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青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

異人論序説

2015-04-01 06:41:19 | 日記
『『異人論序説』は赤坂憲雄氏の1985年のデビュー作。3月25日にこのブログに感想を載せた『排除の現象学』がたいそう気に入ったので本書も読んでみることにした。
序章で殆ど結論が出ているが、だからと言って序章だけで本書を閉じる人もいないだろう。興味を引く語り口なので、次が気になって仕方が無くなるのだ。

本書は、あらゆる共同体が共同体自身として存在し続けるためには絶えず〈異人〉を生み出し排除しなければならないと指摘する。
あらゆる境界は供犠の所産であり、〈異人〉は内部と外部の境界を司る聖なる生贄とされる。境界とは浄と不浄が両義的に重なり合う界隈、〈異界〉の入り口であり、禁忌空間でもあった。定住民にとって、共同体の外部から訪れる人々は〈異人〉である。未知なる〈異界〉に由来する要素を秩序の内部に持ち来たらす〈異人〉は畏怖と禁忌の対象となる。〈異人〉の神秘性の由来は、彼らが混沌の彼方からの訪れ人であり、また、秩序と混沌を媒介する両義的存在と信じられていることにある。
賤/神聖、不浄/浄の間を往還する〈異人〉は以下のように分類される。

1・一時的に交渉を持つ漂白民……サンカ・遊牧民・浮浪民・中世の遊行聖・遍歴職人・土着以前の行商人・小屋掛けの芝居一座・遍路乞食など
2・定住民でありつつ一時的に他集団を訪れる来訪者……旅人・巡礼・赴任先の学校教師・海外派遣の商社マン・宣教師・疎開地の都会っ子など
3・永続的な定着を志向する移住者……移民・亡命者・多からの婚入者・地域社会への転入者・転校生・閉鎖的なクラブへの入会志願者・新生児など
4・秩序の周辺部に位置付けられたマージナル・マン……精神病者・身体障碍者・非行少年・犯罪者・変人・労働忌避者ないし不適格者・兵役忌避者・売春婦・性倒錯者・病人・アウトサイダー・異教信仰者・独身者・未亡人・孤児など
5・外なる世界からの帰郷者……故郷へ帰る出稼ぎ者・復員兵・帰国子女など
6・境界の民としてのバルバロス……未開人・野蛮人・エゾ・アイヌ・土蜘蛛・隼人・山人など

なぜ、〈異人〉は排除されつつ歓待されるのか。
宗教力には二つの種類がある。すなわち、生命・健康などの特質を持つ秩序の保護者である正の宗教力(浄・吉)と、無秩序の生みの親、死や病気の原因となり瀆聖をそそのかす負の宗教力(不浄・不吉)である。浄と不浄は互いに禁忌し合いつつ、同時に両極から補い合う二つの部分として構造化されている。天皇と、国王と死刑執行人もしくは道化…これら正・負の宗教力はいずれも〈俗〉な存在にとっては禁忌の対象である。不浄なる存在も、浄なる存在と同様に〈俗〉に対する〈聖〉を構成するものと考えられる。つまり、浄と不浄は別箇の二網ではなく、すべての〈聖〉を含む同じ網の二変種であるのだ。
こうした〈聖〉に内在する象徴回路を、〈異人〉の構造を読み解く手掛かりにすると、〈異人〉は〈俗〉なる世界=共同体に属さぬために、穢れ(混沌)を帯びた存在として不浄視されつつ、一定の儀礼的コンテクストの転換に伴い清浄なる存在へと変身を遂げる。〈異人〉は共同体から排除されるがゆえに〈聖〉性を帯びた存在となるのだ。この構図の上に、共同体と〈異人〉の織り成す両義的光景…排除と歓待はひろがっている。
〈異人〉とは、共同体とその外部との〈交通〉をめぐる物語である。内部/外部、秩序/混沌、清浄/不浄、自己/他者…といった無限に反復・再生される二元論という名の強迫的なるものの上に絶え間なく〈異人〉は分泌される。強迫的に繰り返される〈異人〉産出を通して共同体の平和が保たれている限り、いじめも差別もなくならないだろう。教育関係者の口にする「人の痛みを分かりましょう」となどという言葉がいかに的外れであることか…。集団は、生贄を心身ともに痛めつけることによって負のスティグマを与え、〈異人〉に仕立て上げているのである。

本書は、民俗学・考古学・文化人類学・社会学など様々な分野から興味深い事例を数多く紹介しているが、それ故把握しなければならない事項が多い。『排除の現象学』がスルスル読めたのに対して、本書を読了するのには随分と時間がかかった。浅学な私に赤坂氏の意図が理解できているとも思えない。メモを取りながらの再読の必要があるだろう。
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