ガルシア・マルケス著『愛その他の悪霊について』
マルケスの小説にしては登場人物が少なく、ストーリーも複雑ではない。導入部から悲劇的結末が予告されているところは、『予告された殺人の記録』のスタイルに近いが、本作の方がロマンスの要素が大きい。
12月最初の日曜日。
カサルドゥエロ侯爵の一人娘のシエルバ・マリアは、12歳のお誕生日会のための鈴の飾りを買いに来た市場で野良犬に左の足首を噛まれた。
市場をうろつく野良犬に人が噛まれることは日常茶飯事であり、大した怪我ではなかったこともあって、シエルバ・マリア自身もお供の女中もこの件について気にも留めなかった。
シエルバ・マリアの母親は、ベルナルダ・カブレーラといって、カサルドゥエロ侯爵の無爵位の夫人である。
煽情的で強欲で、下半身の貪欲なメスティーサ(混血女)だ。かつては人魚のようにしなやかな体と美貌を誇っていたが、数年のうちに蜂蜜酒とカカオ粒に溺れ、表舞台から姿を消した。寝室から出ることは殆ど無く、むくんで色のくすんだ巨体から爆音とともに強烈に臭い屁を放つ。享楽的な雰囲気を漂わせているが、実業家としての才には抜きんでたものがあり、奴隷貿易において彼女以上に抜け目なく立ち回った者はいない。
シエルバ・マリアの父親は、ドン・イグナシオ・アルファロ・イ・ドゥエニャス即ち第二代カサルドゥエロ侯爵といって、ダエリン地方の領主である。
百合のように白い顔色で、落ちぶれた雰囲気を漂わせている。生気の上がらぬメランコリックな気質。初恋の女性とは父親からの圧力に屈して別れ、最初の妻とも相手の歩み寄りに応えることが出来ず、二番目の妻ベルナルダとは押し切られて結婚。夫婦仲は当然のように不和である。
夫妻は二人とも娘には一切の関心を払っていない。
ゆえに、シエルバ・マリアは敷地内の奴隷の居住区で、奴隷たちの手によってアフリカ式に育てられた。西洋式の教育やカトリックの教義とは無縁に成長した自然児である。彼女は本名と、自分でつけたアフリカ名――マリア・マンディカとを使い分け、結婚する日まで切らない誓いを立てた長い金髪を三つ編みにして止めていた。
かつてはドミンカ・デ・アドビエントという生粋の黒人女の手腕で秩序を保っていた侯爵家も、彼女が亡くなってからは、白人と黒人、侯爵と夫人との間を調停する者はおらず、敷地内は混沌と怠惰と無関心に支配されていた。
お誕生日会の二日後になって女中からシエルバ・マリアが犬に噛まれたと聞かされても、ベルナルダは放置していた。無論、夫に話すこともなかった。
次の日曜日にその女中から、市場でシエルバ・マリアを噛んだ野良犬が、狂犬病で死んだものであることを知らせるべく木に吊るされているのを目にしたと聞かされても、心配一つしなかった。
侯爵が、シエルバ・マリアが狂犬病の犬に噛まれたことを知ったのは、一月になってからだった。
妻でもなく、使用人でもなく、サグンダという放浪のインディオ女の口からそれを聞かされた侯爵は、今更のように父性と危機感を自覚した。彼は一人でラサロの丘にあるアモール・デ・ディオス病院まで、狂犬病患者を見に行った。そして、シエルバ・マリアの今後に希望を見出すことなく逃げるように病院を後にした。
侯爵は帰り道、医師のアブレヌンシオ・デ・サア・ペレイラ・カン学士を馬車に乗せた。病院で見た狂犬病患者について、「何がしてやれるのか」という侯爵の問いに、アブレヌンシオは、「ひとたび狂犬病の症状がでたら、もう何の手立てもない。患者にしてやれるのは殺してやることだけだ」と答えた。
帰宅後、侯爵が行ったのは、ドミンカの死後すっかり秩序を失ったこの家の手綱を取ることだった。
侯爵は娘を奴隷小屋から先代侯爵夫人の寝室に連れ戻し、再教育を図る。が、当然のことながら巧くいかない。そこで、彼はムラータのカリダー・デル・コブレに、愛情と理解をもってシエルバ・マリアの面倒を見るように命じる。これ以降の侯爵は、娘に関してはことごとく他人任せで、しかもすべての選択を間違ってしまうのである。
アブレヌンシオが朝早くに突然訪ねてきて、シエルバ・マリアの診察をするという。
