうやって、渦を描くように歩きながら、妹は宵山の深淵に吸い込まれていく。

「宵山金魚」
藤田と乙川は、奈良県の金魚養殖業が盛んな地域の高校に通っていた。
高1の夏休み前に水路で金魚の観察をしている乙川と話して以来、藤田は乙川と親しくなった。それから10年経つ。
藤田は大阪の大学を出て、千葉で就職した。乙川は京都の大学を出て、京都市内の骨董商に就職した。
藤田は大学時代に二度、宵山の時期に乙川を訪ねたことがあった。
だが、宵山の夜を満喫するのは今年が始めてだ。というのも、乙川は宵山に連れて行くと約束しながら、毎回全然関係のない場所に連れて行くのだ。思えば高校時代から乙川はヘンテコな悪戯をするのが好きだった。藤田は乙川の「頭の天窓が開いたような」ヘンテコさに憧れていた。
藤田は今年も騙されたら自分一人で宵山を楽しむつもりだった。
そんな藤田に、「祇園祭にはいろいろなルールがあるから、慣れない人間には危険だ」と乙川は言う。ルールを破った者は、それぞれの山鉾町にある保存会の人にしょっ引かれ、宵山様にお灸をすえられる。
突拍子もない話だ。
乙川は嘘をつくのが好きで、昔から藤田は格好の標的だった。なので、藤田は今度こそ騙されないぞと思う。
だけど、路地を駆け抜ける赤い浴衣の少女の群れを眺めながら、水路で金魚をすくっていた乙川の姿や彼が育てた「超金魚」を思い出しているうちに、いつの間にか乙川にまかれていた。
そうして、一時間ほど後に辿り着いた駐車場で、見張りの金太郎に見つかった藤田は、禁止区域に足を踏み入れた咎で、「祇園祭司令部特別警務隊」と名乗る法被姿の集団に竹籠に嵌め込まれ移送されてしまうのだった。

「宵山劇場」
四条烏丸の北西、室町通六角近くに住む大学生の小長井は、友人の丸尾から偽祇園祭の制作に参加して欲しいと頼まれた。日当は一晩で三万円。製作費には糸目をつけないと言う。
小長井はかつて不本意な形で学生劇団を引退していた。潤沢な資金と馬鹿々々しくも壮大な偽祇園計画を前に、彼の燃え尽きたはずの裏方魂がうずき出した。
丸尾に依頼したのは、奈良県人会の先輩の乙川だった。
前章「宵山金魚」で藤田が大坊主や舞妓らに担ぎ込まれた幻想的な「超金魚」の部屋は、実は乙川が仕掛けた大掛かりな悪戯だったのだ。
たった一人の馬鹿=藤田を騙すために仕掛けられた偽祇園祭計画は、丸尾、小長井、三条のバレエ教室の講師・岬、高薮という髭面の大男、そして、小長井が劇団をやめるきっかけを作った山田川敦子ら「祇園祭司令部」によって実行に移される。

「宵山回廊」
千鶴の生家は洛西の桂にある。学生時代も就職してからも自宅から通って済ませている。
職場のある四条烏丸の界隈は子どもの頃から通っていた町で知り合いもいた。衣棚町には中学まで通っていた洲崎バレエ教室があり、少し下がった街中の一軒家では画家で叔父の河野が暮らしていた。
宵山の日、千鶴は画廊主の柳さんから叔父の様子を見に行って欲しいと頼まれた。
15年前の宵山の日、千鶴は叔父の娘で従妹の京子と一緒に宵山を訪れていた。そしてその日以来京子は行方不明になった。七歳だった。
千鶴が訪ねた時、叔父は小さな筒を手にしていた。何かと尋ねると万華鏡だと言う。
暫く合わないうちに叔父は老け込んだように見えた。心配する千鶴に、叔父は「明日からもう会えなくなる」と謎めいたことを言う。
叔父が万華鏡を覗くと、そこには宵山の風景が広がっていた。
無数の人波を赤い浴衣の女の子の群れが縫うように走り抜けていく。叔父はその群れの中に七歳のままの京子の姿を見つけた。京子は15年前から毎日宵山を繰り返していたのだ。
そして、その日以来、叔父も毎日宵山を繰り返している。

