夏休みなので、家族で長野に行ってきました。
うちには犬猫がいるので、例によって日帰りです。
松本城→善光寺→上田城址の順に車で周ってきました。
長野は若い頃に何度かキャンプしたりバンガローに泊まったりしたことがありましたが、城下町を観光するのは今回が初めてです。
この日の長野はとても暑くて、善光寺に着いた昼過ぎには37度を超えていました。
海水浴場のある地元・藤沢より避暑地のある長野の方が暑いなんてと思いましたが、長野は面積が広いので県内で気温の差が大きいのかもしれなませんね。
気温とは全然関係ない話ですが、松本市と藤沢市は姉妹都市です。
撮った画像の枚数が多いので、三回に分けてブログに載せる予定です。
一回目は松本城。
朝6時ごろに家を出て、松本城そばの駐車場に着いたのが10時より少し前でした。この時点でもう暑かったです。
松本城の前身は、戦国時代の永正年間に造られた深志城と言われています。
現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。
現在天守の建物を残す城は、12城しかありません。そのうち五重の天守は松本城と姫路城だけです。
この日は快晴だったので、モノトーンの姿が青空によく映えました。
内堀を渡ったところにある高麗門が入り口です。
「おもてなし隊」のお二人と記念撮影させてもらいました。
これはアルプちゃん。
入場券を買ってから本丸御殿跡を通り抜けて天守閣へ。
ここにも「おもてなし隊」の方が。
「おもてなし隊」のみなさんは敷地内各地にいらっしゃるようでしたが、なんせ炎天下なので我々には探して歩く元気がありませんでした。
暑い中を武者や姫君の衣装で働く「おもてなし隊」のみなさんには敬服するばかりです。
天守閣内部。すべての階段が暗くて狭い。
この画像は三階の階段で比較的傾斜が緩やかですが、他の階の階段はまるで梯子のように急斜でした。他の階の階段は撮影禁止だったので、これだけ載せておきます。
天守内には、松本市出身の故赤羽通重・か代子夫妻が寄贈した141挺の火縄銃と兵装品のうち、一部が展示されています。
一部と言ってもかなりの数なので、それらを見ているだけでも結構時間がかかります。バラバラに分解された部品や、火薬を作る器具の展示もありました。火薬作りは主に女性の仕事だったそうです。
その他、鯱瓦、土台支持柱、蕪懸魚など。
城内から発掘された食器や遊具、古銭など。
天守三階は天井が低くて暗い部屋。
天守閣は外から見ると五階建てですが、内部は六階になっています。ここ三階は外からわからない秘密の空間でした。
外から見えない階があるのは乾小天守でも同様で、こちらは外観は三階建てですが内部は四階になっています。
石落。
石垣を登る敵兵に、石を落としたり熱湯等をかけたりして天守を守る装置です。戦国末期にはここから這い上る敵兵に火縄銃を撃ったと考えられています。
武者窓。
ここからも銃撃しました。
当世具足。
ちょうど職員さんがいて説明をしてもらえました。
甲冑に玉込め用のカルカを背中につけ、腰には玉入れ、肩からは瓢箪型の口薬入れを下げています。これに火縄銃と刀を装備すると、重量20㎏弱になります。これが当時の標準的な武者スタイルでした。
天守から見る景色。
天守を出たところ。
名残惜しいですがこの後も予定があるので、最後にも一度お城を撮影して松本城をあとにしました。
松本城主ゆかりの神社です。松本城の北隣に鎮座しています。
前進は暘谷大明神。縁結びの神様らしいです。
その後、今宮八幡宮、片宮八幡宮、共武大神社、淑慎大神社との合祀を期に、名称を松本神社と改めました。
社務所に人がいるのは、7月10日、11日に行われる「例大祭」の間だけです。観光スポットというよりは地元の人々のための神社ですね。
次回のブログは善光寺の予定です。
うちには犬猫がいるので、例によって日帰りです。
松本城→善光寺→上田城址の順に車で周ってきました。
長野は若い頃に何度かキャンプしたりバンガローに泊まったりしたことがありましたが、城下町を観光するのは今回が初めてです。
この日の長野はとても暑くて、善光寺に着いた昼過ぎには37度を超えていました。
海水浴場のある地元・藤沢より避暑地のある長野の方が暑いなんてと思いましたが、長野は面積が広いので県内で気温の差が大きいのかもしれなませんね。
気温とは全然関係ない話ですが、松本市と藤沢市は姉妹都市です。
撮った画像の枚数が多いので、三回に分けてブログに載せる予定です。
一回目は松本城。
朝6時ごろに家を出て、松本城そばの駐車場に着いたのが10時より少し前でした。この時点でもう暑かったです。
松本城の前身は、戦国時代の永正年間に造られた深志城と言われています。
現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。
現在天守の建物を残す城は、12城しかありません。そのうち五重の天守は松本城と姫路城だけです。
この日は快晴だったので、モノトーンの姿が青空によく映えました。
内堀を渡ったところにある高麗門が入り口です。
「おもてなし隊」のお二人と記念撮影させてもらいました。
これはアルプちゃん。
入場券を買ってから本丸御殿跡を通り抜けて天守閣へ。
ここにも「おもてなし隊」の方が。
「おもてなし隊」のみなさんは敷地内各地にいらっしゃるようでしたが、なんせ炎天下なので我々には探して歩く元気がありませんでした。
暑い中を武者や姫君の衣装で働く「おもてなし隊」のみなさんには敬服するばかりです。
天守閣内部。すべての階段が暗くて狭い。
この画像は三階の階段で比較的傾斜が緩やかですが、他の階の階段はまるで梯子のように急斜でした。他の階の階段は撮影禁止だったので、これだけ載せておきます。
天守内には、松本市出身の故赤羽通重・か代子夫妻が寄贈した141挺の火縄銃と兵装品のうち、一部が展示されています。
一部と言ってもかなりの数なので、それらを見ているだけでも結構時間がかかります。バラバラに分解された部品や、火薬を作る器具の展示もありました。火薬作りは主に女性の仕事だったそうです。
その他、鯱瓦、土台支持柱、蕪懸魚など。
城内から発掘された食器や遊具、古銭など。
天守三階は天井が低くて暗い部屋。
天守閣は外から見ると五階建てですが、内部は六階になっています。ここ三階は外からわからない秘密の空間でした。
外から見えない階があるのは乾小天守でも同様で、こちらは外観は三階建てですが内部は四階になっています。
石落。
石垣を登る敵兵に、石を落としたり熱湯等をかけたりして天守を守る装置です。戦国末期にはここから這い上る敵兵に火縄銃を撃ったと考えられています。
武者窓。
ここからも銃撃しました。
当世具足。
ちょうど職員さんがいて説明をしてもらえました。
甲冑に玉込め用のカルカを背中につけ、腰には玉入れ、肩からは瓢箪型の口薬入れを下げています。これに火縄銃と刀を装備すると、重量20㎏弱になります。これが当時の標準的な武者スタイルでした。
天守から見る景色。
天守を出たところ。
名残惜しいですがこの後も予定があるので、最後にも一度お城を撮影して松本城をあとにしました。
松本城主ゆかりの神社です。松本城の北隣に鎮座しています。
前進は暘谷大明神。縁結びの神様らしいです。
その後、今宮八幡宮、片宮八幡宮、共武大神社、淑慎大神社との合祀を期に、名称を松本神社と改めました。
社務所に人がいるのは、7月10日、11日に行われる「例大祭」の間だけです。観光スポットというよりは地元の人々のための神社ですね。
次回のブログは善光寺の予定です。