予想に反して、シエルバ・マリアはむずがることはなく、医師に対して笑みさえ見せた。
アブレヌンシオは、狂犬病の兆候については、甘い事は言わなかった。症状が出てから出来ることは、アモール・デ・ディオス病院に入院させるか、それが嫌なら侯爵自身が娘を死ぬまでベッドに鎖でつないでおくという苦しみを引き受けるしかない、と語った。それは、懶惰な暮らしに浸かっている侯爵には、耐え難い事だった。
侯爵は何らかの希望を求めて、医師、薬剤師、呪術師、血抜きをする床屋と、ありとあらゆる人物に縋った。
シエルバ・マリアは、既に癒着した傷を切開され、発泡パップやからし軟膏を施され、背中から蛭に血を吸われ、傷口に尿を塗られ、浣腸や魔法の劇薬を施されと、拷問のような治療を受けさせられた。皮膚は腫れ、胃は爛れ、苦痛の極みにまで追いやられた。最初の頃は誇りをもって治療に耐えていた彼女も、二週間が過ぎたころには、痙攣、引付け、錯乱、下痢、失禁にのたうち回るようになった。その凄惨な姿に、治療者たちからは、悪霊に憑かれていると見放された。シエルバ・マリアの不調と錯乱に関る噂は、忽ち民衆の間に広まった。
侯爵はシエルバ・マリアの件で、教区の司教ドン・トリビオ・カセイス・イ・ビルトゥーデスに呼び出された。そして、悪霊に憑かれたシエルバ・マリアの魂を救うためにサンタ・クララ修道院に入れることを決断した。犬に噛まれてから93日目のことだった。
事を知ったアブレヌンシオは、「神の命令だったと確信しています」と言う侯爵に対して、異端審問所の恐怖を説き、「連れ出しなさい、あんなところから」と告げた。
シエルバ・マリアは、修道院長ホセファ・ミランダをはじめとする修道女から悪霊憑きと決めつけられ、修道院の中で起きたあらゆる不運な出来事を彼女の魔力のせいにされた。不衛生な独居房に監禁され、身に着けていたものを取り上げられた。唯一好意的なのは、殺人を犯して収監されたマルティナ・ラボルデだけだった。
苦境にあるシエルバ・マリアの元に、司祭の弟子であるカエターノ・デラウラが現れた。
デラウラには特定の職責はない。肩書も図書室司書というものだけだったが、司教との近しさから、事実上の司教代理と見なされていた。
デラウラは、シエルバ・マリアを知らなかった頃に、彼女の夢を見たことがあった。
“デラウラは、シエルバ・マリアが雪に覆われた原野の見える窓の前にすわって、ひざにおいた葡萄をひと粒ずつむしって食べているのを夢に見たのだった。彼女が葡萄の実をひと粒むしると、房にはすぐさまもうひとつ実が芽生えた。夢の中では少女がその無限の窓の前にすわって、何年もそのブドウの房を食べ終えようとし続けていることが明らかで、また、急いでいないことも見て取れた。なぜなら、最後のブドウには死があることを彼女は知っているからだった。
それと同じ夢をシエルバ・マリアも見ていた。彼女の口から夢の話を聞かされたデラウラは、恐怖の鞭に打たれるのを感じた。
物語はこの後、シエルバ・マリアとデラウラのロマンスを主軸に展開していく。
ロマンスといったが、シエルバ・マリアがデラウラに抱いている好意が恋情かどうかははっきりしない。親から顧みられることなく、奴隷小屋で育った彼女は、12歳という実年齢より精神が幼い。人から愛情を与えられる経験のなかった彼女は、愛にはいくつもの種類があることを知らないのかもしれない。デラウラの訪れを喜び、不潔だった独房を片づけたり、見張り番に見つからないように図ったりするが、それを恋人との逢瀬のためと捉えているのかは不明だ。
デラウラの方は明確に肉欲を伴った恋情を彼女に抱いている。
彼は肉欲を戒めるために己の体を鞭で打つ一方で、シエルバ・マリアを喜ばせるために菓子を携え、下水路を辿り、壁をよじ登って、彼女の独房を訪れる。二人で寄り添い、詩を唱和し、たった一晩で一生分を愛しあったような時を過ごす。シエルバ・マリアを修道院から解放し、自分も教会から離れ、二人で暮らすことを夢見るようになる。ついには、「精霊は信仰よりも愛の方を重んじる」と、発言するに至る。