「宵山迷宮」
父親から継いだ画廊で働く柳は、杵塚商会から「父の遺品の水晶玉を譲ってほしい」と頼まれていた。
宵山の日も、母が朝から蔵を探していたが水晶玉は見つからない。
杵塚商会からの催促はしつこい。柳画廊も忙しいし、一年前に亡くなった父の法事も近い。諦めてくれと電話した方が良いかもしれない。
事務所に入った柳と母は、画家の河野から展覧会の原案が来ていないことに気づく。なので、柳は午後に河野に会いに行くことにした。
河野画伯は一人暮らしだ。了頓図子町の雑居ビルやマンションに囲まれた古い一軒家をアトリエ兼住居にしている。
画伯の一人娘が失踪したのは15年前の宵山の夜だった。画伯は疲れた顔をしていたが、向こうからは柳が疲れているように見えると言われた。
柳の父は一年前の宵山の夕刻、鞍馬の参道で倒れているところを見つかった。脳溢血と言われ、そのまま意識は戻らず、一週間後に世を去った。
その日の朝、父はひどく疲れた様子だったので、母は仕事を休むように勧めた。素直に寝室で寝ていたはずの父がなぜ鞍馬で発見されたのだろう。
画廊に戻ると、杵塚商会の乙川が柳の帰りを待っていた。
杵塚商会との取引は社長と行っていたので、柳が乙川と対面するのはこれが初めてだった。柳はこの機会に水晶玉の件を断ろうとするが、乙川はしつこい。杵塚商会はなぜそんなにも父の遺品を欲しがるのだろう。
翌朝、柳が起床すると、母が水晶玉の話をしてきた。その内容は昨日とそっくりそのままで、柳は奇異に思う。テレビを見ると、何と今日が宵山だと言う。これはどういうことか。
次の朝も宵山だった。
柳は自分が同じ宵山の日を繰り返していることに気づく。
この怪異に杵塚商会と水晶玉、そして一年前の父の謎の死がどう関わっているのか。

「宵山万華鏡」
物語は、再び「宵山金魚」のバレエ姉妹に戻る。
宵山の夕刻、バレエ教室を退室した姉は、先生の言いつけに背いて出店で賑わう通りにどんどん入り込んでいった。妹は渋りながらも姉についてくる。
姉は蟷螂山が見たいのだ。
路地を歩いているうちに、姉妹は柳画廊の柳さんに会った。柳さんは蟷螂山の場所を丁寧に教えてくれ、姉妹に互いの手を離さないようにと注意した。
それなのに、赤い浴衣の少女たちを見かけた姉は、魔が差して妹の手を放してしまう。今まで妹に意地悪をしたいと思ったことなど無かったのにどうして。
妹は赤い浴衣の女の子たちに見とれていたのか、少しの間姉が離れたことに気づかなかった。が、我に返ると慌てて姉を探し始めた。
姉は妹の姿を見つけると後を追った。
しばらく歩くうちに、先ほどまで泣き出しそうな顔をしていた妹が、呑気に露店を覗きながら歩いていることに気づいた。そして、家族と宵山見物に来ていたバレエ教室の子と話しているうちに、妹の姿を見失ってしまう。
妹を探し歩くうちに、道行く人たちが金魚を封じ込めた不思議な風船を持っているのに気づいた。
姉は風船を妹に渡して謝りたいと思った。しかし、風船を配っていた髭もじゃの大坊主に、残っているのは姪にあげる分だからと断られてしまう。
それでも食い下がる姉に大坊主は根負けしたようだ。大坊主は風船を分けてもらう為に宵山様の元に姉を連れて行こうとする。


“「一つだけお教えしましょう」と乙川は水晶玉を町屋の明かりに透かしながら言った。「これは世界の外側にある玉だそうです。今夜の我々はね、この玉に覗かれた世界の中にいるんです」”

物語は赤い浴衣姿の女の子に誘われ、宵山の深淵に呑み込まれていく妹から始まり、同じ時刻に大坊主に導かれ、宵山の深淵に入り込んでいく姉で終わる。その閉じた円環の中に、ほかの登場人物たちも、風船の中で泳ぐ金魚のように美しく囚われている。
小長井らの作成した偽の宵山と、水晶玉越しに広がる幻の宵山。そのどちらにも深く関わり、両方の世界を繋ぐ乙川とは何者なのか。
宵山に呑み込まれたままなのは、柳の父と、京子と、河野画伯だけなのだろうか。姉妹は、柳さんは、千鶴は、本当に宵山から戻ることが出来たのだろうか。

“「だって私たちは宵山の外には出ないの。昨日も宵山だったし、明日も宵山だし、明後日も宵山。ずうっと宵山なの。ずうっと私たち、ここにいるの」”
コメント (2)