侯爵の意志の弱さとか、デラウラの躊躇いとか、修道院長の悪意とか、マルティナの脱走とかが嫌な化学反応を起こして、シエルバ・マリアの運命を暗転させていく。
最も印象強烈な登場人物であるベルナルダは、徹底的な無関心のためか、案外娘に及ぼす影響は少ない。
シエルバ・マリアにとって希望の光だったアキーノ神父は、彼女を救う前に謎の死を遂げてしまう。デラウラは異端審問所に引き渡され、有罪とされる。それは大変なスキャンダルとなり、彼を寵愛していた司教は、民衆の反発によって心をかき乱される。シエルバ・マリアは、たちの悪い悪霊憑きとして過酷な悪魔払いを受ける。拘束着を着せられ、デラウラから貰った数珠は引きちぎられ、結婚の日まで切らないと誓いを立てていた髪は刈られた。彼女は聖職者たちを悪魔みたいだと思った。
シエルバ・マリアは、デラウラがどうして来なくなったのか、ついに知ることがなかった。
連日の悪魔祓いですっかり痩せこけ、生きる気力を失った彼女は、再び雪の降る荒野の窓の夢を見た。もはやデラウラのいない、二度と戻ってくることもない窓だった。彼女は金色の葡萄の房を最後の一粒まで息もつかずに食べた。
第六回目の悪魔払いの日の朝を迎える前に、シエルバ・マリアは死んだ。剃り上げられた頭骨からは、新しい髪があぶくのように湧き出し伸びていた。
両親から見放され、アフリカの風習を身に着けて育った少女が、犬に噛まれたことをきっかけに、悪霊憑きとして虐待を受ける。本当に彼女が狂犬病に罹っていたかどうかなど、誰も問題にしていない。教会の権威が絶対だった中世において、愛は救いとならず、寧ろ知性につけ込む悪霊の一種としか見なされなかった。デラウラとの愛がシエルバ・マリアの悪霊憑きの決定的な証拠とされ、その愛ゆえに彼女は死んだ。救いようのない話だったが、死臭と花の香りに包まれた甘いラブストーリーでもあった。「精霊は信仰よりも愛の方を重んじる」というデラウラの確信は、ある意味正鵠を得ていたのかもしれない。
マルケスの小説にしては登場人物が少なく、ストーリーも複雑ではない。導入部から悲劇的結末が予告されているところは、『予告された殺人の記録』のスタイルに近いが、本作の方がロマンスの要素が大きい。
12月最初の日曜日。
カサルドゥエロ侯爵の一人娘のシエルバ・マリアは、12歳のお誕生日会のための鈴の飾りを買いに来た市場で野良犬に左の足首を噛まれた。
市場をうろつく野良犬に人が噛まれることは日常茶飯事であり、大した怪我ではなかったこともあって、シエルバ・マリア自身もお供の女中もこの件について気にも留めなかった。
シエルバ・マリアの母親は、ベルナルダ・カブレーラといって、カサルドゥエロ侯爵の無爵位の夫人である。
煽情的で強欲で、下半身の貪欲なメスティーサ(混血女)だ。かつては人魚のようにしなやかな体と美貌を誇っていたが、数年のうちに蜂蜜酒とカカオ粒に溺れ、表舞台から姿を消した。寝室から出ることは殆ど無く、むくんで色のくすんだ巨体から爆音とともに強烈に臭い屁を放つ。享楽的な雰囲気を漂わせているが、実業家としての才には抜きんでたものがあり、奴隷貿易において彼女以上に抜け目なく立ち回った者はいない。
シエルバ・マリアの父親は、ドン・イグナシオ・アルファロ・イ・ドゥエニャス即ち第二代カサルドゥエロ侯爵といって、ダエリン地方の領主である。
百合のように白い顔色で、落ちぶれた雰囲気を漂わせている。生気の上がらぬメランコリックな気質。初恋の女性とは父親からの圧力に屈して別れ、最初の妻とも相手の歩み寄りに応えることが出来ず、二番目の妻ベルナルダとは押し切られて結婚。夫婦仲は当然のように不和である。
夫妻は二人とも娘には一切の関心を払っていない。
ゆえに、シエルバ・マリアは敷地内の奴隷の居住区で、奴隷たちの手によってアフリカ式に育てられた。西洋式の教育やカトリックの教義とは無縁に成長した自然児である。彼女は本名と、自分でつけたアフリカ名――マリア・マンディカとを使い分け、結婚する日まで切らない誓いを立てた長い金髪を三つ編みにして止めていた。
かつてはドミンカ・デ・アドビエントという生粋の黒人女の手腕で秩序を保っていた侯爵家も、彼女が亡くなってからは、白人と黒人、侯爵と夫人との間を調停する者はおらず、敷地内は混沌と怠惰と無関心に支配されていた。
お誕生日会の二日後になって女中からシエルバ・マリアが犬に噛まれたと聞かされても、ベルナルダは放置していた。無論、夫に話すこともなかった。
次の日曜日にその女中から、市場でシエルバ・マリアを噛んだ野良犬が、狂犬病で死んだものであることを知らせるべく木に吊るされているのを目にしたと聞かされても、心配一つしなかった。
侯爵が、シエルバ・マリアが狂犬病の犬に噛まれたことを知ったのは、一月になってからだった。
妻でもなく、使用人でもなく、サグンダという放浪のインディオ女の口からそれを聞かされた侯爵は、今更のように父性と危機感を自覚した。彼は一人でラサロの丘にあるアモール・デ・ディオス病院まで、狂犬病患者を見に行った。そして、シエルバ・マリアの今後に希望を見出すことなく逃げるように病院を後にした。
侯爵は帰り道、医師のアブレヌンシオ・デ・サア・ペレイラ・カン学士を馬車に乗せた。病院で見た狂犬病患者について、「何がしてやれるのか」という侯爵の問いに、アブレヌンシオは、「ひとたび狂犬病の症状がでたら、もう何の手立てもない。患者にしてやれるのは殺してやることだけだ」と答えた。
帰宅後、侯爵が行ったのは、ドミンカの死後すっかり秩序を失ったこの家の手綱を取ることだった。
侯爵は娘を奴隷小屋から先代侯爵夫人の寝室に連れ戻し、再教育を図る。が、当然のことながら巧くいかない。そこで、彼はムラータのカリダー・デル・コブレに、愛情と理解をもってシエルバ・マリアの面倒を見るように命じる。これ以降の侯爵は、娘に関してはことごとく他人任せで、しかもすべての選択を間違ってしまうのである。
アブレヌンシオが朝早くに突然訪ねてきて、シエルバ・マリアの診察をするという。
予想に反して、シエルバ・マリアはむずがることはなく、医師に対して笑みさえ見せた。
アブレヌンシオは、狂犬病の兆候については、甘い事は言わなかった。症状が出てから出来ることは、アモール・デ・ディオス病院に入院させるか、それが嫌なら侯爵自身が娘を死ぬまでベッドに鎖でつないでおくという苦しみを引き受けるしかない、と語った。それは、懶惰な暮らしに浸かっている侯爵には、耐え難い事だった。
侯爵は何らかの希望を求めて、医師、薬剤師、呪術師、血抜きをする床屋と、ありとあらゆる人物に縋った。
シエルバ・マリアは、既に癒着した傷を切開され、発泡パップやからし軟膏を施され、背中から蛭に血を吸われ、傷口に尿を塗られ、浣腸や魔法の劇薬を施されと、拷問のような治療を受けさせられた。皮膚は腫れ、胃は爛れ、苦痛の極みにまで追いやられた。最初の頃は誇りをもって治療に耐えていた彼女も、二週間が過ぎたころには、痙攣、引付け、錯乱、下痢、失禁にのたうち回るようになった。その凄惨な姿に、治療者たちからは、悪霊に憑かれていると見放された。シエルバ・マリアの不調と錯乱に関る噂は、忽ち民衆の間に広まった。
侯爵はシエルバ・マリアの件で、教区の司教ドン・トリビオ・カセイス・イ・ビルトゥーデスに呼び出された。そして、悪霊に憑かれたシエルバ・マリアの魂を救うためにサンタ・クララ修道院に入れることを決断した。犬に噛まれてから93日目のことだった。
事を知ったアブレヌンシオは、「神の命令だったと確信しています」と言う侯爵に対して、異端審問所の恐怖を説き、「連れ出しなさい、あんなところから」と告げた。
シエルバ・マリアは、修道院長ホセファ・ミランダをはじめとする修道女から悪霊憑きと決めつけられ、修道院の中で起きたあらゆる不運な出来事を彼女の魔力のせいにされた。不衛生な独居房に監禁され、身に着けていたものを取り上げられた。唯一好意的なのは、殺人を犯して収監されたマルティナ・ラボルデだけだった。
苦境にあるシエルバ・マリアの元に、司祭の弟子であるカエターノ・デラウラが現れた。
デラウラには特定の職責はない。肩書も図書室司書というものだけだったが、司教との近しさから、事実上の司教代理と見なされていた。
デラウラは、シエルバ・マリアを知らなかった頃に、彼女の夢を見たことがあった。
“デラウラは、シエルバ・マリアが雪に覆われた原野の見える窓の前にすわって、ひざにおいた葡萄をひと粒ずつむしって食べているのを夢に見たのだった。彼女が葡萄の実をひと粒むしると、房にはすぐさまもうひとつ実が芽生えた。夢の中では少女がその無限の窓の前にすわって、何年もそのブドウの房を食べ終えようとし続けていることが明らかで、また、急いでいないことも見て取れた。なぜなら、最後のブドウには死があることを彼女は知っているからだった。
それと同じ夢をシエルバ・マリアも見ていた。彼女の口から夢の話を聞かされたデラウラは、恐怖の鞭に打たれるのを感じた。
物語はこの後、シエルバ・マリアとデラウラのロマンスを主軸に展開していく。
ロマンスといったが、シエルバ・マリアがデラウラに抱いている好意が恋情かどうかははっきりしない。親から顧みられることなく、奴隷小屋で育った彼女は、12歳という実年齢より精神が幼い。人から愛情を与えられる経験のなかった彼女は、愛にはいくつもの種類があることを知らないのかもしれない。デラウラの訪れを喜び、不潔だった独房を片づけたり、見張り番に見つからないように図ったりするが、それを恋人との逢瀬のためと捉えているのかは不明だ。
デラウラの方は明確に肉欲を伴った恋情を彼女に抱いている。
彼は肉欲を戒めるために己の体を鞭で打つ一方で、シエルバ・マリアを喜ばせるために菓子を携え、下水路を辿り、壁をよじ登って、彼女の独房を訪れる。二人で寄り添い、詩を唱和し、たった一晩で一生分を愛しあったような時を過ごす。シエルバ・マリアを修道院から解放し、自分も教会から離れ、二人で暮らすことを夢見るようになる。ついには、「精霊は信仰よりも愛の方を重んじる」と、発言するに至る。
侯爵の意志の弱さとか、デラウラの躊躇いとか、修道院長の悪意とか、マルティナの脱走とかが嫌な化学反応を起こして、シエルバ・マリアの運命を暗転させていく。
最も印象強烈な登場人物であるベルナルダは、徹底的な無関心のためか、案外娘に及ぼす影響は少ない。
シエルバ・マリアにとって希望の光だったアキーノ神父は、彼女を救う前に謎の死を遂げてしまう。デラウラは異端審問所に引き渡され、有罪とされる。それは大変なスキャンダルとなり、彼を寵愛していた司教は、民衆の反発によって心をかき乱される。シエルバ・マリアは、たちの悪い悪霊憑きとして過酷な悪魔払いを受ける。拘束着を着せられ、デラウラから貰った数珠は引きちぎられ、結婚の日まで切らないと誓いを立てていた髪は刈られた。彼女は聖職者たちを悪魔みたいだと思った。
シエルバ・マリアは、デラウラがどうして来なくなったのか、ついに知ることがなかった。
連日の悪魔祓いですっかり痩せこけ、生きる気力を失った彼女は、再び雪の降る荒野の窓の夢を見た。もはやデラウラのいない、二度と戻ってくることもない窓だった。彼女は金色の葡萄の房を最後の一粒まで息もつかずに食べた。
第六回目の悪魔払いの日の朝を迎える前に、シエルバ・マリアは死んだ。剃り上げられた頭骨からは、新しい髪があぶくのように湧き出し伸びていた。
両親から見放され、アフリカの風習を身に着けて育った少女が、犬に噛まれたことをきっかけに、悪霊憑きとして虐待を受ける。本当に彼女が狂犬病に罹っていたかどうかなど、誰も問題にしていない。教会の権威が絶対だった中世において、愛は救いとならず、寧ろ知性につけ込む悪霊の一種としか見なされなかった。デラウラとの愛がシエルバ・マリアの悪霊憑きの決定的な証拠とされ、その愛ゆえに彼女は死んだ。救いようのない話だったが、死臭と花の香りに包まれた甘いラブストーリーでもあった。「精霊は信仰よりも愛の方を重んじる」というデラウラの確信は、ある意味正鵠を得ていたのかもしれない。
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